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どうしても「死にたい」なら死んでも良いと思う。でも、もっとほどほどに生きてもきっと大丈夫だよ



死ぬのは簡単

 思春期のころ、生と死についてよく考えた。

 そうやねん、厨二病に罹患してたんだ。みんなもそうだよね?一回通るよね?えっそう言ってほしい不安なってきた。

 死ぬのって案外簡単だよな。と


 ご飯を食べなければ死ぬし、息をしなければ死ぬし、ベランダから飛び降りれば死ぬし、道路に飛び出せば死ぬし、なんならバナナの皮で滑って転んで頭の打ちどころが悪ければ死ぬ。魔界村でももうちょい死ににくいわ。


 生きてることの方が貴重で奇妙で奇跡だと思う。


 一生懸命生きている人、流されるまま生きている人、適当に生きている人、みんな本当に偉い。生きているだけで凄いよ。

 あ、でも生きてるだけで丸儲けとは思わないよ。なんも儲かってないよ。こちとら税金払ってばっかりだよ。


中途半端な完璧主義

 私は中途半端な完璧主義だ。

 完璧を求めて基本的にはなんでも丁寧にやり過ぎて効率が悪いんだけど、ちょっとでもミスやうまくいかないことがあると、「あ、全部もう良いや」って放り投げてしまう。

 そして、うまくいかなかった自分を責める。どうして自分はうまくできないんだろうって。自分はダメなやつだって。自分ばかり責めてしまう。

 じゃあ他人を責めろよって話ではない。

 自分ばかり責めなくても大丈夫だよ。自分にもほどほどに優しくしてあげてほしい。


 自分をとにかく責めてしまう性格のせいで、以前の記事でも書いたが、高校を中退してしまった。そして抑鬱になった。


 しばらく苦しい期間を過ごしたんだけど、精神的な谷底から這い上がったきっかけとしては、考え方を変えたことが大きい。

 私は、高校生までの自分を「死んだ」ことにして、新しい人生を始めたことにした。


 そしてこう考えてみた


 「死ぬのはいつでもできるな」「もうまじで首が回らなくなったら首吊ろう」「自殺の名所検索しとくか」「和歌山の三段壁死にやすそうだな」


 いつでも逃げ道があるんだ、と考えるようになると、すっと生きるのが楽になった。

 ポジティブは技術だって誰かが言ってた。本当にそうだよ。


 自分ばかり責める性格はまあ今も完全には治ってはいないんだけど、だいぶ自分に優しくできるようになった。そうしたら人にも優しくできるようになったように思う。


死にたい人へ

 本当に死にたい人に対して、無責任に「生きろ」なんて簡単に言えない。その人にしかわからない辛さがあるはずだ。外野からとやかく言ったって
「あんたなんかに俺の気持ちがわかるかよ」
で一蹴だと思う。


 わかるわけないよ。他人なんだから。


 そして、そこまで追い詰められた人はどんな人の言葉も届かないの知ってるから、まだ大丈夫な人はよく覚えておいて欲しいな。



 本当に辛くてどうしようもなく死にたいのなら死んでも良いと思う。他人にとやかく言われる筋合いはない。
でも、もっと適当に気楽にほどほどに生きたってきっと大丈夫だよ。



 自ら死を選んでしまうことは悲しい。そういう人がすこしでも減ってくれれば、という思いは私も変わらない。


 しかし、数回選ぼうとしたことがある自分は、そうなる気持ちが痛いほどによくわかる。つらいよな。これから生きても楽しいことがある気がしないよな。


 無理に生きようとしなくてもいい。
でもだからって死ぬのはもったいないよ。いつでも死ねるんだから。死んだように生きてたっていいよ、と、思います。


8割ぐらい仕事こなしていれば 大丈夫社会でやっていけるよ 完璧人間なんて一握り
ハッピーで ポンコツで 最高な この感じ
全人類に広まれば ハッピーポンコツインザワールド


ハッピーポンコツ / キュウソネコカミ



 あそうそう、あまりにも適当に生きるとカイジみたいになるからほどほどにね。


ど゛ほ゛し゛て゛な゛ん゛だ゛よ゛お゛お゛ぉ゛お゛




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