80年代リアルロボットと団塊ジュニア〈後編〉
1980年代のリアルロボットアニメとプラモデルの概略を時系列で追いながら、ガンプラブームを体験した団塊ジュニア世代の動向について、筆者の振り返りとともに考える。これまでの記事はこちら。
ラストは1984年と1985年を取り上げる。
まずは、1984年と1985年の概略を団塊ジュニアの視点もふまえて整理から。
1985年で区切った理由
80年代リアルロボットの動きを1985年までの区切りで考えたのには理由がある。
まず、1985年は、ガンダム初の続編となる『機動戦士Ζガンダム』が放映開始となったタイミングだからだ。あさのまさひこ・五十嵐浩司著『'80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録』(竹書房)では、マスプロダクツとしてのプラモデル展開をふまえて「リアルロボット」ブームを1984年で一区切りとして書かれている。その視点は、同書を読んで理解できた。
ただ、筆者はリアルロボットの時代をこじ開けたガンダムを起点として、続編の登場がどんな意味を持っているのか、そこまで考えてみたいと考えた。リアルロボット路線が続く中、ガンダムが再登場した(もしくはしなければいけなかった)背景があるはずだ。
もう一つの理由は、1985年に団塊ジュニア(1971年~1974年生まれ)の半数が中学生になったから。筆者自身、1972年生まれで団塊ジュニアど真ん中、1985年には中学1年である。あの当時、中学生になれば、アニメやプラモデル(あるいは玩具)から“卒業”するものが出てくる。当時、ヤマトやガンダムが社会現象を起こそうが、まだまだ「アニメは子どものもの」という先入観は強かった。分母の大きな団塊ジュニアとリアルロボットアニメの距離感がどうなっていたのか、自身の経験もふまえて検証したい。
脱・リアルロボットアニメの傾向
〈1984年〉
2月、『聖戦士ダンバイン』の後番組として『重戦機エルガイム』放送が開始される。富野由悠季作品としては、『戦闘メカ ザブングル』から三作連続となる。メインスポンサーは、引き続きバンダイ。
3月、MSVのNo.25として1/144「MS-06Fザク・マインレイヤー」が発売される。かつて『HOW TO BUILD GUNDAM2』で渡辺誠(現:MAX渡辺)が制作した機雷散布ポッド付きザクの1/144キット化である。このキットのセールスポイントが、ノーマルのランドセルをつければ「普通のザク」がつくれること。実質、1/144「量産型ザク」のリメイクだった。
4月、バンダイから1/144「重装備エルガイム」が発売される。
同月、テレビ東京系列で『巨神ゴーグ』が放映開始。安彦良和が、原作・監督・キャラクターデザインなどを担当。スポンサーはタカラ。
また、オーガスに続く超時空シリーズの『超時空騎団サザンクロス』も放映開始。プラモデルは、イマイ、アリイ、エルエスの3社で展開される。
5月、第23回静岡プラスチックモデル見本市でガンダムの新企画が発表された。富野由悠季による小説『逆襲のシャア』とMSVに続く新たな模型企画『MS-X』だ。前者は、続編『機動戦士Ζガンダム』の企画に移行する(同名映画とは別内容)。後者は、その後の商品化とのバッティングをふまえて企画自体が中止となる。
同月、『超時空要塞マクロス』や『超時空世紀オーガス』、『特装機兵ドルバック』などをスポンサードしてきたタカトクトイスが倒産。倒産時にスポンサードしていた『超攻速ガルビオン』も中途で放送が打ち切りとなった。
7月、劇場版『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』が公開される。テレビアニメの総集編ではなく、完全新作。劇場版のプラモデルは、アリイから1/100「バトロイド・バルキリー」のパッケージ変え、従来のバルキリーに新規でストライクパーツを追加したものなどがリリースされた。当時、残念ながら映画によってリニューアルされたメカ群はキット化されていない。
9月、MSVのN0.32として1/144「MS-14Bジョニー・ライデン少佐用 高機動型ゲルググ」が発売。これもマインレイヤー同様、1/144「ゲルググ」のリメークを兼ねている。なお、頭部の造型は、モデラー・草刈健一が担当している。彼は『ホビージャパンヴィンテージ VOL.5』のインタビューで次のように語っている。
