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格差の方程式:人生最高の日、1999年のストライキ

ストライキを行い1億3千万円を組合は獲得した。それも1999年である。スト権を確立して親会社と交渉して退職金を貰った。それは、大変な幸運のおかげであった。

労働者には権利が認められているのだから、「経営者がいくら金持ちになろうとも、それは合意のもとだ」と思っている人もいるだろうが大きな間違えである。問題は、その権利というものが設計された時点での社会と今の社会がとんでもなくかけ離れているということなのだ。

僕は1998年10月に労働組合の委員長となって、1999年3月に新聞で倒産を知った。5月8日に組合大会を開催して「スト権を確立」した。5月28日に1億3千万円の支払いの協定が結ばれた。

7月末日で全員が解雇され、会社は整理されて8月3日に支払われた。

このトンデモナイ体験のおかげで、今の格差はこの社会自身が作っているのだと僕は考えることが出来た。

それにしても「今どき」ストライキで、1億3千万円である。組合の委員長だった僕の視点から今考えていることを書きたいと思う。

このお話の続きです。

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倒産をしった

会社が倒産することを新聞記事でしった。親会社が発注を止めるから倒産するのだ。平成11年3月27日(1999年3月27日 土曜日)であった。ちょうど、組合のボーリング大会で皆でボーリングをした日だった。よく覚えている。

すぐに説明を受けるが、親会社「大平洋金属」の退職金に対して子会社の「新潟金属」の社員は「0円」であった。取引先が発注しなくなって倒産するわけだから別に取引先が発注先の社員のことなどは構う必要無はないのだ。当然のことだが、僕には納得がいかなかった。なにせ営業は全て大平洋金属が行って、発注は全て大平洋金属で連結決算をしている子会社なのだ。

鉄鋼労連では追い返された(笑)

まず、弁護士さん(注)に相談に行ったら、「鉄鋼労連(鉄鋼業の組合の全国組織でこの名前化はわからない)」を紹介された。鉄鋼労連の事務所に行った。「新潟金属」というと、会費を払っていないからうちではサポートできないと言われた。

どうすれば良いのか聞いたが、どうにもならないという。会社にとっても、組合を作ることは法律で決められているから、作ることは多いのだろうが、御用組合である場合がほとんどだ。会費を払うメリットは感じられないから、払っていなかったのだろう。

途方に暮れていると担当の方が僕に話してくれた。。「スト権を確立しなさい」そして「ストライキというのは合法的な恐喝なのです」と教えてくれた。とてもいいアドバイスだった。そして逆説的だが、見放されたことが本当に幸運だったのだ。自分しか頼るものがなくなったし、上部団体が入ってくると経営に警戒されるのだ。馬鹿な齋藤が何かやっていると思わせることが良かったのだ(笑)。

合法的な恐喝とはなにか

つまり、スト権を確立してストライキを行った場合の損害が発生した場合、労組への損害賠償は発生しないのである。これのことを「合法的な恐喝」と呼んだのだ。つまり、ストライキで外部の会社に損害賠償を請求させるくらいのダメージを与ええることができれば、かつその損害賠償より組合の要求が安ければ、組合の要求は通るのである。

労働三法は勉強したことが有るが、こんな事は初めて知った(注)。そこからがスタートだった。

スト権確立に向けてのオルグをはじめた

スト権を確立したのは1999年5月の組合大会だった。3月に倒産を知って、東京の本社に行って追い返されて、それからのことだったと思う。親会社の組合の代表者とは会えなかったと思う。向こうも半分以上の社員がクビになるのだから下請けの一社なんぞかまってもいられなかったろう。

オルグなどという言葉は知らなかった。三交代で動く現場の皆と顔を合わせて、状況を説明して行った。「決してストライキなどしないけど、交渉のためにスト権は確立しなければどうにもならないからお願いだ」と話して行った。朝の4時に会社に向かい、8時の交代時間に各現場を回る。

紳士的とは言えない労働者が夜中働いて休憩所に来るのだ。そこで話をさせてもらう。ときには乱暴な物言いの人もいる。そりゃそうだ、大卒は「ここ=彼らの現場」では敵の印だ。5部門に分かれている工場の中を周り、要望を聞きながら趣旨を説明する。「僕らは皆、見捨てられた」「絶対にストライキはしない」この2点を話した。

経営者には筒抜けになる。

アタリマエのことだが、社員は上司に情報を漏らす。人事評価は奴隷を作る。何よりも、あの馬鹿な齋藤がなんかやっているが無視しておけばいいと思わせたかった。

とにかく悔しかった。親切な部長には、「組合活動なんかやっていると再就職の口がなくなるぞ」とご忠告いただいた。憂鬱だった。とにかく会社に行くのが苦しかった。明け方に妻と子供を起こさないように抜け出して、24時間の食堂でカツ丼食って、バックドラフトのテーマ聞きながら車を飛ばした。

「料理の鉄人」ではない、組合運動のテーマだ。大好きだ。勝負に行くときはこの曲だ。文句があるなら殺しに来い!

