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外食をあまりしない理由は人それぞれだと思うのだけど…


初対面の人たちが数名集まった場でのこと、ある人が「この辺りをあまり知らないので、お昼ごはんが美味しいところを紹介してください」と呼びかけた。それで、自己紹介も兼ねて順繰りに紹介することになった。

ぼくはほぼ外食しないし、その辺りのことをよく知らなかった。だけど、そういう言い訳は思考停止だと思って頭を捻ってみた。

ふむ。答える人数からして、すぐそこのお店は他の人でも思いつくだろうし、そこを言うのは簡単だけど、つまんないな。他の人なら出てこないであろう場所を言おうと、ちょっと変わったパン屋さん(ちょっと遠いけど)を紹介してみた。

ぼくの番が終わり、順調に回っていって最後の人が「えーっと、あんまり外食をしないので…」と、恐縮気味に切り出した。それを聞いて、「教えて!」と言った人が「いや!男の子はそんなもんだよね!こういうのは女性に聞いたほうが色々教えてもらえるもんなんだよね!」といったようなことを言っていた。

言った本人は助け舟を出そうとしたんだと思う。悪気がないのはわかるけど、それを言われた人はなんとも言えない微妙な表情で苦笑い(な感じにぼくには見えた)。ちょっとの沈黙の後、「ラーメンなら」と近くのラーメン屋を紹介していた。 そこ!ぼくも昔よく行っていたおすすめのとこ!と思った。


もしもぼくが「外食ほぼしないんですけど、近くにあるラーメン屋が」って紹介したら、どうだったんだろう? まあ、ぼくも男の子枠に入れてもらっても構わないけど、そうじゃないだろうって思うんだ。なんだかちょっぴりモヤモヤ…「男の子は〜、女の子は〜」って認識、雑過ぎるよなって思う。


古典的なジェンダー観念に基けば、「男の子は料理をしない(できない)」なんでしょ? なら、一人暮らしの男の子は外食頼みかもしれないよね。そうだとしたらありそうなセリフは何だろう? 「男の子なんてそんなもんだよ」じゃないのかな? でもって付随してくるのは「料理の上手なお嫁さんが見つかるといいね」な感覚かな?

外食しなくても「そんなもんだよ」。
外食ばっかでも「そんなもんだよ」。

どっちにしても、その発言の中にあるのは「男の子は食べ物に頓着しない」という思い込みなんじゃないのかな。


ちなみに、もしも女の子が「外食をあんまりしないので」と発言したら、ありそうなセリフは何だろう? ぼくの予想だと、「家でちゃんと作ってるの?」「節約思考でしっかりしてるね!」「忙しかったりして誰かと予定を合わせるの大変だもんね(一人で外食に行ったりしないよね)」 って感じかな? 
で、もしも女の子が「よく外食する」と言ったら、周囲の反応は「どんな(おしゃれな)カフェに行ってるの?」とかかな? 場合によっては「リア充だね!」とか言うのかもしれないね。
…いや、そのイメージちょっと偏見強くない?と思う人もいると思う。でも、「牛丼家にでもよく行ってるのかな?」とイメージする人はほぼ皆無だと思う。仮にそう思ったとして、付随してくるのは「そんなんじゃ彼氏できないんじゃない?もっと女子力上げないと」、とか?…ちょっと発想が古い気がするけれど、まあとにかく、

外食しなかったら「そういうもんだよね」。
外食ばっかりでも「そういうもんだよね」。

どっちにしても、その発言の中にあるのは「女の子は食べる物に気を配る」という思い込みなんじゃないかな。


思い込みに基づくレッテル貼り発言って、とっても不幸だと思うんだ。

女の子に対する規範の強さは女の子を閉じ込めることは知られてきたよね。例えば、料理が得意な子に対するイメージはどういうのが浮かぶかな? 男子だったら「将来は料理人」で、女子だったら「将来は良いお嫁さんになるね」、って感じかな?
…いやいや、そのイメージちょっと偏見強くない?と思う人もいると思う。でも、逆のイメージはスムーズに浮かぶ?? 

でも裏を返せば、料理好きってすごく素敵なことなのに、そこから男の子たちが排除されてしまわないかな? 例えば、学校の家庭科部。「男子なのに!?」なんて言われないか不安だったら、入部しにくいんじゃないかな? そういう偏見は随分良くなったとはいえ、まだまだ残っているんじゃないかな? いちいち振り払わなければいけない程度には。「いやいや、今の時代は…」ってな具合で。


とにかくナンセンスだと思う。レッテル貼られた人はモヤモヤしちゃって、その後安心して「自分の言葉として」発言することができなくなっちゃうと思うんだ。何を言ったって何かしらのレッテルを貼られるで、話が通じないだろうって感じちゃったり、そのまま素直に受け取ってもらえないだろうって身構えちゃう。だから、無難にそれっぽいことを言っておいてやり過ごしたりする。で、そうすると、レッテルハリスト(レッテル貼りをしてステレオタイプをリスト化する人)は「やっぱり、〇〇な人はこうだ!」と思い込みを強化していき…どこまでも続くよ負の連鎖。

いやはや、困ったものだ。

実際は、料理をする人は料理をする人だし、外食が好きな人は好きな人。おしゃれなカフェに行きたい人はカフェに行くし、牛丼屋に行きたい人は行くってだけ。

それを、「へーそうなんだ」とそのまんま捉えられないのは、どうしてなんだろう?

こういうのってジェンダーだけじゃない。「君たちは若いから」もおんなじ。それは相手の声を奪うことになると思うんだ。…「え?大袈裟じゃない?」って言われたこともあるけど、じゃあ、レッテル貼りでハッピーになる人いるの? って返したい。もし大袈裟だと思うのだとしたら、大したことないんでしょ? だったら、直したってバチは当たらないと思うんだ。それどころか、ちょっと認識を改めるだけで、クローゼットのままを強いられている人をなくせるのにな。それとも、「そんなこといちいち構ってられないよ!」っていう感じでしょうか? 「そういう人たちもいるかもしれないけど、みんなそんなもんなんだから!」っていうのは実際言われた言葉。誰だって理解されないのなんて当然なんだから、という論理らしい。

…うーんまあ、それはそうかもしれないけど、そんなのいやじゃない?
それって結局その人も不幸だし、誰もが不幸でいるしかないってことじゃん?
そんな世の中、悲しすぎるよ。

だから、ちょっと立ち止まって考えてみたっていいと思うんだ。


ぼくたちは、どうして言葉を交わすんだろう

一体、誰のことを知りたいのだろう?

知りたいのは、男の人のことなの?

知りたいのは、女の人のことなの?


目の前にいる相手のことじゃないのかな?


…きっとバイアスは、よく知らない相手のことを素早くジャッチするために発動させる機能だと思う。だけど、そのバイアスによるジャッチは実際のその人とは関係がない。様々な人が持ち合わせている特徴を継ぎ接ぎして作られた虚像だから。
だったら、そんな意味のない色眼鏡を外して見たらいいと思うんだよね。


そうそう、外食をあんまりしない理由だけど、「値上がりによる影響で節約したい」というのが、今は最もあり得る理由じゃないのかな?


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