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80年代リアルロボットと団塊ジュニア〈番外編:子どもの小遣いと消費文化〉

 1980年代のリアルロボットアニメブームは、80年代半ばに失速する。当然、ブームの中で盛り上がっていたキャラクターモデル(プラモデル)も売れ行きが低迷する。当時、小学生だった筆者は相変わらずの模型好きだったが、だんだんと少数派になっていく(趣味の世界に閉じていく)のを感じていた。プラモデルの出来は格段に向上しているのに。
 では、離れていった彼らは何をしていたのか。大きな流れとしてファミコンの登場は大きな影響があっただろう。実際、ファミコンブームはリアルロボットアニメブームの失速と同時期に起こっている。
 今回は、“肌感覚”としてわかっている「そんな流れ」を、当時の子どもたちの小遣い事情、消費の変化などから確認したい。


意外にリッチ? 80年代の小遣い事情

 筆者は空前のガンプラブームの1981年、小学校3年生だった。わが家のルールでは、月の小遣いを学年×100円としていたので、月額300円である。1/144のガンプラ(ベストメカコレクション)をひとつ買ったらオシマイ。同じ1/144でもリックドムは当時500円だったから高嶺の花。実際には、父や祖父から駄賃をもらったり、拾った空き瓶を酒屋に持ち込んだりして補填していたが。しかし、これは個人のケースである。はたして世の小学生たちは、いくら小遣いをもらっていたのだろうか。
 
 そんな疑問にこたえるデータを見つけた。金融広報中央委員会(事務局 日本銀行情報サービス局内)という組織が1963年(昭和38年)から現在までの「家計の金融行動に関する世論調査」のデータを発表している。その中で「こどものこづかい額」という項目がある。そこから『機動戦士ガンダム』が放送された1979年から、『機動戦士Ζガンダム』が放送された1985年までの小遣いの変遷を抜き出してみた。

金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査[二人以上世帯調査](令和3年以降)」から筆者作成

 思ったよりも金額が高くて驚いた。筆者が300円の小遣いをやりくりしていた1981年、世の小学3年生は1,340円ももらっている。1/100のガンプラを買っても600円ぐらい余る。コミックボンボンを買っても、まだお釣りがくる。
 
 当時の小学生は月に1,000円以上の予算をもっていたわけだ。1981年から1982年までの空前のガンプラブームでは、誰も彼もがガンプラを求めていた。男子小学生の小遣いについて、その使い道の内訳は、筆者がそうであったように、ガンプラの購入がかなりを占めていただろう。1/144のガンプラなら、1か月に3~4個は買える。実際は品薄でいくつも買える状況ではなかったが。

コミュニティ形成と消費文化

 金額はわかった。では次に小遣いの使い道、つまり子どもの消費について調べる。いろんな資料を渉猟していたら、「子どもをとりまく消費文化の変遷にみる生活課題(奥谷めぐみ・鈴木真由子)」という論文を見つけた。その中で次のように書かれている。

(前略)1970年代は,子どもをとりまく消費文化が市場を形成し,あらゆる人がその市場に関わる環境が徐々に形成され始めた時期であったといえよう。インベーダーゲームや少年漫画のように,子どもたちが同じものを同じように欲求し享受していた年代である。消費文化が子どもたちのコミュニケーションの場に入り込み,子ども独自のコミュニティを作る基盤となっていたことが伺える。爆発的なヒットを記録した漫画やTVアニメの出現は1970年代後半からであり、マーケティングの層としても狙いやすい対象となっている。(後略)

出典:大阪教育大学紀要 第II部門第60巻 第1号 23~34頁(2011年9月)「子どもをとりまく消費文化の変遷にみる生活課題(奥谷めぐみ・鈴木真由子)」

 記述は70年代後半からについてだが、地続きの80年代も同様の流れだったことは確かだ。ガンプラも、週刊少年ジャンプも、そしてファミコンも、「消費文化が子どもたちのコミュニティづくりの基盤となっている」という指摘だ。
 80年代前半から中盤まで、筆者にとって、ガンプラ中心のキャラクターモデルは、まさにコミュニティ=遊びの中心だった。放課後、おもちゃ屋や模型店でガンプラを探して、誰かの家で集まってつくる。小遣いは、それを実現するための大事な予算だった。
 では、ガンプラブームの終息以降、キャラクターモデルから離れていった層は、どうなったのか。論文の指摘をふまえて、彼らのコミュニティを形成する「消費文化」がどう変わったか、ファミコンブームを軸に考える。

コミュニティで存在感を増す「ゲーム」

 80年代の半ば、ファミコンブームは、子どもたちの小遣いの使い方=消費をどう変えたのか。1979年から1985年まで、「小遣いの変遷」「キャラクターモデル市場の動向」「ゲーム市場の動向」を俯瞰してみよう。なお、小遣いの金額は、筆者が金融広報中央委員会発表データの小学生(1~6年)から出した平均値を記載している。

