航空会社に入社して、初めての業務面談。 かれこれ20年以上前の話になるが、当時 担当だった女性マネージャーから言われた 今でも忘れられない言葉がある。 ダメ自慢じゃないが、私は訓練所での成績・ 評価は、確実にビリから数えたほうが早かったし、 決してデキのいいタイプではなかった。 新人の頃から、天性のおっちょこちょいが 災いして、飲み物の入った重たいカートを 乗客の膝にぶつけたり、売上金を紛失したり (結局自分の上着のポケットに入ったままだった という最悪のオチ!)意図せずと
生きてると、自分を試されてるような、 ビミョーな出来事って色々あるじゃない ですか。 「ここで神になるか、鬼になるか」 みたいな。 ふと思ったんですけど、結局人間って どんな感情にもキャラにもなれる自由と 多様性を与えられてるから、その時の 心の持ちよう次第で、 神にも鬼にもどっちにもなれる。 ちなみに私は、とてつもなく意地悪クソ 人間になれるし、優しい人にもなれます。 (どういうカミングアウトだよ。。) ただ、意地悪クソ人間になると、心の中が ネチャっとドロっと
最近、ビジネス系の自己啓発本や動画で 「とにかく行動してみよう!!」 「怖いはGO!!」 「行動するかしないか」 みたいなのが流行ってるのがちょっと 気になっていて、Youtube動画では、 ある著名な方が 「不安とか恐怖がでてきたらその心配や 不安の種を消すため、軽減させるために とにかく行動しましょう!!」 と自信満々におっしゃる。 そうするのが性に合ってる人も多くいる かもしれないけど、 「そんなに焦らせんな!!」 って動画をみながら私は怒ってました。
先日、小学校時代の地元の友人が、 とある用事で上京するというので、 何十年ぶりに再会しました。 というより、同じクラスになったことが 一度もないので、実は全く接点がなかった のですが、インスタで共通の友人を介して 連絡をとる機会があり、再会(?)することに。 渋谷のカフェで、明るくピースサインを キメる彼は、生まれつき小児がんを患い、 それが原因で両足が動きません。 でもそんな不自由さがなんだ?ってくらい、 目をキラキラ輝かせて夢を語り、「毎日、 楽しいことで忙しくしち
人生の選択に迷ったり、今の状況に悶々と したり、誰かから言われたことに落ち込んで、 ズルズルっと気持ちがネガティブなほうに 引っぱられて、気づくと戻れないところまで 落ちる。 腹落ちする答えや解決法が直線的に出ない ときって、体におもりをぶらさげてるようで なんだかずっとスッキリしないし、 気持ちが落ちてるときに、いい答えなんて 浮かんでくるわけがないのに、気づけば ついグルグル同じことを考えてまた ネガティブスパイラルに「あ~れ~」と 陥っていく。。 そんなときは、問
部活帰りでクタクタなはずなのに、 ご機嫌の15歳の娘は、箸が転んでも 楽しいお年頃。 青春真っ只中の、娘の話の内容は 推し 7割 友達 2割 部活 1割 といった感じなのですが、楽しい 話題の間に、ちょくちょく悩みを 挟んできたりして、葛藤も垣間見えたり。 「最近、サーブが全然入らなく なっちゃってスランプなんだよね、、 年明けは全部キマるくらい絶好調 だったのになー」 あー、もうそれ、めっちゃわかる。 私の経験上、部活に限らず、人生全般に おいて「絶好調な時期」っ
「幸せなはずなのに、実感が足りない。」 「いつまで経っても幸せになれない」 肌感覚で、そう感じてる人は多いように 思うのですが、私はというと、日頃の 些末なことに振り回され、感情はまるで 波のように揺れてア~レ~な毎日。 感情をうまく調整できる「つまみ」が あればいいのに。 幸せといえば、国連が発表した「世界 幸福度ランキング2022」で、日本は 54位と、先進国の中で最低だったという 結果を知りました。 昔の殿様より、はるかに便利で快適、 飽食で豊かな生活を送れている
女性は、ある一定の年齢を超えると、 「年齢は単なる背番号です!」 なんて言い出しがちだけど、それに対して 「そうだそうだ!」ってどこかホッとする のと同時に、背番号でも何でも、それを どう解釈しようが自由なのに、なんとなく 違和感が拭いきれず、ぬるっとした感情の 自分がいます。 「年齢は単なる背番号」だと自分で主張 するのは、ちょっとした強がりというか、 自己防衛のように思えるのは私だけ? 年齢は背番号でも何でもなく、単なる年齢 でしかないのに、理屈をこねまわして 何
