喜びを感じられるのは
僕は時々、凄く弱気になってしまうのです。目の前の課題から逃げ出したくなる時があります。誰もが、苦しくて辛いものは苦手であることくらいは分かっているんです。逃げても、課題が目の前から消えてしまう訳でもないことも分かっています。でも、どうしても避けてしまうのは、自分の弱さとしか言いようがありません。
人は常に何かしらの悩みを抱えているといいます。だからといって、いつもいつも、悩みと向き合うことなんて、到底不可能なんだと思ってしまいます。
確かにそんな風に思っていました。
ですが、あることを知ったときに、自分の中で腑に落ちたことがあり、少し勇気が湧きました。
本日は、それをお伝え出来たらと思います。
生きることは辛いことばかり
人生は良いこともあれば悪いこともある。例え、
何者でもない僕の人生であっても、言うことが出来るのです。でも、それは、今この瞬間が幸せだから言えることではないかと卑屈になっていた時期がありました。
今この瞬間、苦しみや悩み、悲しみに打ちひしがれている人にとっては、人生と言うのは辛いものだということしか認識することが出来ません。辛い気持ちのときに、人生を振り返ってみたって、苦しみしかなかったではないかと思えて仕方ないのです。
僕は過去に、人生のどん底だと感じている時がありました。どんなに、前を向こうと思っていても、気持ちが塞がってしまうのです。
これまで、幸せに感じていたことも喜びを感じていたことも、全部失ってしまったような感覚に陥ってしまうのです。
全ては自分の責任であることは分かっていました。ですが、誰かのせいにしないと自分を保つことすら出来ませんでした。そうして、何とか持ち堪えるためについた言動や行動が、また周囲の人を傷つけてしまうのでした。そんな自分が哀れで愚かで情けなく感じてなりませんでした。
僕が生きているだけで、誰かが嫌な思いをする。そんな風に考えてしまうと、自分には、どうしても価値がないと感じてしまうのです。そして、人と関わらないように、自分の殻に閉じこもってしまうようになりました。ですが、僕は、自ら心をふさいだのに、孤立したことに物凄い苦しみや悲しみを感じていました。
生きていくことは辛いことばかりだと、確かにあの時は感じていたのでした。
苦しみが生まれるのは
こんなにも、自分を責めて、こんなにも辛い気持ちになったことはありません。生きていれば辛いことばかり。この時ほど、自分の人生に絶望したことはありませんでした。
人の記憶と言うものは、とても曖昧なものです。冷静に人生を振り返れば、良いこともあったはずなのに、生きていては辛いことばかりであるはずはないのに、今この瞬間が辛いと、過去も未来も全部辛いと思い込んでしまうのです。
どうして、こんなにも辛い気持ちになってしまうのか、考えたことがあるんです。ですが、どれだけ考えてみても、答えは出てきませんでした。
ですが、10年前くらいに出版された著者岸見一郎さんの「嫌われる勇気」を読んだ時に、凄く納得することが出来たんです。
全ての悩みは、対人関係の悩みである。
簡単に説明すると、もしも、この宇宙に自分ひとりしか存在しなかったらどうでしょうか。そこには、競争もなければ嫉妬もあるはずがありません。だって、比べる対象が、誰一人として存在していないのですから。だから、孤独も感じないのです。本の言葉を借りるのなら、人は、自分を疎外する他者の存在があって、はじめて孤独を実感するものであるということ。はじめから本当にひとりであれば、孤独は生まれないのです。ですから、悩みや辛い気持ち、悲しみも感じないのです。
ただ、原則として生きる上で、本当にひとりであることは絶対に不可能であるのです。人間は母体から生まれるもので、赤ん坊の頃は、何ひとつ一人では、何も出来ない状態なのです。その時に、他者の存在を認識することは必然であるといえるのです。その瞬間に社会がうまれるのです。多くの場合は、母親にはじまり、父親、兄弟と、そして、成長するにつれて家族以外の人と関わり合うことで社会は広がっていくのです。
それに伴って、悩みや苦しみも複雑化していくものであるのです。
そうだったんです。自分の駄目な部分を悲観することも、将来が不安でしかたないことも、全てはこの社会で生きるからこそです。自分ひとりだけなら、なにひとつ悩み苦しむ必要もないのです。この社会に生きるからこそ、様々な苦悩にさらされる。
自分と言う存在だけなら、悩みは存在しないのです。ですが、生まれた瞬間から他者からは逃れらることは絶対に出来ない。つまり、全ての悩みは対人関係にあるものであるのです。
こうした理解で間違いないと思います。
つまり、こうして僕自身が悩み辛いと感じるのは、全て、対人関係であるのでした。このことを知り、辿り着いた先が、自分と自分との関係に大きな問題を抱えていることに気が付くことが出来たのです。
そこから、僕の人生に光が差し込むようになったのは、間違いありません。
全ての言葉の背後には
話は変わるのですが、言葉と言うものは面白いもので、捉え方を変えてみると、同じ言葉であってもまるで解釈が変わってくるのです。同じコインであっても、表から見た時と、裏の面を見た時と、コインの見え方がまるで変わるように。必ず言葉の背後が存在するのです。
例えば、意気地なしの自分が嫌いだというは、勇気ある自分は好きだと捉えることだって可能であるということです。ネガティブな言葉のはずが、ポジディブに変換することだって可能なのです。
先ほどのアドラーの言葉にも背後があると、後に説明されていたんです。全ての悩みは対人関係の悩みである。その言葉の背後にあるものは、全ての喜びもまた、対人関係の喜びであると。だから、目の前にある解決しないといけない課題に立ち向かわなければいけないと。
はじめに、人生は山あり谷ありといったのも、実は谷があるから山があり、山があるから谷があるものだというのです。波も同じように考えられるのです。
つまり、悩みや辛い思いをしているからこそ、僕らは喜びや幸せを感じられるものだということであるのです。
そう言われれば、僕自身だって、今こうして生きていることをしみじみ実感することだ出来るのも、周りの人に感謝の気持ちでいられるのも、好きなことをしようと心がけられるのも、あの時に、人生がどん底だと思えた経験をしたからであって、生きていることは辛いことばかりだと嘆いていた過去があったからだと思えたのです。
人との繋がりもそういうことなのです。繋がるということは、良いことばかりではありません。時に苦しくも辛いものになる時だってあるのです。ですが、それもこれも全ては、自分にとって喜びを味わうためであるのです。
そう思うと、どれだけ苦しくても、辛いものであっても、目の前の課題に向き合うことが大切であると思うことが出来るようになったのでした。
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メルシー
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