記事下部に掲載した参考文献・参考Webサイトから筆者作成

 1970年代後半、ゲーム市場の主役は、ゲームセンターや喫茶店などのアーケードゲームだった。1979年のスペースインベーダー(タイトー)が大ブームになったのは、ニュース映像や昔を振り返るテレビ番組などで見た人も多いだろう。消費文化として子ども層に浸透していく前の時期だ。
 1980年、最初のガンプラ発売と同時期に出たのが、任天堂「ゲーム&ウォッチ」。定価は5,800円と高価。小学生の小遣いなら約4か月分。もともと、サラリーマンの暇つぶしアイテムとして開発されたもので、ターゲットは、子どもではなかった。

 ガンプラのMSVが展開された1983年、ファミリーコンピュータが登場する。名前からして、家庭や子どもの遊びにゲームが入り込んできたことがわかる。当時、本体の定価は1万4,800円、ソフトは3,800円。本体の購入は小学生の小遣いでは厳しい。筆者のまわりでもクリスマスや誕生日のプレゼント狙いだった。ただ、ソフトは、小遣いをがんばって貯めれば買えないわけではない。また、友人とのソフト貸し借りでプレイバリューも広がる。
 この頃、ガンプラはマスとしてのブームは終わっていた。「同じものを同じように享受」したい子どもたちの消費文化と、それに基づくコミュニティは「ゲーム」主体に移行していく。
 ソフトの広がりはファミコンの価値をさらに高めた。アーケードゲームで人気のタイトルを移植。さらに自社だけでなくナムコ、ハドソンといったサードパーティも、アーケードゲームやパソコンゲームの人気タイトルをファミコンに移植した。

 1985年、劇場版完結以来、3年ぶりの新作ガンダムである『機動戦士Ζガンダム』の放送が始まる。その年、ファミコンは年間販売台数374万台を記録。ソフト『スーパーマリオブラザーズ』も大ヒット。子どもの消費文化のど真ん中は、ファミコンに移行していた。つまり、子どもたちのコミュニティを形成していたのは、キャラクターモデルではなく、ファミコンだった。
 
 このようにキャラクターモデル市場とゲーム市場の動向を見比べると、「子どもたちがどこに小遣いを投じていたのか」が見えてくる。あくまでも小遣いの平均値から類推した傾向だが、キャラクターモデルの低迷とファミコンの人気上昇は、とても対照的である。

まとめ

 繰り返しになるが、80年代半ば、キャラクターモデルの質は向上した。ガンプラブームでプラモデルの塗装や改造を知った、当時の年少モデラーたちは、アニメ作品がはじまる度、キット化された製品を手に取り、プラモデルの進化を感じていた。明らかに出来はよくなっていったから。しかし、それは模型好き、モデラーにとっての価値だった。
 80年代、子どもの消費文化の中心は団塊ジュニアである。マスとして大きな影響力をもつ団塊ジュニア全体にとっては、キャラクターモデルの出来が良くなることは、あまり意味をもっていなかったのかもしれない。
 というのも、「子どもをとりまく消費文化の変遷にみる生活課題」の指摘どおり、「同じものを同じように欲求し享受」するのが目的だったから。当然、消費文化のメインストリームがファミコンに移ったら、キャラクターモデルへの興味は低下する。
 筆者のまわりで多くの友人がガンプラに熱狂していたとき、キャラクターモデルに求めていたのは「出来の良さ」以上に、「共通の話題」「仲間意識」「同時代性」だったのかもしれない。

 ファミコン人気でキャラクターモデルが終わったわけではない。ブームが終わり、団塊ジュニアのマスはホビーシーンから去り、コアなファン層が残った。残った彼らは、キャラクターモデルにさらなる進化を求める。その頃、ホビーシーンのメインストリームに台頭してくるのがガレージキットだ。1985年に東京でワンフェス開催、マックスファクトリーやコトブキヤといった関東のメーカーが頭角を現すなど、1980年代後半、ホビーシーンは新たな局面を迎えることになる。


〈参考文献・資料〉

  • あさのまさひこ、五十嵐浩司著『'80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録』(竹書房)

  • 展覧会図録『日本の巨大ロボット群像』(ぴあ株式会社 中部支社)

  • 小山友介著『日本デジタルゲーム産業史 増補改訂版: ファミコン前からスマホゲームまで』(人文書院)

  • 大阪教育大学紀要 第II部門第60巻 第1号 23~34頁(2011年9月)「子どもをとりまく消費文化の変遷にみる生活課題(奥谷めぐみ・鈴木真由子)〉

〈参考Webサイト〉



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