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発信される「模型づくり」の変遷

 キャラクターモデルは、80年代のガンプラブームを経て、ホビーシーンのメインストリームに躍り出て、玩具的なアプローチから「リアル」をキーワードに「実在したら」という見立てのもとに進化してきた。製品のクオリティとともに、プロによる作例はさまざまな造形技術を駆使してホビーシーンを盛り上げた。
 筆者のようなガンプラブームで模型デビューした世代は、そうした超絶技巧作例の洗礼を受けて、大いに刺激を受けたはずだ。それ以前の模型趣味の世界で当たり前だった技術や材料を知り、さらに現在進行形で登場する新たな作り方や塗り方をマネした。今回は高度化が進む模型づくりに対して、当時のユーザー(とくに年少モデラー)がどんな関り方をしてきたのか、筆者の体験をふまえて振り返る。

80年代① プラモデビューの頃

 まずは個人的な経験から振り返る。ガンプラブームで年少者が最初に知った模型材料、それは塗料とパテだろう。
 模型趣味とは接点なく過ごしていた小学2年生の自分は、ガンプラブームで接着してつくる模型づくりを初体験する。そこで「プラモデルは塗ってつくる」ことを知る。ガンプラの説明書には、ランナーの状態で色が塗られていた。あれをマネして、組み立てる前の塗装を実践していた。筆も一本ぐらいで、薄め液は筆を洗うものだと思っていた。だから、塗料の瓶に直接筆を突っ込んで、濃いままで塗っていた。
 次に手に入れたのは、タミヤのパテだった。そもそもの用途を理解せずにパテを買った。友人の兄から「プラモデルの仕上げにはパテが必要」だと教えられたと記憶している。ここで言う仕上げとはパーツの継ぎ目消しだ。パーツの継ぎ目という継ぎ目すべてに、パテを指でなすりつけた。乾いたところで耐水ペーパーをかけた。思えば、耐水ペーパーも当時知って手に入れた“新しい”ツールだ。
 事前に塗装した上から継ぎ目にパテをなすりつけてヤスっているから、当然塗り直しが発生する。小学生の頃、そんなつくり方をしていた。

80年代② 改造への憧れ

 継ぎ目を消すにはパテが必須だと思っていたし、塗装は組み立て前にしないと信じていた。この段階でかなりの頭デッカチになっていたと思う。さらに「ホビージャパン」や「コミックボンボン」を読むようになり、「改造」を知る。プラモデルをそのまま作らないことに衝撃をおぼえた。誌面の作例は、自分の手元にあるプラモデルとは別物のカッコよさだった。
 バキュームフォームやヒートプレスと言った言葉も知った。熱したプラ板を型にはめて造形するテクニックだ。小学生の自分は、仏壇のロウソクを使ってヒートプレスにチャレンジしたこともあるが、もちろんうまくいかなかった。
 火であぶったランナーをのばす、その名のとおりの「のばしランナー」はできた。それをアンテナに見立てて、ザクのランドセル(と当時は言った)に貼り付けた。いじっているうちに折ったり、取れたりは当たり前だった。
 糸ハンダも印象深い。大河原邦男の描いたイラストでは、ザクやグフの動力パイプがアニメよりも目の細かいものになっていた。それを再現するために、ストリームベースの作例などでは糸ハンダを巻いて再現していた。これがカッコよかった。小学生の自分は、糸ハンダでなければアレは再現できないと思い込んでいた。しかし、どこで売っているかわからず、試したことはなかった。
 
 ザクの肩をハの字にカットしたり、フンドシをギャンのように別パーツにしたり、既存のキットをイラストにあわせてつくり直したり、「改造」にはなんとも言えない魅力を感じていた。そして、すばらしい改造作例の数々は、マネした年少モデラーの失敗作を数多く生んだだろう。その中から技術を磨き、成長したモデラー諸氏も多いはずだ。しかし、自分はドロップアウトしたタイプだ。身の丈にあった作り方で楽しむことを選択したが、常に雑誌作例への憧れを抱き、新しい造形材料や造型技術による「魔法のような効果」に取り憑かれていた。 


80年代③ マネできない超絶技巧の時代

 以前の記事でも触れたが、70年代後半から「複製技術」は、たびたび「ホビージャパン」の誌面で取りあげられており、のちのガレージキットの隆盛に続く流れとなる。

 もちろんガンプラブーム以前の話なので、ブームの頃にはパーツの複製は技術として確立されており、自作したパーツを複製して使用した作例も誌面を飾っていた。その代表格が、ストリームベースがつくったザクのパーツだろう。あの『HOW TO BUILD GUNDAM2』に掲載された黒い三連星の高機動型ザクにつかわれている。

