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人生の差は何故生まれる?

不公平を感じるのは

毎日、毎日こんなに我慢しながら苦労しているのに、世の中には、楽しそうに仕事をこなし、友達やパートナーにも恵まれて、自分らしく幸せいっぱいそうに生きている人は、確かにいます。

この世界に不公平を感じ、不安や不満を感じながら生きていました。

そんな風に思っていたのが、一遍したのは、ある人に、僕が羨ましいと言われたからでした。

僕は、過去に両親と決別しまいた。もう連絡先も、お互いにしらないし、何処で何をしているのかも分かりません。そこに、誰に何を言われようが、後悔がありません。しかし、このことは、人に言えるものでもありません。僕の中では、隠したい過去なのです。そんな状況をうらやましがる人が、現れるなんて夢にも思いませんでした。

その人からすると、親の小言を何一つ聞かなくて済むし、自由で羨ましいそうです。

確かに、僕は、自分の人生がとても、豊かに裕福に感じたこともありません。むしろ、先ほどのように、他人のことをいつも羨ましく感じるくらいだったのです。しかし、冷静になって、世界を見渡せば、僕は、何て恵まれていて、こんなにも毎日が温室の中で生きているのかと思われていても、間違いではなかったのです。

なのに、どうして、僕だけが苦労しているように感じて、こんなにも妬たんだり、ひがんだりしてしまうのか。時に、人はそのことで、恨んだり騙し合う環境だって作り出してしまう。過去の僕は、そんな自分の人生が嫌だと嘆き、死んだ方がましだと思うほどでした。

ものごとは突き詰めることで、見えてくると言われていますが、僕はある意味、ひがみ過ぎて、あることに気が付いたのでした。

自分が苦しんでいたのも、自分自身に呪いをかけていたのも全部、自分自身だったということです。

だって、自分が恵まれているか、貧しいかなんて、決めるのは自分自身なんですから、そして、それを現実に持ち出すのも、自分自身なんです。

ここまで、周りはどこを見るのかで大きく見え方は変わってしまうものであるのです。そして、どこを切り取って、腑に落とすかなんて、他の誰でもありません。それも、全部自分自身が決めているのですから。

自分のことをどう思っている?

どんなに裕福に見える人でも、もしかしたら、抱えきれないほどの辛い過去を持っているのかもしれません。どんなに不幸そうに見えても、希望を胸に抱いて、毎日を楽しく過ごしているかもしれません。それは、どんなに周りから見ようとしても、分らないものであります。人の心までは読むことはできないのですから。それは、また逆も然りで、自分の心は誰にも図ることはできません。だとするのなら、自分の心は自分にしか、分からないのです。

つまり、自分をどういう人間なのかと決めているのは、自分自身ということになります。

分かりやすく、自分のことをどう思っているのかを思い浮かべてみて下さい。僕は、自分を時よりどうしようもないくらいドジだと思っている時があります。そんな風に思っている時は、ドジばっかりしてしまうのです。ちょっとした計算間違いをしたり、数え間違いをして、仕事で大きな失敗をしたこともあります。気がついたら、忘れ物ばっかりします。大事なことを忘れてしまうこともあります。僕は、自分がドジな性格だと認識しているから、この出来事を認識して、記憶しているのです。

いつのことかは、忘れましたが、僕は何をしても上手くいっているときがありました。その時は、自分がドジなんて微塵も感じませんでした。そしたら、本当にドジが直ったのでした。ミスもしなくなったのでした。しかし、周りは冷静で、僕がそう思っている時も、簡単な計算間違いや忘れ物をしていたそうです。僕はただ、認識していなかっただけなのです。

つまり、僕は自分がドジだと意識するから、現実問題、ドジなことを認識しているのです。

それは、つまり、人生の差も同じなのです。自分が不幸だと意識するから、不幸だと認識してしまうものなのです。つまり、現実を作り出しているのは自分自身だと、ここでも言えることが分かりました。

だから、自分自身が何を意識していくのかをコントロールすることが出来ると、現実も、思い描いたものに変えられるということです。

いつかまた、これをもう少し深く掘り下げていきたいと、思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー


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