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無駄なことは何もないと桃鉄で知った日



小学生のころは、ポケモンや牧場物語、どうぶつの森、トモダチコレクションなどゲームに精を出していたわたしだが、歳を重ねるにつれ次第にほとんどしなくなった。

大学生の頃はスマホゲームのパズドラが大流行し、友達みんながやっているので流れにのったがあんまり刺さらなかった。
適当にスマホをくるくるして楽しんでみるものの、漫画とか読んでたほうが自分は楽しいな…となり、疎遠になった。


社会人以降、自分の中のゲーム離れに拍車がかかった。仕事も忙しく、謎に生き急いでいたわたしは「ゲームなんてしている暇はねぇ」と思い、そこから7、8年はゲームとは疎遠になっていた。

ただ一つの例外は、コロナ禍でリングフィットが大流行したとき。
ミーハーなわたしは「リングフィットはゲームじゃない」と判断し、機器一式を揃えたものの約1カ月で挫折。リングフィットのリングの部分にほこりがかぶるという、典型的なパターンを歩んだ。

マリオなど他のゲームにそそられなくなったことに、わたしはアラサーにおいての「ゲームする体力」「ゲームに対する興味関心などの意欲」「ゲームを長時間する体力」が削がれていることを身にしみて感じ、若干さみしさも感じた。


一方で、ゲームをまさに「たしなむ」といった距離感で楽しむ人が身近にいた。

夫だ。

夫は、ゲーム、映画、読書を一定のスパンでその時々で楽しむ傾向がある。
一番身近な人がハマっているとさすがに影響を受ける。
そう、こんなにタラタラと言い訳がましく書いているが、桃鉄にハマった。

小学生時代にゲームをやっていた時に、姉とやっていたのが桃鉄だった。

わたしが小豆島を「しょうどしま」と呼ぶのだと学んだゲームである。それまで「こまめとう」と呼んでいた。小学校のクラスの友達は、わたしのこのばか丸出しの呼び方をどう思いながら聞いていたのだろう。


話は戻り、最近出た「桃太郎電鉄ワールド」を夫と二人、晩ご飯後にやっている毎日である。
桃鉄は各プレイヤーが「社長」となり、サイコロやカードを使って目的地へ行く過程で物件を買いあさるなどして、資産を積み上げていくゲームだ。

一つ一つのことに戦略を立て、頭脳戦で進めていく夫と、とりあえず出たとこ勝負のわたし。
わたしは大学生以降、
ちょっと小馬鹿にしていたゲームというもので自分の弱点、浅はかさを痛いほど身にしみることとなった。

桃鉄を通してわたしが身にしみて感じたこと。

その①出たとこ勝負が多すぎる。一旦立ち止まって考えることが必要。

とりあえずやってみて考える、は大切であり、わたしの長所でもあると思う。
でもスピード感は大事ではあるが、「立ち止まって考える」がないと、結果的に「時間をかけて戦略を立てて進む」人に負けてしまうことが往々にある。桃鉄のわたしと夫のように。

その②優秀な人の近くで学ぶ
夫がやけにこのゲームに強いので、理由を探ってみた。すると、このゲームの過去のシリーズで一人で遊んでいたときに、対戦相手のコンピューターを最強にして(このゲームなら佐久間名人)ぼこぼこに負けながらも、そのコンピューターの進め方を学び、自分に取り入れたのだそうだ。

なんか…自己啓発本で似たようなこと読んだ気が…。この人、自己啓発本に書かれてるようなこと桃鉄でしてる…。優秀な人の技を盗んで自分のものにしろみたいなことってちゃんと実践出来てる人おるんや…。


自分で模索するより(わたしに限っては模索することすら面倒くさがる)より、優秀な人の動きをみて学んだほうがいいよね…。


っていうのをですな、わたしは桃鉄で学んだんですよ。
もはや実体験で学んでるから、自己啓発本より身にしみて学んでいる感があるような…。


無駄なことは何もないなんてよく言いますが、
そんなことをひしひしと感じた夜でした。
桃鉄では資産が夫に1兆円以上差をつけられたので飽きる日も近いかもしれません。

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