 改造、複製、さらにはフルスクラッチなどの技術は、キャラクターモデルの進化に比例して高度化していく。80年代半ば以降、リアルロボットブームは沈静化するが、ホビージャパンの誌面や別冊には、ボトムズやエルガイムなどのキット化されなかったアイテムがフルスクラッチ作品として登場する。横山宏による『S.E.3.D』のオリジナル造形とストーリーは、アートともいえるテンションで展開された。1987年には、モデルグラフィックス誌で『ガンダム・センチネル』の連載がはじまり、ワークス体制という分業による造形や、デザインをロジカルに読み解いた作品が人気を博す。
 中学生になっていた筆者は、それらの作品に圧倒される。もちろん、製品のクオリティも向上していたが、誌面に登場する「徹底改修」作例は、製品レベルを上回るインパクトがあった。模型づくりの鍛錬が足りないと言われればそれまでだが、誌面で目にする作例の数々は、もはやマネしようと思えるレベルをはるかに超えていた。同じように感じた同世代人はいないだろうか。

 80年代、専門誌が提案したキャラクターモデルの技術や造型の高度化は、自分を含む未熟なユーザーのある種のアンコンシャス・バイアスを生んだと考える。「あの材料を使わないと再現できない」「ここを改造しないといけない」「このキットはここを改造するのが必須項目」といった、プロの作例への憧れからの思い込み。プラモデルをつくるハードルを自分たちで上げてしまった。基礎体力もないのに。

90/2000年代① 「プラモ大好き」と「マスターグレード」

 ホビージャパンの誌面でプラモデルづくりを楽しむ、原点回帰ともいえる連載企画がスタートする。「MAX渡辺のプラモ大好き!」(1989年1月号)である。以前、筆者はMAX渡辺から次のように聞いたことがある。

「あの頃は、みんな暗中模索で間違いだらけの模型製作をしていた。それが『プラモ大好き!』の連載に至ったのです。工作でも塗装でもやることが増えたし、やりたい人も増えた。しかし、作例の文章と結果画像だけでは伝えきれない」

 まさに「プラモ大好き!」は、筆者のような頭デッカチになっていた層に向けた企画だったと言えるだろう。1992年、連載をアップデートした『スーパーモデリングマニュアル MAX渡辺のプラモ大好き! 1【初級編】』(HJ)が刊行される。翌1993年4月には【上級編】が刊行。モデラーとしての基礎体力をつける参考書である。
 1994年、ホビージャパンにて、「究極のガンプラを作る」の連載が始まる(1994年11月号~)。これは、今も続くガンプラのシリーズ「マスターグレード(以下、MG)」開発過程を紹介する連載だった。このマスターグレードに、筆者は「改造しなくていい」プラモデルが発売されると感動したことをおぼえている(筆者は成人していたが、恥ずかしながらそれぐらい「プラモデルは改造前提」という思い込みが強かった)。

 もちろん、MGの製品も改修・改造作例は誌面を飾るわけだが、ユーザーの視点は少し変わったのではないだろうか。その表れの一つが、エアブラシによるグラデーションで立体感を表現する「MAX塗り」の流行だろう。造形はキットを活かして、塗装で楽しむことの提案。その初出は、1995年10月に発表されたMAX渡辺による1/100 MG「RX-78 ガンダム」だと筆者は記憶している。MAX塗りの呼称自体は、1/100 MG「RX-78GP01フルバーニアン」(1998年4月号掲載)が初出。これは、MAX渡辺が塗装を手がけた作例で、「白立ち上げ」のMAX塗りによるものだ。その2年後、MAX塗りはHJ 2000年1月号で巻頭特集「すべて見せますガンプラ・スーパー塗装講座」でテクニックの詳細が紹介され、大きな反響を呼ぶ。

 「プラモ大好き」で基礎から応用までプラモデルづくりの適切な知識と技術が発信された。そこに90年代半ばの時点でマスプロダクトとしてのクオリティを高めたMGのガンダムやザクが登場して、大改造の呪縛は解かれた(と、筆者は感じた)。さらに、MAX塗りという手段もキットの楽しみ方として一役買っている。
 その後も、ホビージャパンでは、さまざまな切り口でユーザー視点の企画が展開される。「MAX渡辺の実戦!プラモ道場」(1999年2月号~)、「MAX渡辺&大越友恵の女子プラ!」(2000年10月号~)、「加藤夏希&MAX渡辺 無敵ホビー派宣言!」(2003年2月号~)といった連載企画だ。こうした動きを俯瞰すると、誌面の切り口としてユーザー視点に重点が置かれてきた、ある種の節目が見えてくる。

