追憶
鼻の奥が痛くなるほど冷たい空気。
目を凝らせば浮かび上がる星空。
私は夏より冬の星が好きだな。
そんな事を思いながら吸う煙草の白い煙。
キンキンに冷えた指先。
トナカイみたく真っ赤になる鼻。
あぁ冬だなぁ。
昔の事を思い出した。
まだ中学生だった私。
マフラーで口元まですっぽり覆って歩いた。
私しか知らないあの場所。
特別美しくもないあの景色。
誰も気に留めないような光景。
私はそこがたまらなく好きだった。
線路の向こう側に見える町並みと行き交う車。
星空がよく見えた。
雪が積もるとより美しかった。
今でも時々思い出す。
懐かしい匂いがする。
高校を辞めて初めてのバイト。
毎日1時間歩いて通っていた。
大きな川やパチンコ屋の明かり。
道端に1本だけ佇む桜の木。
大好きな曲を聴きながら歩いた。
不思議と怖くなかった。
歩く事が好きだった。
冷たい朝の澄んだ空気。
肌を撫でる柔らかい夜の空気。
排気ガスと潮の匂い。
流れる音楽とうるさい車の音。
私の青春の全てのような日々。
ほんの少しだけ住んだあの街。
大好きだった商店街。
沢山の人が行き交う。
どこからか夕飯の匂いがする。
小さい子どもが走っていく。
公園で遊ぶ子どもたちのはしゃぐ声。
忙しそうに買い物袋を下げて歩く人。
自転車を押して通り抜けていく主婦。
パン屋さんの前は温かくて香ばしい匂い。
揚げ物の匂いが漂ってくる。
色々な匂いが混ざり合う。
薄暗くて落ち着くあの喫茶店。
少し無愛想な店員のお姉さんが好きだった。
外の騒がしさがうっすらと聞こえる。
なんだか居心地がよかった。
街全体が懐かしい匂いで満たされている。
ふと涙が出そうになった。
私は曲と思い出を結びつけて記憶している。
音楽を聞いて歩くことが多いせいだろうか。
曲と結びつかない記憶は次第に消える。
忘れていても曲を聞いて蘇る記憶もある。
記憶と一緒に匂いを思い出す。
似ているようで少しずつ違う。
柔らかくてあたたかい匂い。
鋭くて冷たい冬の空気の匂い。
騒がしくて少し寂しい夜の街の匂い。
潮風と生ぬるさが混じった夜の匂い。
どれも懐かしい気持ちになる。
大切な記憶と匂いたち。
ふとした瞬間に思い出す。
なんとなく空を見上げる。
どんなに周りの環境が違っても変わらない空。
いつも静かに広がる暗闇とそこで瞬く星。
なぜか安心する。
少しだけ前向きになれる。
落ち込んだ時や悩んだ時は空を見る。
星も月も見えなくても曇ってても。
雨でも雪でも朝でも夜でもなんだっていい。
果てしなく広くて絶対に届かない。
けれどいつだってそこにある。
その存在だけで自分の小ささを思い知る。
その美しさだけで気持ちが上向きになる。
そんな気がする。
そうやって私は私を保っている。
過去に囚われないように過去を振り返る。
空っぽな今から目を背けて未来へ進む。
今を生きながら過去に思いを馳せる。
過去の箱を大事に抱えて生きる。
そうやって私は生きていく。
これからも、きっと。
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