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  • 一日一南無

    1日1つ仏教の教えを綴っていきます

最近の記事

愚者・賢者について 一日一南無 17日目

お釈迦様は愚者について厳しく糾弾してます。 また一方で賢者になるには愚者と共に過ごさないことを説いています。 愚者を避けることは当然のことながら、自らの周りに賢者を置くことも勧めています。 お釈迦様は周りに良き仲間を作ることを推奨していることがよくわかります。サンガや出家というシステムもその一環なのでありましょう。

    • 勤しみ 一日一南無 17日目

      勤しんでいるものは不死の境地「ニルヴァーナ」へたどり着けると説いています。 おそらくは物理的な生き死にの話ではなく、残された方への記憶やその生きた功績などが残り続ける=不死ということなんじゃないかなと私は解釈しました。 逆にいうと、勤しんでいない人は物理的に生きていても、何も残せないということ厳しい言葉ですよね。 そんな言葉を意識しながら今日も頑張ろうと思います。

      • 輪廻 一日一南無 16日目

        輪廻や輪廻転生という世界観は程度の差こそあれ、古今東西大昔から言われているものです。 お釈迦様もダンマパダでこのように述べています。 もっとも、現代では科学的に輪廻や生まれ変わりという概念は証明されておらず、現代の人たちで生まれ変わりを本気で信じる人は少ないでしょう。 一方で江戸時代の臨済宗の東嶺和尚は「1日の中でも輪廻をしている」とおっしゃっていたそうです。 当然その時に科学的に輪廻はありえないということを考えていたわけではないと思いますが、言われてみるとたしかにという

        • 恨みは捨てることによってこそ消える 一日一南無 16日目

          恨みに対して恨みを持つのではなく、恨みは消し去ることでしか恨みを解消できないと説いています。 これが八正道でいう正しいものの見方なのでしょう。 頭でわかっていても実施することは難しそうです。

        愚者・賢者について 一日一南無 17日目

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        • 一日一南無
          19本

        記事

          読書感想文 『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』

          社会科学面での旧日本軍の戦史研究。6名の研究者(戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎)による共著。 太平洋戦争の5つとノモンハン事件の6つの戦いから日本軍がなぜ敗戦に至ったのかを分析し、「大東亜戦争における諸作戦の失敗を組織としての日本軍の失敗と捉え直し、これを現代の組織にとっての教訓、あるいは反面教師として活用すること」を目的として書かれている。 各作戦における詳細の経緯やアナリシスについては、本書を参照いただくとして、大日本帝国軍の組織におけ

          読書感想文 『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』

          欲望の激流を乗り切る 一日一南無 15日目

          今日はスッタニパータから欲望について触れている部分を引用。 人は欲望が叶えられているうちは幸せでいられるが、諸行無常ゆえ叶えられないときが必ずくるし、そうなると必ず苦しむ。 すなわち幸せであるためには欲望から回避せよと言っています。 その欲望の激流を乗り切った先に悟った状態があると説いています。 スッタニパータ https://amzn.to/3PyK5bs

          欲望の激流を乗り切る 一日一南無 15日目

          釈迦の仏教は自己鍛錬 一日一南無 14日目仏教

          仏教はお釈迦様の入滅後、変化を経て今の形を成しています。 大乗仏教と上座部仏教の分裂、各宗派の誕生など、その時々の状況に合わせて根本は変わらないながらも教義が変わってきています。 念仏を唱えれば救われるような教えだったり、祈祷をすることで国家の安寧を願ったりとほんとに様々です。形を変えながら人々を下支えしてきたと思います。 お釈迦様がいらしたときの仏教はどういうものだったかというと、「自己鍛錬」の教えだったと思われます。 お釈迦様の最期の旅路を記している「ダンマパダ」では

