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ダグラムが完成させたリアルロボットのマーチャンダイジング

80年代リアルロボットブームについては、ガンプラを軸に過去記事で整理した。今回は、ガンプラブームの“フォロワー”であるダグラムにフォーカスして、リアルロボットブームとキャラクターモデルの在り方に果たした役割を再確認する。


何番手までがブームをつくったと言えるのか

 筆者は、かつてあるマーケターに取材をした際、次のような言葉を耳にした。「ブームの仕掛け人というのは、実は3番手ぐらいまでが世の中に認知される」 このときのテーマは、ホビーシーンとは関係のない「カフェブーム」の話だった。しかし、この理屈はホビーシーンにキャラクターモデルが台頭してきた80年代の流れを考えても、当てはまるのではないだろうか。

 アニメとマーチャンダイジング(としてのプラモデル)の関係において、ガンプラブームがその嚆矢となったのは間違いない。そこには、メカデザイナー・大河原邦男のイラストや書籍『ガンダムセンチュリー』におけるスタジオぬえの仕事、そしてホビージャパン等で活躍したライター(モデラー)の超絶技巧の作例などが、「リアル」をプラモデルの世界に持ち込んだ。

 そこに、先ほどの理屈をあてはめると「リアル」を体現した二番手、三番手となる作品が果たした役割も大きいはずだ。『太陽の牙 ダグラム』は、まさにガンプラがアニメ世界から拡張してきた「リアル」を意識した作品であり、タカラ(現・タカラトミー)から発売されたプラモデルは、最初からユーザーの求める「リアル」をパッケージしていた。つまり、ダグラムはリアルロボットブームを形作る役割として、もしかしてガンプラ以上の発明をもたらしたのではないだろうか。

 以下は、『太陽の牙 ダグラム』を軸にアニメとプラモデル、そして関連メディアの概略を時系列でまとめたものだ。

1981年10月~1983年12月(各種資料から筆者作成)

 文字が小さいので要点をまとめる。

  • タカラのSAK(スケールアニメキット)、とくに1/72の展開は、ロボット(コンバット・アーマー)以外も多数あり、さらにTVアニメの終了後も(劇場版を挟みつつ)バリエーションの製品化が続いている。

  • 『デュアルマガジン』という独自メディアを立ちあげ、メーカー主導の「リアル」の提案も行う。

 改めてこうした流れを俯瞰すると、ダグラムこそ「リアルロボット」のあり方を完成させたのではないか? と筆者は感じる。ダグラムが完成させた「フォーマット」と「メディア戦略」の2点から、もう少し考えてみたい。

作品世界を拡張したプラモデルのフォーマット

 筆者が、1/72SAKのダグラムを手に入れたとき、何に感動したかと言えば、製品にちりばめられた「絵」だった。箱絵(ボックスアート)は、砂ぼこりにまみれたダグラムで、各所にマーキングが施されていた。説明書に掲載されていた「メカニカルワールド」という大河原邦男によるカラーバリエーションのイラストは、砂漠にあわせた「デザートカラー」だった。キットも、頭部の風防はクリアパーツで再現され、デカール(水転写シール)もついていた。この一箱に「リアル」が詰まっていた。

 さらに、コンバットアーマーだけではなく、装甲車やヘリコプター、ソルティック(H8 ラウンドフェイサー。本稿では当時のようにソルティックと表記する)を運ぶマベリックなどもプラモデル化され、そのスケールモデルのような佇まいにしびれた。

 こうしたダグラムの製品開発の背景には、先行していたガンプラブームの影響があるのは言わずもがな。大事なことは、こうした発想が「後付け」ではなく、企画段階から織り込まれていた点。そこでのキーワードは「ジオラマ」だったという。

 『太陽の牙 ダグラム』の監督・高橋良輔は、本作の企画にあたって「ロボットを売る」ことを強く求められていた。ガンプラのヒットを受け、プラモデルの広がりを考えていく中で、戦車やジープといったミリタリー世界を演出する脇役たちに目を付けた。高橋は、タカラで企画開発に携わっていた泉博道との対談の中で、次のように語っている。

