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スパゲッティは炒め饂飩ではない

前回は、「イタリアの一皿は丼である」と完全な私見を述べてみました。

前回の記事を書いてから思い出しました。

「パスタはうどんでない」って、昔読んだことがあるな、ということ。
多分、伊丹十三さんあたりかな、と。

スパゲッティは炒め饂飩ではない

昔読んだのでうろ覚えだったのです。
が、グーグル検索するとすぐ出てきました。

スパゲッティは炒め饂飩ではない。

伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』より引用。

伊丹十三さんの本です。
新潮文庫から出ています。

伊丹十三さんは、本場のパスタの最重要事項を、「茹でる」というところだと見抜いています。
ゆえに、一升瓶何本分、と茹でるところに重きを置く。(一升瓶というところが昭和ですね。)

本場の茹で方をして、バターを余熱で溶かす。
確かに本場は和え物です。炒め物ではない。
(※本場「風」しか食べたことがないのですが。)

炒めるものでないし、饂飩でもない。
濃い味の具と炒めるものではない。
焼きうどんじゃないんだから。
ナポリタンはナポリには無いのです。(本当)

伊丹十三さんの主張は本場志向なんです。
徹底的に、根本的に、です。
本場志向であり、本場思考である。
それが伊丹十三さんです。

血膿色のネクタイ

伊丹十三さんと言えば、「血膿色のネクタイ」と、何度も書いていたのを思い出します。

ネクタイを赤色とは書かない人です。
(伊丹十三さん本人の気分だそうですが。)

普通の赤色じゃないよ、と読者に念押ししているかのように「血膿色」と書く。
血液の色の中でも特に、鮮血でなく血膿。

伊丹十三さん本人の、色彩感覚や文章感覚が抜群すぎて、凡人にはわかりづらいですね。

ただ、本場のネクタイは血膿色です。

私は過去記事でワインレッドとネイビーブルーと述べていますが、ワインレッドよりも、血膿色のほうが、より本場の色です。

小学生の時の、膝小僧の傷跡色が本場です。
トランプ元大統領のネクタイみたいな派手な赤は本場じゃないのです。

鶯の糞色の背広

そう言えば、「鶯の糞色の背広」もそうです。
本場のビジネスウェアは炭色である。
鶯の糞の色のような炭色です。

日本では、就活用のビジネススーツで、何故か、炭色ではなく、黒が売れるそうです。

洋服の本場でないから、というのはそう。
喪服を兼ねられるから、というのもそう。

けれども、一番の理由は、愚かな人事部に因縁をつけられたら困るからです。

悪目立ちしたら困る、と若年層が思っている。
そういう雑な捉え方でマスコミは報じています。
けれども、炭色や濃紺が多かったら、黒のほうが悪目立ちするでしょう。

若年層が愚かな人事部を恐れている。
これが令和の現状です。
今の若年層は、年齢別人口構成上、恐れる必要がないのですが、恐れています。
恐れていなければ、炭色や濃紺が売れています。

本場とは何か

伊丹十三さんの本を思い出した上で、その上で、改めて思います。
「本場とは何か」ということ。

本場のパスタは和え物です。炒め物ではない。
本場のネクタイは血膿色です。真っ赤ではない。
本場の背広は鶯の糞色です。真っ黒ではない。

愚かな老害に合わせて、本場から外れているのが現在の日本です。
本家本元の良さから外れているのです。

伊丹十三さんは、貧乏なイタリア人の青年こそがモータースポーツで一番カッコイイと書きます。

青年たちがレースで負けようとも。
レース用の車以外は安物でも。安物だからこそ。
本場だからです。本物だからです。
本場の本物が一番カッコイイのです。

本場の本物の根本に立ち戻るのが大事です。
伊丹十三さんは、徹底的、かつ、根本的なので、私は強く思い出しました。

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