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父と暮らす。この80年で変わったもの、変わり得ないもの。

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「介護」と言う言葉は、過程という「経済の単位」が単なる「消費の単位」へと変質した1980年代に萌芽を見ることが出来る。「三丁目の夕日」ではないが失ったものを忘れないことで、もっと… もっと読む
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#毎日食事を作る

家事は夫婦で分担するな。 みんな自分で出来るようになろう。 私達はいつか一人で孤独に死ぬ。

家事は夫婦で分担するな。 みんな自分で出来るようになろう。 私達はいつか一人で孤独に死ぬ。

noteを見ていると家事分担の話が出てくる。奥さんばかりに押し付けないで夫さんもやりなさいと言う内容である。

それなりの分量が有るので、実際に多くの家ではそうなのだろうと思う。

家事分担と言うと、「料理は私が作る方後片付けはお願いね」というようなものだろう。

夫が料理しても後片付けしなかったりかえって大変だから後片付けもしなくていいと言われる。まさに2015年くらいの我が家のことであった。そ

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父と暮らす:「父との食事」家族という距離の生まれる理由。

父と暮らす:「父との食事」家族という距離の生まれる理由。

「綺麗、汚い」と言う感覚はなぜ、どこで生じるのだろう?随分考えさせられた。

年寄の食事は面倒だ。こういうのを上げ膳下げ膳というのだろう。冷凍された食事のパックを試したりもした(が僕が気に入らなかった)。父はとにかく文句を言わなかった。昼間は寝ていることが多く、朝も何時に来るかは決まっていなかった。夕食を食べに来て1時間位食べてから帰るのだった。酒もよく飲んだ。亡くなる直前まで飲んでいたのは嬉しか

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父と暮らす:妻との諍いの50%は両親、25%は子供、残りは僕の給料のやすさ。新しい「家政学」

父と暮らす:妻との諍いの50%は両親、25%は子供、残りは僕の給料のやすさ。新しい「家政学」

両親と顔を合わせれば、子供いつ出来るかとそんな話題になった。次男が生まれるの時は僕が独立て間もなくて、2人目の子供はいらないと言った。妻は僕の両親と10年話をしなかった。こういう話はよく聞く。

チョット考えてっもらいたい。もし、「年金を払っていない人」がいたらどう思う?父母の世代は子供が老後の世話をしてくれたのだ。つまり子供の数は今で言えば年金の加入と同じなのだ。いやもっと重要だった。

僕らは

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父と暮らす:2014年の父母との和解

父と暮らす:2014年の父母との和解

家族で共に生きるとは、変わってしまったお互いの間で新しい関係を築き、ともに生きること。

この頃から、母の具合は悪くなり、大変な時期になる。何種類もの薬を処方され(数年前からであった)、身体の状態は悪くなっていく。自分では料理を作れなくなり、一緒に話をしていても昨日まで覚えていたことを忘れる、何度も鍋を焦がした、風呂もわかせない。毎日着替えを探す。ほぼ毎日つきっきりで暮らすことになる。父は車の運転

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