MSVの商品企画や設定には、ストリームベースの小田雅弘が深く関わっているのは、本人の書籍やさまざまな媒体でも知られるところだ。草刈は「ゲルググのキットを完全リニューアル」という小田の狙いを指摘する。リアルロボットアニメを支えるメーカーの体力が失われつつあった1984年でも、ガンダムのプラモデルではマニアックな企画開発が進んでいた。
10月、日本テレビ他で『機甲界ガリアン』が放映開始。スポンサーはタカラ。中世のファンタジー的なロボットアニメ。
また、テレビ朝日系例では、『超力ロボ ガラット』がスタート。スポンサーはバンダイ。同作はロボットコメディアニメだった。
同月、ホビーシーンに大きな事件が起きる。月刊「モデルグラフィックス」の創刊(1984年11月号)である。HJから編集者とライターがモデルグラフィックス誌へ移籍する(事実上の引き抜き)。
12月、バンダイからMSVの最終作として1/100「パーフェクトガンダム」が発売される。「コミックボンボン」連載『プラモ狂四郎』に登場したガンダムで、企画当初のMSVに求められた「リアル」路線とは一線を画す商品だった。
また、月末に出た月刊HJ 1985年1月号では、渡辺誠(現・MAX渡辺)による『ナツロボ 懐かしのロボットヒーローたち(後に懐ロボ)』が連載開始。記念すべき第1回は、元祖スーパーロボット「マジンガーZ」だった。
『超力ロボ ガラット』のコメディ路線、MSVを締めくくった1/100「パーフェクトガンダム」の立ち位置、そして『ナツロボ』…… 1984年の終わりに脱・リアルロボットアニメ的な動きが顕在化してきている。
〈団塊ジュニアの視点 1984〉
1984年、筆者は小学6年生。リアルロボットアニメでは、エルガイムとガリアンを見ていた。劇場版マクロスは自由が丘の映画館に見に行った。当時はシネコンではなく入れ替え制でもないので、映画館で連続鑑賞。小6でもリアルロボットアニメへの興味は失っていなかった。
つくっていたプラモデルは、やはりMSVが中心。マインレイヤーとジョニー・ライデンのゲルググは、決定版のザクとゲルググだと思った。小田雅弘の思わく通り(?)のリアクションである。
一方、友人たちの好みは変化してきた。模型趣味の仲間からは、ロボットアニメのプラモデルからタミヤのRCカーへと移行しはじめた者もいた(自分もプラモデルと並行して興味をもった)。ファミコンは遊びの中で中心になっていた。自分のまわりの小遣いの用途が、玩具や模型からファミコンソフトやレコードへ移っていったのもこの頃だった。
新たなガンダムとOVAの広がり
〈1985年〉
2月、OVA(オリジナルビデオアニメーション)『銀河漂流バイファム 消えた12人』が発売される。レンタルビデオが一般的になる前だ。高価なOVAを買えるのは、コアなアニメファンが中心。マスに向けた地上波アニメではなく、明らかにターゲットを絞った商品だった。
3月、『重戦機エルガイム』の後番組として『機動戦士Ζガンダム』が放映開始。ガンダムの映像としては、1982年3月公開の劇場版『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』以来、3年ぶり。スポンサーは、もちろんバンダイである。同月、OVAで『幻夢戦記レダ』と『メガゾーン23』が発売となる。
4月、Zガンダムのプラモデル第一弾として1/144「RX-178 ガンダムマークII」「RMS-106 ハイザック」が発売となる。
同月、TBS系列で『超獣機神ダンクーガ』放映開始。また、劇場版『戦後魔神ゴーショーグン 時の異邦人』が公開される。どちらもスーパーロボット路線への回帰を感じさせる作品だった。
7月、日本テレビ他で『戦え! 超ロボット生命体トランスフォーマー』が放映開始。米国アニメの日本版。制作は日本の東映動画。脱・リアルロボット路線が続く。
8月、バンダイから1/144「 Zガンダム」発売。変形はせず、モビルスーツ形態での商品化だった。
同月、OVA『装甲騎兵ボトムズ ザ・ラストレッドショルダー』発売。ボトムズ初のOVAでテレビシリーズの13話と14話の間を描いた作品。しかし、タカラから本作のプラモデルが出ることはなかった。
9月、OVA第2弾『銀河漂流バイファム “ケイトの記憶”涙の奪還作戦』発売。
10月、バンダイから1/100「 Zガンダム」発売。こちらは変形を実現。エルガイムの1/100シリーズで展開された「フルアクション」シリーズとして位置づけられていた。
同月、日本テレビ系列でサンライズ製作のリアルロボットアニメ『蒼き流星SPTレイズナー』放映開始。同じく日本テレビ系列でスタジオぴえろ(現・ぴえろ)製作の『忍者戦士 飛影』が放送開始。
さらに、OVA第1巻『戦え! イクサー1Act.I 』発売。平野俊弘の監督デビュー作。巨大スーパーロボットとして「イクサーロボ」が登場する。
