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どうして自分より人に優しくするの?

誰にでも優しく

誰にでも優しく。これが僕の信念でした。みんなからいい人だと思われていれば、人間関係でトラブルもなく、上手く生きることが出来ると思っていたからです。

どんなことであっても、自分より他人のことを優先させてきました。なんだかんだ言っても、この世界は義理と人情で出来ている。そう、信じていたからです。そんな僕に対して、世界は冷たく、厳しい仕打ちをしてくるのでした。

ある時、僕の会社にAさんを採用したのです。入社する前から、お金に困っていて、これまで仕事が出来ずに、家族からも責められていたそうです。

誰にでも優しくありたいと思い、何か力になれるのではないかと、雇うことを決めました。そして、色んなことに気を遣い、ちゃんと稼げるとうに配慮したのです。しかし、しばらくしてお金にゆとりが出来てくると、そのAさんは、急に態度を変えて、無断欠勤したり、他のスタッフと揉め事を起こすなどといった風にトラブルメーカーになってしまったのです。

僕は、自分よりもAさんの為にを思い優先してきただけに、許せませんでした。

この経験は、僕自身を長い間、苦しめるものになりました。それは、僕が信じていた信念を否定するものであったからです。誰にでも優しくは正しくないのかもしれない。優しくある自分は、ただのお人好しなのか。人はやはり信用してはいけないものなのか。そう悩むようになったのです。

自分の心の奥まで入り込んでみた

そんな時に、読んだ本は「嫌われる勇気」でした。本の内容は、もちろん感銘したのですが、そこに登場する「哲人」「青年」の会話から、青年が自分の心境をどんどん読み解いていくことに驚きでした。

自分と自分との会話も、その哲人と青年のように対話すれば、これまで見えなかった自分の心の奥まで覗くことが出来るのではないかと思いました。
そして、自分の勝手な想像ではありましが、僕自身もその青年になって、哲人と対話してみたのです。

(僕) 人に優しくあることは正しいことでしょうか?
(哲人)どうしてそう思うのでしょうか?
(僕) 人は、裏切ってしまうからです。(先ほどの話を)
(哲人)その人にどうして優しくしたのですか?
(僕) それは、僕が人に優しくすると決めているからです。
(哲人)どうして決めているのですか?
(僕) 誰だっていい人に見られた方が、徳であるからです。
(哲人)誰だってではなく、あなたはどうなのですか?
(僕) 人に良く見られたいに決まっているじゃないですか!
(僕) 人に良く思われないから、問題が起きるじゃないですか。
(哲人)本当にそうでしょうか?
僕は、これまでの自分をいい人であろうと努めていた時でも、トラブルや問題がおきていたことに気がつきました。いい人だろうか、関係なく起きてしまうのです。

このように、「嫌われる勇気」を真似して、書かせていただきましたが、自分と向き合うことは、このようにどんどん自問自答していくことで、自分の気持ちに気づくことが出来るのです。その後もどんどん自分の心境を深堀りすることが出来たのです。

僕は過去にいじめられた経験が、そうした思い込みを作り出していることに気がつきました。その原因が、自分自身がいい人で無かったことなんだと。こうして、人として何よりも礼儀正しくないといけないと、いい人でないといけないと自分に言い聞かせてきたのでした。

つまり、僕の自分よりも、何よりも他人を優先している理由は、相手に喜んで欲しいという親切心ではなくて、いじめられたくないという、ただの顔色を伺っていただけだと言うことだったのです。

ですので、どんなに自分が人に優しくあっても、それは、本心からくるものではなく、恐怖や不安を隠したいためであり、人は裏切るものだということを前提にしているからこそ、やっぱり裏切られたと感じる出来事をもたらしてしまったのでした。

そして、このことは、自分を優先させてもいいものだと言うきっかけを気づかせてくれたものでした。それは、また明日もう少し詳しくお話しさせて頂きます。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー


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