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「LIFE!」という映画:自分に見えるもの、信じることの価値、企業は何のためにあるのか
「Life」という写真雑誌があった。すでに廃刊となった雑誌だ。
主人公のウオルターはごくごく平凡な男。17歳の時に父親をなくして、数日後にはピザ屋さんや鶏の唐揚げ屋さんで働き始める。父は彼に世界を旅させたいと思い、バックパックと手帳を用意したのだった。
しかし、世界を旅することは出来はしなかった。追憶とともにバックパックは仕舞い込まれたのである。
やがて「LIFE誌」に入社してネガの管理を任さ
格差の方程式:面白いyoutubeである。僕は好きだ。
ほとんどの「自己啓発系・勉強系」のyoutubeは好きでない。いずれもメリハリある話で「上面の結論」をあたかも「真理」の如く話す姿は面白くない。だいたい少し聞けばネタ元がわかり面白くない。
極論と逆張りで無知を隠蔽する。気に入らないことが多い。
しかしながらこの方の動画は勉強している事が良く分かる。
企業経営関係のお話が楽しい。
スルガ銀行の話は大変面白い。僕も昔、不動産関係の会社にいたので雰
国葬バンザイ、庶民の祝日である。みんな会社休んで喪に服そう、「民主主義という理念」の葬儀である
「民主主義という理念」の葬儀である
とは言っても、本来民主主義とは貴族が奴隷を仲良く分配する談合であるのだから、本来の意味に帰ったのかもしれない。
民主主義の理念とは、弱者を見捨てない心である。
家族というシェルターの持っていた大事な機能であった。
カルトな教団はみな「家族」を偽装する。僕らのうちには宗教を信じたいというなにかがある。
それを上手く「商売」にしている連中がいる。
国民主権とは、
あの戦車の中では若者が燃やされている:戦争は「金持ちがお墨付きを与えた犯罪」である。国が国民を守らなくなった時代、「スローターハウス(屠殺所)」で死を待つ市民たち
身分制度から抜け落ちているもの。『士農工商』と言われるが、この一番てっぺんには「キャピタリスト」がいることが巧みに隠されている。「既得権益者やキャピタリスト」と言われる者たちである。
王族、貴族は「軍・警察」という組織を司る役人なのだ。税金という形で
「キャピタリスト」から提供された「利益」が彼らの力の根源である。
すべての経済活動の頂点にたち、「利益」を得る連中である。
かつて、富の根源は「食
世界のために投票する人間などいない。
原発の再稼働方針が「ちら」と報道された。
愉快ではない。
選挙が民意を反映していないなどという方々もいるが、それは誤りである。
見事に今の時代を反映させている。
社会は分断されて、「正直に物を作る」人と、時給安く作らせて「ピンはねする頭の良い方々」に分かれている。
相変わらず、野党は野党のままであるが、当たり前である。
今や行政の使う金を当てにしなければ多くの企業は成り立たない。
基本的に行政は
「ソイレント・グリーン」な老後
ふと気になって、ソイレントグリーンという映画がいつ頃の未来を描いたのかと思ったら、2022年ではないか。おや、今年である。
確か高校くらいの時に雑誌で読んで、後に深夜映画で見たような気がする。1973年の製作だから僕は中学生であった。
格差が激しく社会を分断した時代に、老人の死体から食べ物を作り貧民に食べさせて、金持ちが富を築いているという映画である。その食べ物は、ソイレント(大豆肉)グリーン
今日の花、まっとうに死ねない世の中
早めに母の日のメロンを買った。半額のメロンがまずかったようで、このままでは「20年も資金が持たないのよ」と怒られて大喧嘩である。
まあ、いつものことであるが、妻の同僚はパートにも行かずに老後は悠々の貯金がある。僕の稼ぎのなさに嫌味を言うのもわかる。
自営業は辛い。退職金もなかれば、十分な老後の資金なぞ望みようがない。
真面目にお客様の喜ぶ顔を見ることに喜びを感じ、一緒に働いた仲間と頂いたお金を
メディアや詐欺師はこの哀れな生き物から金を吸い取ろうとヨイショしておる。こいつの金が「空」に消えていくのを見るのは愉快であるが、僕の生活は苦しいままである。
こういう奴らは人に働かせて、ピンはねして金持ちになったのを自分の能力と勘違いしてる。
しかし、ハイエナがコイツのズルして集めた金を食いちぎっていくのを見るのは憂鬱である。
なによりも、本当は、「地道に働いている社員の給料」に向かうべきものが、皆吸い上げられて、女優の股間や宇宙に消えていっているのであるからね。
資本主義というのは私的財産を保証している。しかし、いくら金持ちになってもそこにはリミ
冬の花、大根の水、一日飲んでおった、禁酒のこと、新年の誓いのこと(笑)
正確に言えば昨年であるが、庭の榊を摘んできた。売られてもいるが、僕は生花は庭のものを使うことにしているので庭のものにした。
冬の花新年の花を生けようと思い庭を歩いて、山茶花と椿を摘んできた。昨晩からの雪が積もっていて綺麗だったので溶けないように外においたら、また積もった。こういう面白みもあるものだ。
大根の水結局は水面以下は水でいっぱいなので、タイコンに「米糠塩水」が入り込んで行くのだ。当然一
『百年のお裾分け』(1)母と買いに行ったボタン、失われたお裾分けと人の繋がり
民俗学と言う視点は『時間や空間的』に離れた生活を記録するものでも過去を懐かしむノスタルジアでもない。自分の生活との違いを見ることで『私たちの本質=構造=(律)』を探すことが目的だ。
母のお裾分け母は、自分で料理を作れた頃はいつも近所に住んでいる親戚のIさんに作ったものを届けていた。天ぷらを大きなお盆にいっぱい作っては持っていていた。Iさんご夫婦には子どもさんがいなかった。随分後に親戚の子と養縁組
「オメラスから歩み去る人々」、誰かを見捨てることで成り立つ社会
アーシュラ・K・ル・グィンさんってそんなに読んでいるわけではないのだけど、この小説はヒューゴ賞の本の中で読んだ。小説自身は有名なので解説が多く有る。上手な解説も有るが、できれば原作を読んでみると良い。短いし翻訳も有る。
僕の認識では『「自分の生活が誰かの不幸のもとに成り立っている」ことを忘れてはならない』と言う物語である。SFとは思考実験である。ありえないことを想定してその時にどんな反応をするか
「目撃者 刑事ジョンブック」はいい映画。宗教=パブリックの研究。アーミッシュの世界。
アーミッシュという人達がいることは知っていたが、この映画を見るまではあまりピンときていなかった。
カルト教団の時代オオム真理教が大騒ぎを起こしていた頃というのは、大学生を基盤にした原理研究会だの、統一教会だのが社会問題となっていた。何を信じるかくらいは何でも良いではないかと思っていたものである。子供が何を信じるかなどということは関係ないはずであるのに、異教徒に自分と同じ宗派の人間を奪われることは
格差の方程式:子ども食堂って胡散臭い
貧困な子供って結局は「貧困な親」とセットになっている。子供ではなく、親を救え。子どもたちも、もう少しして子供でなくなれば、就職も行き場もなく、社会の中でも爪弾きにされる。
教育支援というのも嘘だ、すでに会社は個人の才能で伸びる場ではない。大学の教員の給料を税金からでなくなったからタカろうとしている。
公平な教育、不公平な就職試験。公務員試験は平等でも、公務員になってからの出世は親が高級官僚なら