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今日の花、まっとうに死ねない世の中

早めに母の日のメロンを買った。半額のメロンがまずかったようで、このままでは「20年も資金が持たないのよ」と怒られて大喧嘩である。

まあ、いつものことであるが、妻の同僚はパートにも行かずに老後は悠々の貯金がある。僕の稼ぎのなさに嫌味を言うのもわかる。

自営業は辛い。退職金もなかれば、十分な老後の資金なぞ望みようがない。
真面目にお客様の喜ぶ顔を見ることに喜びを感じ、一緒に働いた仲間と頂いたお金を分け合って来た。
今年は国体の仕事が入らなかったので、新しいことに挑戦することが出来る。チャンスに見えても妻にはピンチとしか見えない。

責める気はないが、一年経って駄目だったら死ぬから保険金で我慢しろと言っても、上場会社のOLだった妻には想像も出来ない。

車で海に飛び込むのと、居間で首つるのと、風呂場で手首切るのと、どれが良いと聞くと「車で練炭」が良いと言う。いつもオチャラケルのは得意な女である。僕の友人は何人か自死している。「自営で生きる」というのは職業ではない。生き方なのだ。
サラリーマンになった時に大事なものを失うのだ。「他人の利益のために自分の時間を売り生きる」なんぞやってられるか。

会社潰してコンビニでレジをうてばいいなどと言うが、昨今はレジも自動となりますます時給は下がる。「大笑いしている連中」がいるのがわからないのだろうか。

父は50年一つの会社に居た。優秀だったわけではない。工場長の牽制役として社長の手先にさせられていたのである。首を斬る時も安く雇用するときにも先頭に立たせられた。総務部長というのはそいううものだ。会社が潰された後、工場長とも社長とも、一切の連絡を絶った。僕が、ソフト会社をはじめてここに企業を作り地元の人(子供)を社員にして共に生きたいと話した時、快く資本金を出してくれた。
東京に出ていく時にこんなところには帰ってくるなと僕にいった事をよく覚えている。父(商業高校)母(尋常小学校)は大学さえでていれば偉くなれて給料も良くなると固く信じていた。

10年ほど前に客に引っ掛けられて死なねばならないほどに負債を負ったときも助けてくれた。しかし、それは妻から見たら父親の金にたかるクソ野郎だと見えたのだ。「父親のようにになるな」と子供は育てられ、見事に期待に答えてくれている。ふつーの社畜である。

今更、生きる道を変えるつもりは毛頭ない。始まりがあれば終わりがある、常に新しいビジネスを見つけて行けねばならない。できなくなったらそこが終点である。

いつものことだが、喧嘩は唐突に終わる。

しばらく話を出さなかった「百年のお裾分け」の話に及んだ。「百年のお裾分け」というのは、キャピタリストの存在しない企業の形である。
弁当屋を始めるのに父母の実家を改装(数百万かかる)してキッチンにしようと思ったのである。

ピンはねをしないで、作った人とお客様が共に生きるという価値である。
しかし、妻に言わせれば、そんなことに数百万円使ってどうするのだという。他人を助ける前に自分を助けろという。もっともである。飲食業は難しい。命がけでなければ出来やしない。

父と母に7年食事を作った。その時の経験で食事のメソッドを学んだ。
そしてその食事を毎日作って1kmの範囲内の老人のために弁当を作り配達するのだ。一緒に作る仲間、食べてくれる仲間を探す。
キャピタリストの利益は見込まないから時給2000円で仲間とともに働く。そしてやがて動けなくなった時にお裾分けの弁当を頂きピンコロに死ぬ。


どこか遠くのフードキャピタリストを裕福にするために。「誰でも出来る仕事(安く仕入れた出来合いの食材を弁当箱に詰め込む)」で作った弁当を配るのでない。
「父と母の暮らしたキッチン」で、丁寧に素材から、手を抜かないで作った生命(タンパク・脂質の立体構造が破壊されていない)に溢れた食事を「お裾分け」するのだ。
70歳くらいの人に話をすると皆賛成する。食事と身体の状態の関連、そして自分の死に方を考え始めているからだ。

ひとしきり話して、庭に行って花を持ってきた。

きれいに咲いたわねと妻は言った。

ローズマリーがきれいに咲いている。新芽は香りが高い。

2000万円の貯金がなければ、年金だけでは生活できないなどと、「当たり前に言う国」を信じることなど出来ない。
年金機構は人の金を博打に使って損を出してもお偉い連中は一切報酬が減らない。お役人はご立派である。デスノートが必要だね。

母の大好きだった木瓜の花である。

年金は、「家族というシェルター」が、家族一人ひとりの人生を大事にして見捨てなかった時代が壊れた時に始まった。母と同い年の弟(叔父)は自営業(材木屋さん)で年金額が少ないことを冷やかされた。いつも「年金なぞもらワナクていい」と言って、64歳でなくなった。時折母はそのことを思い出していた。
サラリーマンの父と才覚の会った母はいつも親戚の自営業の兄弟を助けていたものだ。見返りなど求めなかった。それが家族というものであった。
僕も随分助けてもらった。そして、僕は最後まで共に生きた。

椿は花の散ったあとの新芽が美しい。

しかし、役人と政治家は「キャピタリストと自分たちの富」のために「真面目に時給で働くことしか知らない人々」を切り捨てたのである。
最低の時給で働くことしか出来ない人たちは能力がないわけではない。コネやツテがないだけである。
ャピタリスト達は、社員皆で働いて物を作り、得た金を独り占めするから大金持ちは出来る。社員の給料は徹底的に減らされ、生産拠点は海外に移されて利益が上がった会社は、おおいばりである。

蔦の服を着た百日紅に葉が出始めた。長い間花がつくので、虫たちは大喜びである。

年金の金額の高いか低いかは賃金に比例する。賃金はキャピタリストが徹底的に低く抑えさせる。当然、年金も低い。しかし、それは能力がなく、給料が安かったお前の自己責任だと笑う。
テレビでは「負け組は可愛そうだ」と大合唱である。そりゃそうだ、彼らは企業の宣伝費にたかる方々である。

先ずはともあれ、生きねばならない。仕事しなければ。

フキノトウがデカくなって花をつけた。来年はたくさん出ると良いな。


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。