書くことが人生を肯定してくれた
「君のクイズ」という本を読んだ。
私的には、総括としてまあまあ…といった感想だったのだけど、
テレビとかでよくやっているクイズ番組に出るような人たちの頭の中をのぞき見しているようで、その点はとても面白かった。
ストーリーについては話しませんが、
クイズ番組で優勝を懸けた最後の一問。
主人公とたたかった相手が、問題文の1文字も読まれていないのに回答を口にして優勝。なぜ1文字も読まれていないのに正解がわかったのか…?というところを解き明かしていく本です。
◆
主人公は「クイズが僕の人生を肯定してくれた」という。
そう考えてみると、
わたしは「書くことが人生を肯定してくれた」と思う。
思えば、わたしは人並みにコミュニケーションをとって日々を生活しているけど、
喋ることより、書くことのほうが楽だな~~とたまに思う。
喋ることは好きではあるけど、それは決して不特定多数に対してではない。
かなり仲良くなってから(心を許している)人じゃないと、雑談が楽しいなってなかなか思えない。
なんというか、「わたしとの雑談、楽しんでくれてるかな~~」という思いが、どこか頭をもたげてしまうのだ。
だから会社の飲み会とかも結構苦手。笑
というか、大人数の飲み会がそもそも苦手。
うわべだ の会話だけしか出来ていない感じで、気をつかってしまうばかりになっちゃう。
なまじ、普段はニコニコして人の聞き役になることが多い。そしてしゃべりかけられたり、場の空気的に必要そうなら話したりもする。
でも、やっぱり一部の友人や先輩、家族、夫をのぞいては、書いてコミュニケーションしてるほうが楽だ。変かな。
だから、なんでも話せる友人たちとのお喋りはとても楽しいし、かけがえのない時間だと思う。
ずっと大事にしたいと思う。
◆
書くことが人生を肯定してくれた。
それは、学生時代も、社会人になった今も。
例えば、中高時代。
流行したプロフィールブックも、授業中にまわして楽しむ手紙も、メールも。
文字というツールを使ってわたしはそれらをわりとうまく使いこなした。
そして、それらをきっかけに友達がたくさんできた。
決して派手なタイプじゃなかったのだけど、浮くこともなく仲の良い友達に恵まれたのは
わたしがクラスの友達たちの好きなところとか、面白いと思ったシーンとか、そういうのを上記の手段で伝え、友人たちがそれを真っすぐな気持ちで受け取ってくれたからだったと思う。
大学時代はLINEが浸透して、
クラスのグループラインとか、
サークルのグループライン。
そしてTwitter、インスタ。
そういうのでやりとりをしたり、
投稿したりしていると、
こういうのをきっかけに友人ができることが多かった。
なんでしょう。普通はリアルなやり取りで仲良くなるんだろうけど、
わたしは最初にリアルで会って、
そこから文字を使ったツールから一気に仲良くなることが多かったのではないかなと思う。
うーん、そういうツールがなかったらそこまで仲良くなれなかった友人もいるような…
文字のツールをはさむと、本当のわたしを知ってもらえる気がする。
文字のツールを挟まないと、上部のするするした部分のやり取りの期間が多いと思う。
◆
書くことがすき。
節目節目にたくさん文字を書いてきた。
わたしにとってかけがえのない夫と出会って
仲良くなったきっかけも、
わたしが夫にわたしたメッセージカードがきっかけの一つだった。
夫は、私と違ってリアルなコミュニケーションに長けた人だ。
多分、わたしに文字というツールが与えられなかったら、
私の気持ちは届いていなかったのではないかとも思う。
◆
リアルな友達や知り合いとの文字ツールに飽き足らず、
わたしはネットの海をさまよい、遊び尽くし、
今はこうやってnoteを書いている。
読んでくださって、ありがとうございます。
ここに書いてる文章たちは、
いつも本当のわたし。
読んでくれている人がいる。ありがたいなあ。
ある意味、リアルなわたしより、ずっとわたしのことを知ってくれているみなさんへ。
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