見出し画像

呪いと共に生きる

自分に対する期待って、呪いみたいやなーと思ったので
ちょっと書いてみます。

ここでいう呪いとは、ある道筋への強制というか、
そうなるように操作する、みたいなイメージです。

私には昔から、自分のことが可愛くて可愛くて
幸せでいて欲しい!と願う気持ちが強くあります。

それで、以下のようなことを想います。

できるだけ後悔のないように生きて欲しい、
損失ないように、モヤモヤしないように、

できるだけ迷惑かけないように、
周りにがっかりされないように、
恥をかかないように過ごして欲しい。

それで、うまくいくように見守ります。
うまくいっている証拠がないと、親のように心配します。

この子は皆さんの役に立っている、ちゃんと愛されている、
みたいなことが確認できると、安心します。

当人は、自分の思うようにやって事態がどう転ぼうと
ひとつの体験として迎え入れる力があるのですが

あまりに過保護なまなざしが続くと
特定のポジティブな流れ以外を「失敗」と捉え
自分を責めたり犯人探しを始めたりします。

何かの現象や、結果というのは
独立した単体のものからきているのではなく

それはもう環境とかタイミングとか周期とか
関わる人たちの脳内物質のバランスとか
いろいろな要素が織りなしているので

ほじくってもきりがないし
成り行きに対して「OK」とか「認めません」とか
言っても仕方ないのだと感じます。

個人を大切にする生き方が最も個人を傷つける
という言葉を聞いたことがあります。

個人って関わりの中に浮かぶ存在だから
どうしたってコントロールしきれない、
その辛さを言っているのだと思います。

だからって
「こうあって欲しい」を止めることは
私には難しくて

どうしようもなく期待しながら
期待通りでないことには文句言いながら
ぜんぶ味わっていくのだと思います。


この記事が参加している募集

最近の学び

最近の一枚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?