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総理大臣になりたかった映画プロデューサー ~自己紹介~

初めまして!


カリフォルニア、ロスアンジェルスで映画作成を学びながら作品を作っています、22歳です。コロナのおかげで卒業が伸びてしまったので、ギリギリ現役の大学生。真宙と書いてまそらと読みます!グローバルな視点をもち、宇宙規模で活躍してほしいと願って母がつけてくれた名前です。 まだまだ映画を勉強中な私でも伝えられる事、パンデミックで『現地に出向いて知る』が困難な中、現地にいる私だからこそ書ける事、そして私のように映画界を目指す人たちを応援したい!! という思いからノートを始めてみます。よろしくお願いします!

新型コロナウイルスが最初にLAを襲ったのはもう1年以上も前ですが、未だにその影響は続いており、ハリウッド界は依然としてあのキラキラしたエネルギーと鬱陶しいほどの熱意がまだ完全に戻ってきていないように感じています。スタジオの新規採用は当分無し、ましてや撮影さえもできない時期もありました。この先どうなるんだろうと真剣に不安になる日々。そんな中、新年早々いくつか作品をプロデュースすることが決まり非常にうれしい反面、果たしてパンデミックの中でも映画は作れるのか?という新たな不安も生まれたり。このノートさえも書くかどうか半年迷ったのですが、葛藤したり悩んだり、決して生ぬるくないハリウッド映画界の実態をできるだけそのままお伝えすることで後に自分のモチベーションにもなれば嬉しいです!

記念すべき第一回目の今回は私の自己紹介をさらっと。自分のことを語るのはいつだって恥ずかしいですが、そもそもなぜアメリカにいるのか、そして私の人柄みたいなものがわかるような内容も盛り込んでみたいと思います!

突然ですが私のちっちゃい頃の夢は

総理大臣になりたい

だったんです。女性初の総理大臣。一番最初にそう思ったのは小学生の頃で、とっても憧れてました。その夢は中学高校になって何故か恥ずかしくなって公言することはなかったけど、ずーっと心のどこかにありました笑。大人になるにつれて「政治家」という仕事の重みとか責任感とかも段々とずっしり感じるようになって、「私にできることなんて何かあるだろうか」と悩んでみたり。
でももし本当に総理大臣になれる日が来るなら、日本のいいところ悪いところを知ってなきゃダメだ!それを学ぶには外に出れば手っ取り早い!と思い、家族を説得してシリコンバレーに16歳の時に引っ越しました。多少の英語は聞き取れたものの、様にはならないまま現地の高校に通い始めます。本当に喋れないので、最初は全部やけくそ。でもこれが、思った以上にアオハルでした。言語が通じなくても私には長年習っていた「ダンス」という武器があったので、友達もありがたいことにたくさんでき、現地高校生活を堪能。テックカンパニーのお膝元、実は私の通った高校があのスティーブ・ジョブスの母校だったこともあり、人脈と視野は一気に広がりました。この高校での経験もいつか記事にします!何はともあれ父を1人置いて一緒に渡米してくれたと弟、そしてそれに理解を示してくれた父はじめ家族みんなには本当に感謝です。

高校を卒業する時、大学では心に秘めた政治の夢を追うか、ダンスを極めるか悩んでいました。でも当時英語はネイティブに敵うほど上達してなかった。大学で政治系を専攻すれば、政策を調べる・書くはもちろん、ディベートや相手をギャフンと言わせれるような言い回しなど知っとかないといけないのかなぁと勝手な予想で、それを英語でやるのは無理だ…と決めつけ、ダンスの道に進もうと決めます。

しかしさすがはシリコンバレー。いるんです、その辺に。

本当にいるんです身近に、鼻も高くせずGAFAの本社でエンジニア、デザイン、してる人。GAFAとはグーグル、アップル、フェイスブック、Amazonの4つの大きな会社の頭文字を取ったもので、うちAmazon以外の3つが本社をシリコンバレーに置いています。
そしてさらにですが、創設者もいるんです。その辺に。その辺って変な言い方ですが、自慢もせず、天狗になることもなく、さらっと「僕がFacebookを立ち上げた時には」なんて言うので目が飛び出そうでした。

転機はFacebook本社での体験

何故この話が私の自己紹介に必要かって?実は高校卒業後、このFacebook創設者の方のコネクションでFacebook本社に超短期インターンをさせてもらい、それがきっかけで映画作成の道に進むことを決めたからです。政治の道を諦め、ならダンスをやりたいと思っていた2016年の夏でした。この方は高校の同級生の父で、私がカリフォルニアに引っ越してから日本の家族に近況を伝えるためお遊びで作っていた動画を見ていてくださってました。それで「映像に興味があるなら一度僕たち監修の元作ってみたらどう?」ということでいただけたお話でした。内容はもう本当に短期で、当時Facebookがやっていたイベントをカメラで追っかけてプロモビデオを作るというものでした。インターン後、改善点はいくつか指摘してくれたものの、なんと「映画の道に進んでみてはどうだろう」と自分も知らなかった才能のかけら?を見つけてくれたのです。「知り合いづてに来たインターンの子」だったのでだいぶ甘めに審査していただいたのかもですが、彼らはFacebookでマーケティングやクリエイティブを指導する立場。その手はプロの方々だと思っていますので、その言葉を信じることにします。それに政治は言葉で問題を伝えたり解決策を提示しますが、映画は映像でそれを表現できる。そういう意味では共通するものもあるなと思い、大学では映画を専攻することに。

映画を学ぶならやっぱり日本の大学に進学するよりこっちに、こっちにいるならやっぱりLAに行かなくては!と考え、3年前にシリコンバレーからLAに引っ越しました。今までは企業のCMを監督・プロデュースしたり、夏には仕事の一環で全米ツアーを合計で3回やったり、映像を通して日々いろんな事を吸収しています。

LAや映画作成で学んだことを、流行りの映画の私が想像する舞台裏なども絡めながら面白く、なおかつ私がコロナ禍でも映画を作れるのか?と奮闘日記を記録に残すことも含め、これからnoteを続けようと思っていますので、ぜひ暖かい目で応援してください:)

なお、政治には今でも興味があり、Instagramのknowthismoreというページで私と同世代の投票率をあげたくて日々発信を続けています。そちらもぜひ覗いてみてください:)
映画作るの楽しそう!頑張って!と思ってくれた方、ありがとうございます:) ぜひスキボタンを押してください!とっっっても励みになります。

次回は「一つの撮影現場=一つの会社」、映画を作る上での私の役割をご紹介します!


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@masorange_f (Instagram) @mas324ora (Twitter)で探してみてください:)

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