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すべてが「私の一部」

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#エッセイ

愛犬『ラック』①

愛犬『ラック』①

父が他界し、確か…その1年後に死んだ愛犬『ラック』。この犬との出会いから死ぬまでの間、たくさんの思い出があります。

そう、

家族になった動物は、たくさんの思い出を残してくれる。

笑い話から涙がちょちょ切れる話まで…。

言葉を発しない生き物だからこそ
こちらがたくさん想像し想いを汲み取る。

「動物に感情なんてあんの?」
「動物に想いなんてあんの?」

と思われる方…

「あると思います!」

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「アル中ばあちゃん」②

「アル中ばあちゃん」②

 私が摂食障害になった原因の一つに、切っても切り離せないものが【アル中の祖母がいた家庭で育った】ということがある。

摂食障害の克服に向けて進み始めた頃、幼少期を思い出せば出すほど私は、母への怒りが込み上げた。なぜか、祖母への怒りはほとんどなかった。

そして、大好きな母を苦しませたアル中の祖母のことを、心から嫌いになることもできなかった。

 私は、学校から帰ると両親が営んでいた店の向かいにある

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「アル中ばあちゃん」①

「アル中ばあちゃん」①

 私は生まれた時から、家にアル中の祖母が居た。後に聞いた話、祖母の飲酒は小学生の頃から始まっていたとか、大失恋した祖父が勢いでアル中の祖母と結婚し物凄く後悔したとか、3人目の妊娠を知った時「もう子供はいらない」と橋から川へ飛び込んだとか…。

飲んでは暴れ、飲んでは近所の人に迷惑をかけ、飲んでは「殺せ」「死んでやる」「化けて出てきてやる」だのと騒ぎ、私たちを苦しめた祖母の知らない過去もまた、何とも

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「お父ちゃん」④

「お父ちゃん」④

そんな父の葬儀、それはそれは派手だった。葬儀屋の部長だかオーナーだか分からないけれど、偉い人が葬儀を終えて母にこう言っていたらしい。

「私はチャンスを頂くことができました。私がやりたかったことでした。」

と。

 今では、葬儀屋さんがあちこちにあって、お通夜も葬儀も自宅で行うのではなく斎場で行う家庭が増えている。田舎であればあるほど、風習や“しきたり”なんかがあって、斎場を使うことに抵抗を示す

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「おとうちゃん」③

「おとうちゃん」③

 父は、母と結婚できないのであれば店を継がずに出て行くと言い、半ばかけ落ち状態で母と結婚したらしい。店を拡大した時、家を建てた時、愛犬の家を作ってあげた時、父のこだわりがあちこちに散りばめられていた。そう、何にでも自分の想いを込めていたんだと思う。

それは、「これって必要?」と疑問に思うことや「お金かかるから辞めておこう」と思考で気持ちを黙らせてしまうようなことばかりだった。

例えば…

この

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「お父ちゃん」 ②

「お父ちゃん」 ②

 こんなこともあった。父が他界した後のことだった。銀行へ用事があって行くと職員さんから話しかけられた。「あなた、もしかしてあのお店の娘さん?」と。私はそうですと答えると、

「実は私、お父さんによくしてもらったんです。お父さん、あの温泉街で修行していたことがあったでしょ。あの時、私は7才くらいだった。みんながズボンにベルトをしていて私はそれがカッコよくて羨ましかった。すると、「これ使えよ」って自分

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「お父ちゃん」 ①

「お父ちゃん」 ①

 父は中学卒業とともに温泉旅館が多い場所で[魚のさばき方]などを修行し、祖父と祖母が営んでいた店を引き継ぎ拡大させ、スーパーと小さい宴会場と大きな宴会場を切り盛りしていた。

 人生半ば、父は43歳で他界した。癌と告知を受けた時は「もって1ヶ月」と医師に言われたらしいが、3ヶ月という時間を私たちにくれた。他界した後に、母をはじめ、色々な大人たちから数々の父の話を聞き[自分が知らない父]を知った。

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「お母ちゃん」

「お母ちゃん」

 私は、アル中の祖母がいる家庭で育った。思い出されるのは、暴れる祖母から逃げ車の中に隠れたこと、近所の人に荷物用の一輪車に乗せられて帰ってくる祖母の姿をただ見ていたこと、首を吊ろうそする祖母を泣いて止める母の姿、そんな祖母に対して怒り机を蹴飛ばす父の姿、排便しながら暴れる祖母の後始末をする母の姿、大人が大きな声を出しているのを2階で聞いていた姉と私、目つきのすわった祖母にビクビクしながら過ごした私

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