「わかってほしい」が心を狭くさせる
自分を分析できない人は
自分が何をどうしたいのか。どうしてそうしたいのか。自分の内面を意識して、分析することが出来ない人は、人の気持ちを理解して、共感することは難しいものです。
それは、どういうことなのかというと、脳は決して、自分を超えることはないからです。それは、自分が見たり聴いたり経験したことしか、脳は知り得てはいないからです。
僕は、あの数々の賞を獲った「ドライブ・マイ・カー」を、未だ観れていません。だから、決して批判するものではありませんが、この映画の内容に共感することも無ければ、感動することもありません。内容が頭の中をよぎることもありません。誰かと内容を共感することも出来ません。
それは、当然のように思われるかもしれません。でも、観たことがないからその知識は持ち得ていないのです。脳がどこか勝手に情報を集めてくれる訳でもありません。全部、自分が見たり聴いたり、経験したことでしか、記憶しないからなのです。
だから、自分が何をどうしたいのか。自分の気持ち。自分の考えたこと。自分が行動したこと。その中でしか、人に対しても共感することが出来ないのです。つまり、自分の価値観の中でしか、他人を測ることは出来ないのです。
ですので、完全に誰かのことを理解することは不可能だということです。だって、自分とその相手の、考えてきたことも、感じていることも、これまで経験してきたことも、全く同じではないからです。これを、しっかりと僕らは認識し理解する必要があります。
そして、それは、相手の方も同じなのです。なのに、どうしてなのか、ぼくらは、人に理解してもらいたいという欲を出してしまいます。
「どうして、親は、僕のこと分ってくれないのだろう。」
「どうして、みんなは、僕の気持ちを分かってくれないんだろう。」
過去の僕は、不平不満でいっぱいでした。怒りや憎しみまで感じていました。時には、暴言や心にもない言葉を、大切な人達に投げつけてしまったこともありました。
それは、僕がまわりの忠告も聞かないで自分勝手に決めて、ブラック企業と呼ばれる会社に、いつまで経ってもしがみつき、身も心もボロボロになってしまい、重度のうつ病を患ってしまって入院した時でした。
うつ病の苦しみを、家族は理解してくれませんでした。面会に来ては、ネガティブな発言であったり、塞ぎこんでしまう僕に対して、家族は、当り前のように、元気をだせだとか、もっとしっかりとしろと、しつこく言ってきたのでした。
家族が帰って行ったあと、僕はいつも悔しさでいっぱいでした。どうして、ここまで、理解してくれないんだって。どうして、あんな平気なことが言えるのかって。次第に悔しさが憎しみに変わったのです。
そして、我慢しきれなくなった僕は、ついに、家族の前で暴言を吐き、暴れたのでした。家族は、もう来なくなりました。そして、僕は大切なものを失ってしまったのです。
振り返ってみると、それは、当然の出来事だったのです。家族は誰一人として、うつ病を経験したことがなくて、初めて向き合う病気だったからです。家族はどうにかして、僕を元気付けたいと思っていたかもしれません。必死で僕を心配し、必死で元気を出して欲しいと言葉を並べていたのかもしれません。
しかし、自分を理解して欲しいと、強く願っていた僕は、周りの気持ちや想いも見えないほど、心を狭くしてしまったのです。
誰かに理解してもらうこと
今日のお話しは、決して、人に自分を理解してもらえないから、そんなことをこれっぽちも思ってはいけない。とか、人を理解しようとしてはいけないということを断言するものではありません。
人に理解してもらいたい、分ってもらいたいと思うのは、人の常。あって当然の気持ちなのです。自分のことを理解してくれていると感じることは、これほどまでにって思うほど、心強いものはありません。人生を歩むのに、ひとりでは不可能なことはいっぱいあるものですから。
心の味方はいつだって必要であるのです。
そして、誰かを応援することもまた、自分の心を広くして穏やかにしてくれるものです。誰かを理解しよという気持ちもまた、人生にとっては必要不可欠なのです。
そこを完全にそぎ落としてしまうことは、心を亡くしてしまうことだと思います。でも、完全に理解し合うことは不可能なのです。ですので、僕らは言葉を使います。
相手の心が分からなければ、あなたの心を理解したい。だけど、今の僕にはわからないんだ。だから、教えてほしいと伝える必要があるのです。
もし、あの時の僕が、自分の気持ちを話すことが出来て、家族の気持ちをちゃんと聞くことができていたら、あんな辛い目にはあっていなかったのではないかと思ってしまいます。たらればではありますけど。
最後に僕の好きな言葉をひとつ送りたいと思います。
「人に好かれたいのなら、先ず自分が相手を好きになろう。そして、何よりも自分を好きになろう。」
理解することも同じです。
だから、僕はよく小説を読みます。あらゆる人の気持ちや想いが言葉になっているのですから。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー
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