1985年、リアルロボットアニメ全体が失速する中(レイズナーも諸事情で打ち切られる)、「ガンダム」のブランドは強かった。キャラクターモデル市場をけん引してきたバンダイとしても、カンフル剤として「新しいガンダム」を必要としていたのは間違いない。
〈団塊ジュニアの視点 1985〉
『機動戦士Zガンダム』の放送開始となった1985年、筆者は中学1年。ガンプラから離れた仲間たちも、ガンダムの続編は気になっていた。『機動戦士ガンダム』のテレビ本放送が終わってから5年、劇場版の完結から3年。いま思うと意外と短期間ではある。
OVAは、身近ではなかった。まず、セルビデオは高くて中学生では手が出ない。前述のとおりレンタルビデオも一般的ではなかった。筆者のまわりで個人営業の店はあったと記憶しているが、OVAまでは揃っていなかった。たまたま、『装甲騎兵ボトムズ ザ・ラストレッドショルダー』は、友人の誰かが手に入れて見た記憶があるが。
客観的に団塊ジュニアの行動を振り返ると、Zガンダムもそんな爆発的なブームにはならなかったと思う。団塊ジュニアとリアルロボットアニメ/キャラクターモデルの距離感は、1985年段階でかなり広がっていた。
80年代リアルロボットはキャズムを越えたか?
まとめとして、少し視点を変えて80年代リアルロボットアニメとキャラクターモデルを総括したい。
企業が製品やサービスを世の中に普及させていためには、越えなければいけない「キャズム(chasm)」が存在している。キャズムとは英語で「深い溝」という意味。経営コンサルタントのジェフリー・ムーアが提唱した「キャズム理論」で知られるようになった。初期市場とメインストリーム市場の間には深い溝があるという考え方である。
※キャズム理論の詳細は、ジェフリー・ムーアの書籍や以下のサイトなどを参照のこと。
ガンプラは、1981年の映画化を機にキャズムを越えてメインストリーム市場へと広がったと考える。ガンプラにおけるイノベーターやアーリーアダプターは、テレビ放映時に熱狂したが10代後半から20代前半の学生・若者層層、HJのライターなどが該当する。アーリーマジョリティやレイトマジョリティには、団塊ジュニア=当時の年少者たちが含まれるだろう。
ガンダムに続く、ダグラムやボトムズ、ザブングル、マクロスなどのプラモデルは、ガンプラブームの余波もあってキャズムを越えたかもしれない。しかし、いいところアーリーマジョリティ止まりだったのではないだろうか。団塊ジュニア当事者の感覚としては、レイトマジョリティまで届き切ったかは疑問が残る(自分はハマっていたが)。
そして、多くの80年代リアルロボットのプラモデルは、キャズムを越えられなかった。イノベーターやアーリーアダプター、言い換えれば1983年にその概念が顕在化した「おたく」層は評価しても、一般化はむずかしかったと考える。
やがて80年代半ばに思春期を迎えた団塊ジュニアたちの多くは、リアルロボットから離れていく。分母の大きな団塊ジュニアを擁したメインストリーム市場へのキャズムは、当時のメーカーの想像を超えて大きくなっていたのかもしれない。
まとめ 〈1984年~1985年〉
機動戦士ガンダムが切り拓いた80年代リアルロボットアニメとプラモデルのムーブメントは、ホビーシーンを大きく変えた。玩具の延長であったキャラクターモデルの造型を変え、製品レベルで表現を変えた。ありていに言えば、プラモデルの「出来」は80年代の数年でかなり向上した。
では、キャラクターモデルの出来が向上したのに、団塊ジュニアの多くは80年代半ばにプラモデルから離れてどこに向かったのか。大きなルートのひとつは、ゲームだろう。1983年のファミリーコンピュータの登場は、キャラクターモデルのガンプラと同じようなインパクトがあった。ファミコンは、キャズムを越えて家庭用ゲーム機の市場を大きく開拓した。
次回は、ゲーム市場との対比から、ホビーシーンの移り変わりを検証する。
〈参考文献〉
あさのまさひこ、五十嵐浩司著『'80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録』(竹書房)
展覧会図録『日本の巨大ロボット群像』(ぴあ株式会社 中部支社)
『ホビージャパン ヴィンテージ VOL.5』(ホビージャパン)
ジェフリー・ムーア著『キャズム Ver.2: 新商品をブレイクさせる「超」マーケティング理論』(翔泳社刊)
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