スト権を確立した

そして、十分根回しをして組合大会では半分泣きながら、俺達は見捨てられたんだと話をした。大会の最後で投票した結果は一人が白票で後は全員賛成だった。スト権は確立されたのだ。

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恐喝に向かった

長岡には「日本精機」という会社がある。日本で生産される自動車メータの80%を作っている。新潟金属は、その会社に「パーマロイ」と言う特別な特性を持っ鉄鋼である。工場内のプレス機器でプレスしてして作った小指の先程の部品を納品していた。「看板式と言う楽天的で傲慢な納品方法」で、指定時間に指定数量を納品させて在庫は持たないというな会社である。

僕は社内の納品先を調べて、この会社の納品を知った。ほぼ全量をうちから納品していた。全工程をウチのラインでやっていたのだ。そして金属特性に厳しいい縛りがあった。簡単には代替えは出来ない。恐喝材料にはもってこいである。この仕事がなかったら手も足も出なかった。

工程表

翌日、有給を取り、長岡の日本精機の総務部長にあった。今までの経緯を話してスト権が確立されたことを穏やかに話して家に帰った。久しぶりにゆっくり寝れた。

2日後、工場長に呼び出される。すぐに社長も来ることになった。社長というのは大平洋金属の常務の一人だった。僕の父を手懐けていた男だ(笑)。工場長はオロオロして、いらぬ事をしおってという顔つきである。

後で聞いたら、日本精機側からは、大平洋金属に300億円〜800億円くらいの損害賠償の可能性の試算があったという。恐喝は成功したのだ。

社長はニヤニヤして面白そうだった。社長自身が社内の勢力争いで負けて今回は潰されたようなものだった。何と思っていたかはわからない。組合員以外の社員(課長や部長)への増額も盛り込んでほしいと社長から言われたのだ。それで、金額が8千万から1億3千万に増額された。退職の条件も本社並みとお願いした(口頭で社宅からの退去は来年3月末という約束を貰った)。

協定は結ばれて、誰にいくら払うかを僕が決めねばならなかった。

不愉快な後始末

この後の話は余り愉快ではない。潰されたとしても、まだ価値のある部門があり、そこは別会社に売られることになっていた。

もう社員は解雇後の生活に向かっていた。残務をしながら、職安に行き会社の方でも職を探して紹介していたがいい職はなかった。

日本精機にしても5−6ヶ月有れば別な納入先を見つけられるということだった。それまでの分を作って、プレス機は別会社が引き取ることになった。

別会社に再雇用されるとしても雇用条件を組合で交渉使用と提案したが、否決された。組合が力を持つのは、日本精機が別な仕入先を見つけるまでである。

名称未設定金額明細2

僕に対してのバッシングが始まった

組合員が団結したのはスト権確立のときだけだったのかもしれない。

協定が結ばれたら、部長連中も子飼いの部下を通じて様々な噂を流す。「齋藤が跳ねっ帰ったことしなくとも親会社は退職金を払うつもりだった」「取引先が工場を工員ごとを買い取る」と言う噂を流している部長がいたりしてホンキで殺してやろうかと思った。

会社の受注傾向を見れば分かるが、一社でドカンと大きいところはなかったのである。細かい仕事で美味しくない先ばかりである。工場をまるごと買うメリットが有るわけがない。

ある日、社宅の前庭がにぎやかなので覗いたら社員が10人くらいでバーベキューをしていた。呼ばれるかと思ったのだが、呼ばれなかった。翌日会社で顔合わせても無視された。

事務所に行っても誰も声をかけない。僕が決めた金額に不満があったと聞く。組合についていたら次の雇用もないと思うのは当然だ。

鉄鋼労連さんと弁護士さんにお礼に行った。

ビール券を買って、お礼をした。例の僕に「組合運動の秘訣」教えてくれた方に僕がやったことは良かったのかなあと話した。

黙って何もしないでいたら、こんなに皆に嫌われることなどなかったんじゃないかと話した。

その方は、幸いってくれた。その言葉は一生忘れない。

『あなたのやったことは「組合運動」の価値を証明したのだ』と言われたのだ。

帰りの車の中で僕は涙が止まらなかった。誰に嫌われても、ひどく言われても、良かったのだ。皆生きるのに精一杯なのだ。こさかしい部長連中に忖度して奴隷に成り下がっても生きなければならないのだ。

この日が僕にとっての人生最高の日だ

もう20年過ぎたが、僕にとっては忘れられない。

仕方ないことなのだ。戦うべきはこんな大騒動をしても金持ちであり続ける親会社のオーナーや人を首にしても平気な連中だ。

もう少し不愉快な話は続く。有給を消化して、会社をやめることにした。総務部長に退職の書類をもらった中に9月に社宅を出ろと書いてあった。これはおかしいと部長に話したのだが、社長からは何も聞いていないと言う。天引きだった家賃の振込先の口座を渡された。

