希望と絶望のコントラスト。

パリにきたのは、トランジットみたいなもの。
目的地は違う場所にある。そういえば、パリは3年ぶり。あのとき自分と交わした約束は、変わらず今でも大切にしている。

生きていると色んなことがある。
理想に向かって挑戦し続けていればなおさら、希望と絶望のコントラストは強まっていくものなのだと思う。そしてそのコントラストこそが、生き甲斐だという次元に変わってくる時期が人生においてあると思う。それが僕にとっては今だ。

そろそろ1つ目の目的地に向かうことにしよう。

若いころは、希望ばかりを好み、絶望から逃れていた。
今でも十分に若いが、もっと若いときのこと。いつも希望に胸が熱くなり、その実現をともに喜びあうことで生き甲斐を見い出すものの、絶望を憂い、そうなる前に逃避することで現状を保つ、とても消極的な生き方だ。絶望は、しっかりと味わったうえで、希望に向かって挑戦する原動力に変えることができることも知らずに。絶望と希望は、常に一体であり、切り離すことができない。そして、そのコントラストが強ければ、原動力が強まるのだと思う。自然界を見てみても、竜巻も空と地上の温度差が大きくなると、発生する。空に虹がかかるのも、空気と水の屈折率の差分。15歳でホームレスになる道を選び、これまでの20年間、どんな困難が立ち向かおうとも、その都度やり方を変えて希望に向かって挑戦し続けてきた現時点での僕は、そう確信している。パリの街でホームレスを見るたびに、ふと過去の自分の記憶が蘇ってくることは、他の人にはあまり体験することができない情緒だと思うが、僕はその度に今に感謝することができ、自律的であることができる。あの時の僕が、もし希望を抱かなければ、今も変わらずホームレスだったかもしれない。

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