「プラモデルの広がりを見せるなら、ジオラマだろう」と。ロボットを手に持って遊ぶのではなく、シチュエーションをつくることが、ロボットを売ることに繋がるんじゃないかと思ったんです。

出典:『太陽の牙 ダグラム メモリアルブック』(辰巳出版)

対談相手の泉博道も「ジオラマ」はメーカーとして狙っていたと話す。

ロボット単体だけでなく、周囲のメカも購入してもらって、世界が広がっていくというのはわかっていましたので、1/72、1/48という国際スケールにしたんです。

出典:『太陽の牙 ダグラム メモリアルブック』(辰巳出版)

 ガンダムも1/144、1/100という国際スケールを採用したが、それは開発の結果であった(300円の箱に入るサイズがちょうど1/144サイズだった。このあたりの事情は、猪俣謙次・加藤智著『ガンプラ開発戦記』(アスキー新書)に詳しい)。しかし、ダグラムは最初からそこを狙っていた。

 劇中の描写もガンダム以上にミリタリー色が濃くなり、それを再現する遊び方を前提とした製品開発がなされていた。説明書にあったカラーバリエーションの提案も、デカールで再現された注意書きも、先行していたガンプラが「製品外」でプロが手がけて表現していたものを最初からプラモデルに盛り込んでいる。ジオラマ発想も含めて、作品世界を拡張した模型の楽しみ方を提案したダグラムのSAKによって、リアルロボットのキャラクターモデルにおけるフォーマットは完成した。

 なお、成形色変え&デカール付属の1/100「リアルタイプザク」が発売されたのは1982年2月である。ダグラムのSAKが1981年の年末に発売されている点からも、「リアル」仕様のマスプロダクトとして、実はダグラムの方がガンプラよりも先行していた。見方を変えれば、SAKの仕様が、1983年に始まるMSVにも影響を与えたともいえるだろう。

メーカー主導によるメディア戦略

 最近、ビジネスの世界に「サービスデザイン」という考え方がある。サービスデザイン自体、いくつかの側面を持っているが、その概略としては「ユーザーは製品の機能だけではなく、製品を入手する前から使用した後までの流れを含めて価値を見出す」といったところだ。

 今回、ダグラムとその周辺を調べていく中で、筆者はSAKの功績としてサービスデザイン的な観点での戦略があったのではないかと考えた。前半に書いた通り、ダグラムは、最初からロボット(プラモデル)を売るために計算された企画開発が行われている。ジオラマの楽しみ方もサービスデザイン的と言えるが、さらに重要なのは情報の発信、パブリシティにも力を入れていたことだ。当時の言葉で言えば、メディアミックスが近い。

 ダグラムが、前例のガンダムから学んだことのひとつが、メディア戦略だろう。ガンプラブームには、模型専門誌「ホビージャパン」が大きく貢献しているのは定説。また、年少者のユーザーを開拓した「コミックボンボン」も大きな役割を果たした。つまり、第三者による情報発信がブームに拍車をかけた。

 タカラは、それを自社で立ち上げた。季刊『デュアルマガジン』という「ホビーマニュアルブック」だ。ダグラムは、SAKと並行して完成品のデュアルモデルも展開していた。その両方に関する情報発信の場として、この『デュアルマガジン』は機能した。

 実は、ダグラムは既存のアニメ雑誌からの評価が低かったという。前述の対談で泉博道は以下のように話している。

既存の媒体では『ダグラム』の情報を十分広められていなかったと感じていたので、「もう自分のところでやるしかない」と急きょ立ち上げて。こちら側ですべて情報をコントロールできましたし、それを望んでいるファンも随分いてくれたので、これに関しては大成功だったと思います。

出典:『太陽の牙 ダグラム メモリアルブック』(辰巳出版)