来年4月までいるからと言って家賃が欲しかったら取りに来いと言い捨てて事務所を後にした。

11月には社宅からみな退去した。僕は引越し先も決めていなかった。

ある日裁判所から通知が来た。僕個人宛に、大平洋金属が300万円の損害賠償を請求してきたのだ。

妻と子供を殺してアパートに火をつけようと思った。

これが次のお話である(笑)。

ね、不愉快でしょう。

確実に統合失調症と診断されただろう。実行していたら第一級殺人と放火である。

このお話に続きます。


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労働運動の今後

皆が力をくれたから、この組合運動は少しだけ成果を上げた。しかし、問題は今は「団結」など出来ない時代だということだ

かつて、地域に企業が根ざして、職人が製品を作っていた時代、経営者と労働者がともに生きた時代に労働三権は確立された。その時代の定義のままで今でもいいとされている。法律の改正は小手先で、労働者を見捨て続けている。

歴史的経緯を見れば、ストライキとは、労働者の違法行為を止めるために法に組み込まれた架空の権利なのだ。解雇され全てを失った労働者にとては工場を打ち壊したり、資本家の財産を破壊したりするは何でも無い。もう失うものなど無いのだから。それを止めるために一定の交渉権を与えたのだ。けっして労働者が生まれつき持っている権利ではない。

アメリカでは教会や学校に行って銃を乱射する。日本では自殺やリストカット、過食拒食依存症、である。社会の問題は犯罪になるか病気として現れる。

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サプライチェーンとグローバル化はコストカットの名目で簡単に人の生活を破壊する。

例えば、「自動車のメーカーがビス一本まで吟味してコストカットしました」と言った時、そのビスを納入している会社の労働者の賃金が下げられているということだ。そうでなかれば海外の低賃金の会社から仕入れている。

よほどの技術革新がなければそんな簡単にコストダウンは出来ない。

いちばん上流の会社がディールをはじめたら下は逆らえない。そして下の経営者は自分の取り分を確保してその下とディールする。

そして、私達は安い商品を買う。だって給料が安いのだから仕方がない。

最低賃金を規定すればいいという馬鹿な政治家もいるが、下請けのまた下請けはその賃金さえも出せない金額で仕事を受注する。

上流のメーカーの労組にしても、下請のコストダウンかお前たちの雇用かと言われれば下請けを潰せという。

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いつも思い出す風景

Sさんという方がいた。もう65歳を超えて定年後の再雇用で働いていた。僕が工場に馴染めなかった頃に声をかけてくれた。

親会社からコストカットを要求されて、一時帰休をしていた頃だ。再雇用の使徒たちのの解雇が工場長から組合に打診された。

僕は絶対に駄目だといった。次はもっとひどいことを言われるに決まっているから踏みとどまろうと言ったのだ。ところが、部長連中の組合の切り崩しが始まったのだ。組合員から、ああいう人達(定年後の再雇用)はこういうときのためにいるのだから辞めてもらおうと言うのである。

どうにもならなくなって、一人ひとりと話をした。口汚く罵る方もいた。

Sさんは研磨したスラグを集める高い分離塔(3階建てくらいでハシゴで上がる)のてっぺんにいた。水と泥を分離してトラックに流し落とすことの出来る施設だ。一度上がってみたかったので、声をかけて上がった。

事情を話して謝った。彼は「自分はもう老いぼれでどうなってもいいのだ」という。「アンタこそ頑張ってからだに気をつけなさいよ」という。

とても澄んだ青空でピュピュウと風が心地よかった。

この工場は新発田の中心部にあったころから解雇を繰り返してきた。本社の都合で平気で人をクビにすると言われてきた。

彼はくぐり抜けてきて、自分の番が来たと察したのである。

結局、一時帰休で生産調整をしていたのだが、会社理由で解雇したということで一時帰休手当が出なくなった。

数年前に母が亡くなったあとで山で取れたタケノコを持っていったときにはお元気だった。今年は父が亡くなったので、もう縁が切れたと思い行かなかった。来年は持っていこう。

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テレワークは最悪だ、ベーシックインカムなんて言う前に安定した雇用とまともに暮らせる賃金がなければ、この世界はテロで滅びる他ない。

この事は近々エントリーします。テレワークというのは、労働者を人としてみないから、発注を止めるだけでしかない。その行為がテレワークで働いしてう人をどうするかなどということは見えないからわからない。

僕がいたソフト会社では一気に出向先から50人近く帰ってきたことが有る。グループののセールス会社に出向させtられて殆どが辞めた。

「統合失調症」や「うつ」になっても当たり前だ。

こういう世界はテロで滅びる他ない。僕はよく踏みとどまっておる(笑)。

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サッチャーの時代に多く、炭鉱は閉山された。この映画(ブラス)はその時代の映画だ。リトル・ダンサーも最高だ。踏みにじらて殺されようとも、新しい生命は生きていくのだ。
フル・モンティなんかもいいんだけどね、地域のコミュニティとの関係を描いているところが素晴らしい。否応なくスト破りするエピソードも素敵だ。どストライクである。両方ともDVD買った。
ノーマ・レイと言う映画もすごい。絶対見たほうがいい。このシーンはいつも涙が出る。

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