190204_読書メモ_サマリー

【#読書メモ】デザインが日本を変える

ブランドに関する深い話だけではなく、組織論やものづくり論などなど、なるほどと思った内容が多かった良書。

【特に気になった言葉まとめ】

【目次】
第1章 魂動デザイン、前夜
第2章 言葉論[哲学を共有する]
第3章 ブランド論[企業価値とは何か]
第4章 組織論[感動ほど人を動かすプロモーターはない]
第5章 ものづくり論[今こそ原点に帰るとき]
第6章 情熱、執念、愚直
<特別対談> ~未来はすべて過去の中に
【著者プロフィール】
前田育男
1959年、広島県生まれ。京都工芸繊維大学卒業。1982年、東洋工業(現マツダ)入社。横浜、カリフォルニアのデザインスタジオにて先行デザイン開発を経て、本社デザインスタジオで量産デザイン開発に従事。チーフデザイナーとして、同社が世界で唯一実用化に成功したロータリーエンジン搭載の「RX‐8」や、ワールド・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した3代目「デミオ」を手がける。2009年4月、デザイン本部長就任。マツダブランドの全体を貫くデザインコンセプト「魂動」を立ち上げ、車だけでなく、販売店の一新やモーターショー会場の監修などを行う。’16年より常務執行役員デザイン・ブランドスタイル担当。



【特に気になった言葉①】

カタチがあった上で、それを体現する一言があることでカタチは一層明確な像を結び、相手に伝わりやすくなる。つまり大事なのは、カタチと言葉。まるで車の両輪のように2つが並び揃ってこそ初めて相手を動かす力が生まれるのだと私は固く信じている。

たしかに、言葉だけではイメージがフワッとするし、カタチだけでも表面的な理解に陥ってしまいますよね。何かを伝えるには、言葉とカタチの両方が大事だと思いつつ、想像を掻き立てるには片方のみが良いんだろうなと想像した箇所。



【特に気になった言葉②】

「モノ消費からコト消費」へというものがある。かつて消費者はモノを購入、所有することで幸福感を得ていたが、現在は友人たちとのイベント体験など、いかに豊かな時間をすごすかということに関心がシフトしていると言われている。簡単にいえばCDを買うよりロックフェスに行くこと、バレンタインでチョコレートを贈るよりもハロウインでコスプレイメイクをすることが主流になっている事などを指す。その現象自体はうなすける部分もあるが、私が引っかかるのは「だからものづくりは脇に置いておいてもいい」といった風潮が強まっていることである。今は猫も杓子も「どんなイベントを作るべきか?」「とんな場作りが必要か?」といった話題ばかりで、ものづくりについては軽視されがちである。私に言わせれば、モノがよくないのに場だけ作っても意味がない。こうした昨今の動きが、表面的な流行に左右されて本質を見失っている日本的な現象に見えてしまうのはわたしだけだろうか。

モノが良くないと伝える内容に深みはでないし、伝えることに対する情熱も高まらないよなと思った箇所。あたりまえだけど、伝えたくなるモノである事は重要ですよね。



【特に気になった言葉③】

新たな時代へ移行しつつある現在、マツダが生き残る道は一つしかないと思っている。おそらく世の中の大多数は車のモビリティ化に流れるだろう。近い将来、多くの人にとって車は単なる足となり、共有されたインフラのいち部を必要なときだけ使うという形に落ち着くはずだ。しかし、そんな状況になっても「現状に満足できない」という人は必ず現れる。「ときには車を走らせることそのものの歓びを感じたい。優れたエンジンの振動による快感、突き詰められたデザインを堪能すること・・・それに乗るだけで幸せになれるような車とともに、思い切りドライブを楽しみたい」―そう考える個人というのは世界に絶対いるはずなのだ。彼らはもはや機能性ではなく、自分自身の愛着のためにそのモノを獲得したいと願うのだ。

機能的価値から情緒的価値の転換について書かれている箇所。ローソクも元々は機能的な価値で使われていたけれど、一周回って雰囲気を演出する情緒的な価値で生き残ってる。同じように時計も自分を演出する情緒的な価値で生き残っている部分が大きいと思う。ゆえに、機能的な価値が淘汰された後は、情緒的な価値をどう意味づけできるかが重要だなと思った箇所。



おわりのつぶやき

自分なりのブランドとは?を導きたいと思わせてくれた1冊ですね。






【その他に気になった言葉】

動物の図鑑を読み漁る。動く生き物の原理原則は何なのか理解しようとした。
ブランドこそすべてさて、ここまで私がいかにブランド戦略というものを念頭に置きながら各車種のデザインを作っていったかについて説明してきたが、ここからは改めてブランドというものに焦点を当てて考えてみたい。そもそもブランドとは何なのか?――はっきり言って、私はブランドは企業にとって経営と同じくらい重要なものだと考えている。少なくとも、ブランドは私たちが売っている商品より上位に位置するものでなければならない。なぜなら商品が入れ替わってもブランドは続いていくし、たとえ社長の交代があっても社員の構成が変わろうともブランドはそのまま生き続けるからである。逆に言えば、その血脈が途絶えない限り永遠に生き残っていくのがブランドというものの本質かもしれない。商品は変わる。スタッフも変わる。今こうして勤務している私たちもいずれ会社からいなくなる。しかしブランドだけは残る。100年前の大正末期に生まれ、第二次世界大戦の戦火をくぐり抜け、なんとか今日まで生き永らえてきたマツダという会社のヒストリーもおそらくまだまだ続いていく。
ブランドにとって一番大事なもの――それはまず作品である。最高のブランドを作ろうと思ったら、まず最高の作品を作るしかない。作品自体が個性的で、世界のトップを張れるようなものであれば、おのずとブランド価値は付いてくる。
チームをまとめるために必要だったものは何か?何はなくとも成功体験である。成功体験はチームに喜びと一体感をもたらし、その快感はボンドとなってチームの結束力を強めた上に、仕事に対するモチベーションも上げてくれる。だが私に言わせれば、成功体験を一度共有するだけではとてもじゃないが十分とは言えない。なぜなら成功体験というのは二度三度と連続して生み出すことで加速的に信頼感や熱狂度が上がってくからだ。
天才的な感覚を持つモデラー、誰にも負けない技術を持つ職人・・・・・これまでそういったタイプの社員の職位は高くなかった。結果的に今マツダでは幾人かの優れた技能を持つスタッフに「匠モデラー」という称号が与えられるようになっている。「匠モデラー」とは社内的なグレードにおいて部長、幹部社員に匹敵する肩書である。これによって社内の雰囲気はガラリと変わった。面接や論文が不得手でも、自分の技能を磨いていけば出世の道が開かれるのだ。それは彼らのキャリア形成に大きな影響を与えると共に、職人であることの誇りも取り戻せた。
MaaSは車と人の関係性を一変させる。考えてみてほしい。カーシェアリングが一般的になったとして、自分のものではない共有された車に人は愛着を持つだろうか。機能性が最重要視されるモビリティ化の進んだ車に、作りての思い入れやオンリーワンのデザインは必要だろうか。
もしかして今後はモノというより交通サービスや物流サービス、宅配サービスの1部といった認識の方が近いものになるかもしれない。そうなってくると車の意味合いは変わっていく。オーナーの愛情とか長年乗り続けたことによる思い出とか、そういった感情の入り込む余地はどんどん少なくなっていく。

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