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ダグラムが完成させたリアルロボットのマーチャンダイジング
80年代リアルロボットブームについては、ガンプラを軸に過去記事で整理した。今回は、ガンプラブームの“フォロワー”であるダグラムにフォーカスして、リアルロボットブームとキャラクターモデルの在り方に果たした役割を再確認する。
何番手までがブームをつくったと言えるのか 筆者は、かつてあるマーケターに取材をした際、次のような言葉を耳にした。「ブームの仕掛け人というのは、実は3番手ぐらいまでが世の中に認知
発信される「模型づくり」の変遷
キャラクターモデルは、80年代のガンプラブームを経て、ホビーシーンのメインストリームに躍り出て、玩具的なアプローチから「リアル」をキーワードに「実在したら」という見立てのもとに進化してきた。製品のクオリティとともに、プロによる作例はさまざまな造形技術を駆使してホビーシーンを盛り上げた。
筆者のようなガンプラブームで模型デビューした世代は、そうした超絶技巧作例の洗礼を受けて、大いに刺激を受けたは
マーチャンダイジングが変えたスポンサーのあり方
アニメや特撮のテレビ番組において、マーチャンダイジング(おもに玩具やプラモデルなど)が権利者にとって大きな利益をもたらすビジネスとして成り立つ節目のひとつが、マルサン/ブルマァクによるウルトラ怪獣ソフビのヒットだった。しかし、当時の番組制作においてスポンサーの主流は、玩具メーカーや模型メーカーではなかった。
では、番組制作を支えた“燃料”を投下したスポンサーは誰だったのだろうか。80年代のリア
マルサン商店/ブルマァクの怪獣マーチャンダイジングがホビー史にあたえた影響②
前回は、第1次怪獣ブームのマルサン商店の怪獣ソフビのはじまり、そして後のホビー史に与えた影響について考えた。
今回は、その続きとして、マーチャンダイジングを通じた番組への関りを、マルサンとその後継であるブルマァクの取り組みから考える。
かつてのマーチャンダイジングのビジネス構造 当時のアニメや特撮におけるマーチャンダイジング(本稿では玩具やプラモデルなどの商品化)の構造を単純化すると、大き
80年代リアルロボットと団塊ジュニア〈番外編:子どもの小遣いと消費文化〉
1980年代のリアルロボットアニメブームは、80年代半ばに失速する。当然、ブームの中で盛り上がっていたキャラクターモデル(プラモデル)も売れ行きが低迷する。当時、小学生だった筆者は相変わらずの模型好きだったが、だんだんと少数派になっていく(趣味の世界に閉じていく)のを感じていた。プラモデルの出来は格段に向上しているのに。
では、離れていった彼らは何をしていたのか。大きな流れとしてファミコンの登
80年代リアルロボットと団塊ジュニア〈後編〉
1980年代のリアルロボットアニメとプラモデルの概略を時系列で追いながら、ガンプラブームを体験した団塊ジュニア世代の動向について、筆者の振り返りとともに考える。これまでの記事はこちら。
ラストは1984年と1985年を取り上げる。
まずは、1984年と1985年の概略を団塊ジュニアの視点もふまえて整理から。
1985年で区切った理由 80年代リアルロボットの動きを1985年までの区切りで考え
80年代リアルロボットと団塊ジュニア〈中編〉
前回同様、1980年代のリアルロボットアニメとプラモデルの概略を時系列で追いながら、ガンプラブームを体験した団塊ジュニア世代の動向について、筆者の振り返りとともに考える。
後編として1983年から1985年の3年間にフォーカスするつもりだったが、今回は「中編」として1983年に絞ったものをお届けする。1983年は、「リアルロボットアニメとプラモデル」をめぐる動きがとくに濃い一年。概略だけでも
〈コラム〉海洋堂が東京にやってきた!
このコラムは、僕の模型少年時代の記憶をもとに、当時のことを徒然なるままに記録したものである。
1984年7月22日、東京・茅場町に「海洋堂ギャラリー」がオープンした。憧れの「海洋堂」が東京にやってくる。「ホビージャパン」の広告で知ったと記憶しているが、小学6年生の僕は激しく興奮した。雑誌で目にする「海洋堂」の三文字は、はるか遠い大阪の地にあり、高価で精巧なガレージキットを販売する「聖地」であった
80年代リアルロボットと団塊ジュニア〈前編〉
「機動戦士ガンダム」以降、1980年代にはジャンルとして「リアルロボットアニメ」が確立した。それまでの主流だった正義のスーパーロボットは、戦隊シリーズなど特撮ものに受け継がれ、アニメーションの世界では、「実在しそうな設定」で展開される「リアル」なロボットが活躍するようになった。当然、ガンプラブームを受けて、各作品のプラモデルも登場する。
今回から前後編で、1980年代前半のリアルロボットアニ
ホビーシーンの転換点、ホビージャパンの「松本零士」特集とは?④
70年代後半にHJで3回にわたって展開された「松本零士」特集は、スケールモデル中心のホビーシーンに、「漫画を題材にプラモデルを好きに楽しんでいい」「架空の兵器やSFだって模型のジャンルだ」と、あらたな切り口を提案してきた。
そして時代は1980年代に突入、HJは1980年10月号で4回目の「松本零士」特集を組む。それは、過去3回からホビーシーンのあきらかな変化を感じさせる内容だった。
キャ
1970年代 アニメを取り巻く環境の変化
1970年代後半からのSFブームによってスケールモデル一辺倒だった模型とホビーシーンは変化の「きざし」を見せはじめた。今回は、その背景について、ホビーシーンから角度を変えて考察する。70年代後半から少し時間を巻き戻して、高度経済成長期後半から70年代はじめまでのアニメを取り巻く環境を探ってみたい。
スポ根アニメの終焉と本格的SFアニメの登場 高度経済成長期の後半、1960年代末から1970年代
ホビーシーンの転換点、ホビージャパンの「松本零士」特集とは?③
ここまで月刊ホビージャパン(以下、HJ)で組まれた2回の「松本零士」特集を読み解いてきた。最初はスケールモデル中心のホビーシーンに一石を投じる「異色特集」、次は松本零士の架空機を表紙にフィーチャーした挑戦的な企画だった。
そして、3回目は、いよいよ本格的にキャラクターモデルが前面に出てくる。タイミングは1978年の春、『機動戦士ガンダム』放映開始の1年前だ。
HJ誌上初、キャラクターモデルの