90/2000年代② 簡単フィニッシュという提案

 キャラクターモデルのクオリティはさらに向上する。ガンプラに関しては、前述のMGはもちろん、スタンダードサイズのハイグレード、さらに1/60スケールのパーフェクトグレードが登場する。成形色で色分けを再現して、接着剤も使わずにハイクオリティな造形が手に入る。
 
 こうした製品のポテンシャルを活かした特集が、ホビージャパン1999年4月号で組まれる。それが「ガンプラ簡単フィニッシュ法大全集」 だ。MAX渡辺、山田卓司、あげたゆきを、一戸寛といったライター陣を講師に「成形色を活かして仕上げるお手軽テクニック」を紹介した企画である。「模型の楽しみを改めて考えてみると」と題された前文を少し引用する。

(前略)せっかく買った模型ならちゃんと完成させたいもの。でも実際には面倒な作業も多いし、時間だってそんなにとれないって人も多いのではないでしょうか。そんな人にお贈りするのが今回の特集、題して「簡単フィニッシュ法大全集」! 面倒な作業を全部スっとばして、巣組み状態から仕上げだけをしてしまおうという企画なのです。

出典:ホビージャパン1999年4月号

 この特集の最大のポイントは、誰もがマネできることだろう。筆者は、80年代後半の模型誌の作例に、「もはやマネしようと思えるレベルをはるかに超えていた」と書いた。しかし、この簡単フィニッシュはマネできる。これは技術レベルを下げたわけではなく、クオリティの上がった製品だからできる、新しい楽しみ方の提案である。

 この特集の延長にあるのが、アルコールマーカー「コピック」による仕上げだ。月刊モデルグラフィックスの2003年12月号に「“コピック”でガンプラをカッコよく塗りたい」と題して、MAX渡辺がテクニックの詳細を実例を挙げながら紹介している。筆者も実際にマネして、その手軽さと効果に驚いた。なお、HJのライバル誌にMAX渡辺が登場したことにもとても驚いた。

 一連の成形色を活かした簡単フィニッシュは、製品のポテンシャルを活かした方法論である。それ以上に価値があるのは、再現性の高さでユーザーの模型づくりのハードルを下げたことだ。筆者のような80年代アンコンシャス・バイアスにとらわれていたブームの生き残りにとっては、目からウロコが落ちたような感覚があった。

まとめ:時代の要請がどこにあったのか

 80年代のガンプラブームから2000年代の簡単フィニッシュまでを駆け足で、個人の体験をふまえて振り返ってきた。
 時代ごとにすばらしい作例に刺激を受けてきたし、それらの輝きは変わることはない。ただ、筆者が“ユーザー”として80年代に感じていたのは、「こりゃ、作れないわ」という憧れからくる「諦め」だった。そういう中で模型づくりの根本的な楽しみ方を見失っていたように思う。だから、MG以降のクオリティの高い製品の登場、簡単フィニッシュの手法などは、模型のおもしろさを思い出すきっかけになったと感じている。ただ、大人になってからの完成品は少ないので十分に実践できていると言えないのだが。
 
 プラモデルづくりの技術とユーザーの関りを時系列で追うと、時代の要請がどこにあったかが見えてくるのではないだろうか。
 80年代はキャラクターモデルの造形が、理想に向けて進化した時代であり、造形材料も技術も革新的な変化があった。専門誌も既製品には「ないもの」をつくることで、キャラクターモデルの価値を高めた。ユーザーはそこに啓発され、知識と仕入れて技術を磨いた。しかし、そのレベルの高さゆえについていけない、あるいは雑誌作例と同様につくらないといけないと思うユーザーが出てきた、というのが筆者の見立てだ。
 時代が経過して、キャラクターモデルのクオリティがあがれば、それを活かした楽しみ方を提案でき、ハードルも下げられる。そうすれば、オトナになったガンプラブーム体験者たちの出戻りも期待でき、市場にもプラスになるだろう。こうした動きは、その後のメーカーや製品の多様化にも関わってくるはずだ。


〈参考文献〉

  • 月刊「ホビージャパン」1999年4月号

  • 月刊「モデルグラフィックス」2003年12月号

  • 『マックスファクトリー全仕事』(ホビージャパン)


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