 結果論だったかもしれないが、自社媒体で情報をコントロールするという点は、明らかにガンプラを超えた発想だ。もちろん、バンダイにもPR誌「模型情報」はあったが(これはこれでユーザーには大切な情報源だった)、情報の質と量では圧倒的に『デュアルマガジン』の方がリッチである。ちなみに、模型文化ライター・あさのまさひこは、五十嵐浩司との共著『'80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録』(竹書房)にて、『デュアルマガジン』を「ダグラム版のHOW TO BUILD GUNDAMを季刊誌化したようなもの」と評している。

 『デュアルマガジン』で取りあげられたダグラムの特集は、ジオラマ(誌面では「ディオラマ」の表記)がメインだった。第2号から3回に渡ってジオラマの特集が組まれ、劇場版公開時にもジオラマを紹介している。まさに、製品企画段階からのキーワードであるジオラマを誌面でユーザーにプレゼンテーションしていたのである。これは、ダグラムに「ロボットを売るため」の一貫した戦略があった証拠で、そこからはサービスデザイン的な発想が読み取れる。

 バンダイが『B-CLUB』を立ち上げるのは1985年であり、ここでもまたダグラムがガンプラを先んじていたと言えるだろう。その後、『デュアルマガジン』は、タカラが手がける『クラッシャージョウ』や『装甲騎兵ボトムズ』のSAKにおいても情報発信の場として活用される。しかし、リアルロボットブームも落ち着いた1985年、創刊3周年を記念した第12号で幕を閉じることとなる。

40年後のダグラムから読み取る「DNA」

 リアルロボットブームのマーチャンダイジングを完成させたダグラムの戦略は、コアなファンの獲得に成功した。そしてダグラムで培われたタカラの「ロボットを売るため」の戦略は、後番組『装甲騎兵ボトムズ』へと引き継がれる。なお、ダグラムのSAKは、1988年に一部製品が童友社から再販された。また、タカラからも1995年と2000年に一部再販されている。

 その後、ダグラムが新たなプラモデルとして登場したのは、2014年1月。マックスファクトリー製プラスチックモデル第一弾としてCOMBAT ARMORS MAX「コンバットアーマー ダグラム」1/72が発売された。その後のシリーズ展開の中で注目なのは、各種コンバットアーマーのラインナップもさることながら、Jロックバギーや、太陽の牙セット(登場人物たち)のプラモデル化だろう。こうしたロボット周辺の製品化は、SAKが見せたジオラマ発想につながる。

 そして2021年、放送40周年を記念して高橋良輔監修のもと、スタートしたのが漫画家・太田垣康男によるコミカライズ『Get truth 太陽の牙ダグラム』だ。作中で描かれる新たな解釈を加えたコンバットアーマーも、マックスファクトリーから「Ver.GT」としてプラモデル化されている。2024年5月には、「1/35 ダグラム Ver. GT」も発売される。戦車をはじめとするミリタリーモデルでおなじみの国際スケールでのプラモデル化は、SAK企画当初の思想にもつながる。

 最新技術で開発される進化したプラモデルも、こうして見るとダグラム企画段階の“DNA”が見て取れる。冒頭「ブームの仕掛け人というのは、実は3番手ぐらいまでが世の中に認知される」というマーケターの言葉を引用した。ダグラムは、時系列こそガンダムに続く二番手であり、フォロアーかもしれない。しかし「リアルロボットの作品とマーチャンダイジングを完成させた」と捉えると、大きなオリジネーターとしての姿が浮き彫りになってくるはずだ。


〈参考文献〉

  • 『太陽の牙 ダグラム メモリアルブック デロイア革命 40周年記念』(辰巳出版)

  • あさのまさひこ、五十嵐浩司著『'80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録』(竹書房)

  • 猪俣謙次・加藤智著『ガンプラ開発戦記』(アスキー新書)

  • 展覧会図録『日本の巨大ロボット群像』(ぴあ株式会社 中部支社)


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