書道家の武田双雲さんが、仲間の方々と 『優しさ』について語っておられる 動画の中で、『優』という漢字の字源について 説明されているのを観て、なるほどなーと 思ったことがあります。 双雲さんによると、『優』という漢字は 『人+憂』の組み合わせで成り立っていて、 『憂』のみだと『憂いてる人』を表し、 つまり、『優』というのは『憂いてる人』に 『人』が寄り添ってる姿を表しているのだとか。 「そうか、優しさって寄り添うことか!」 と、しっくりきたのと同時に、寄り添う対象 って、
友人に、神崎さんの熱狂的ファンがいるので 話にはよく聞いていたし、もちろん私も インスタくらいはフォローしていたので、 世の中には年齢不詳の美しい人がたくさん いるんだなぁ。。程度の認識でいたのですが、 数年前のNHKプロフェッショナルで 神崎さんの密着をみて、サバサバした 男っぷりのいい美女で、働く姿もめちゃ めちゃかっこよくて、一気にファンに なりました。 通常ならインスタは、ざーっと流し見する 程度なのですが、その日はなんとなく 神崎さんのインスタ投稿に目がとまり、
まだ寒かった日の、朝の出来事。 最寄りの駅で、 「落とされましたよ!」 と、私がうっかり落とした手袋の片方を 若い女性がにっこり微笑みながら手渡して くれたことがあり、 一日のうちで、特にせわしない朝の 時間帯、通りすがりの私に、こんなに ゆったりと優しい笑顔を添えてくれる なんてまるで女神様のようだわ、、と うっとりしながら手袋を受け取りました。 その若い女性のおかげで、朝から清々しい 気分で過ごすことができたわけですが、 見ず知らずの人に、天使のような笑顔で 人を
少し前に、元職場の後輩から 「え、お祓いとか行かない人ですか!?」 とびっくりされて、逆にびっくりした のですが、まず結論から申しますと、 これまで1度も『お祓い』というものに 行ったことがありません。 「ブログとかやってたら、毎日色んな人の念を 受けて大変じゃない?お祓い行ってる?」 と言われたり、 前職では、お祓い好きな人が多かったので 「厄年だから厄払いに行ってきた!」 「最近悪いことばっかり起こるから、また お祓い行こうかな。。」 など、しょっちゅう耳にし
会社員をやめてから、その時その時 伝えたい!と思ったことや、誰の役にも 立たないことを、世に発信するような ことを細々と続けてきたわけですが、 私は●●の専門家です!! ということを堂々と言えず、何者でもない 自分が一体どこに向かってるのか 自分が一番よくわかってなくて、 モヤモヤして苦しいと思う時期が ありました。 同時に、何かの媒体で紹介して頂く際、 インフルエンサーが直面しがちな、 「肩書きどうするよ?問題」なども モヤモヤの一因になっていて、 「うーん、無職み
令和になって頻繁に見聞きするようになった「自己肯定感」というニューワード。(実はずっと前からあるらしいですが) 「今の自分に満足するな!まだまだ頑張りが足らん!根性でなんとかしろ!」 という自己否定から始まる「昭和の根性論」と共に時代を歩み、心の竹刀を 自分にビシバシ振り回しながら生きてきた私は、「自己肯定感」という言葉を聞いた時、まったく 「え、どういうこと?」 だった。昭和→平成ではあんなに愛されていたはずの「竹刀ビシバシ根性論」は切り捨てられ、いつの間にか「あり
「夢や目標を持って生きよう!」というようなキャッチフレーズ(ポエム?)を見聞きすると、今だに「うっ」となる。 学校では何年もかけて、明確な夢や目標に向かって一貫性を持って頑張り続けることが素晴らしいことだ!という「呪い」のようなものをかけ続けられた。夢や目標は持って生きたい派だけど、強要されるとしんどい。 それは夢や目標が、「人生の最終目的地」として語られがちなのと、行き当たりばったりで好きなことをやっている、自分の一貫性のなさを否定されているような気持ちになってしまうか
今年の1月、またひとつ年を重ねた。 キャッチ―でパワフルな「アラフォー」というワードは、割と気に入っていたけど、アラフォーを名乗れる時間は残りわずかということに気づいてしまった。あまりに早すぎて、毎年、過去最高速度を更新している気がする。 だいたい85歳くらいまで生きると仮定して、今ちょうど折り返しを過ぎたあたり。かなり前から膝は痛いし、生え際に白髪を発見した時、(老いるショック!笑)自分は確実に死に向かっているということをはっきり自覚した。ブログだってもっとダラダラ書い