          釈迦の仏教は自己鍛錬 一日一南無 14日目仏教

          自灯明、法灯明 一日一南無 13日目

          タイトルの「自灯明、法灯明」はお釈迦様の遺言としてしられている言葉ですね。 どのように話されていたかを見てみましょう。 上記文章ではなく、灯明ではなく島となっていますが、意味合いとしては同じですね。 いずれにせよ自分自身と法(お釈迦様の教え)を自らのよりどころとして精進しなさい。他のものを頼りにしてはなりません。という意味ですね。 お釈迦様を最期まで自分を信仰の対象とはせず、自分自身で苦しみから逃れなさいと説きました。

          自灯明、法灯明 一日一南無 13日目

          執著 一日一南無 12日目

          通常は執着という言葉を使いますが、仏教では「執著(しゅうじゃく)」という言葉を使います。 煩悩の一つですよね。 とあるできごとに深く気を取られてしまい、ものごとを正しく見ることができない。それでは正しい行いができないというのが、仏教の教えですね。 お釈迦様は執著について以下のように述べています。 執著し、貪る人はそのまま悪い方に流れていく。それはあたかも蜘蛛自身が作った糸の上しか動けなくなって、自分を縛り付けるようなものだと。 賢者はそういった蜘蛛の糸を断ち切って、苦し

          執著 一日一南無 12日目

          諸法無我 〜自分はどこにもいない〜 一日一南無 11日目

          諸法無我はちょっと難しい… とりあえずお釈迦様のお言葉を… この世の一切の事物は自分のものではない=「諸法無我」と自覚して、自我の主張と縁を切った時、初めて苦しみのない状態を達成できると説いています。 この世のすべての存在に自我はない、つまり私というものは存在しないと見ること。 そうするとすべての自分の欲望・煩悩から解き放たれる、ということのようです。 話としてはわかるような、実践するには相当むずかしいお話と感じています。

          諸法無我 〜自分はどこにもいない〜 一日一南無 11日目

          煩悩を捨て去ること 一日一南無 10日目

          生きているといろんな欲が生まれます。これが煩悩ですね。 自分中心で世の中が回っていると考えているから、欲が生まれ、欲が自分を苦しめる、というのが仏教の教えです。 恨みは自分の思い通りにいかないことへの怒り、何かを羨むという気持ちの現れ。愛に溺れて、必要以上に求めてしまったり、歪んだ形になってしまう。 これらの欲があるから人は苦しむ。捨て去るのだ。 自分中心ではなく、世の中全体の中に自分がいるという考え方をしなさいということですね。

          煩悩を捨て去ること 一日一南無 10日目

          煩悩があるということは無知であるということ「無明」 一日一南無 9日目

          人それぞれ煩悩がありますよね。 強すぎる物欲、嫉妬、ただしくない異性の関係などなど。 この煩悩の元をお釈迦様は「無明」つまり、智慧がない状態・愚かさを意味しています。 無明はものごとを正しく見て、合理的に考える力が欠如しているということを意味します。 お釈迦さまは強い言葉で無明を捨て去れとおっしゃていますね。 またこのようにも言っています。 自分が無明であること、つまり「無知の知」であることを理解することも大事だと言っています。 ただしくものごとをみて、判断する、状態を

          煩悩があるということは無知であるということ「無明」 一日一南無 9日目

          人の苦しみには原因がある「縁起」 一日一南無 8日目

          ものごとにはすべて因果があると仏教では説いています。 「縁起」と言われるものですね。 超絶対的な何かが世の中を動かしているというわけではなく、すべてのものがつながって関係しあっているというのが仏教のスタンスです。 人の苦しみにはすべて原因がある、それは人の心にある煩悩であるとお釈迦様はおっしゃってます。 清らかな心で行動し続けることで、良き人生を送れるというのがお釈迦様のお言葉です。 一貫して、自己責任の宗教であるというスタンスですね。 ただここまで科学が発達した現代では

          人の苦しみには原因がある「縁起」 一日一南無 8日目

          自分の救済者は自分自身 一日一南無 Vol.7

          宗教というと、誰かを信じて救いを求めるという性格が強い印象ですが、仏教はそうではなく、頼れるのは自分だけというストロングスタイルです。 ダンマパダでこのように語っています。 お釈迦様は明確に自分のちからで解決しなさい、そのために四諦八正道を理解し修行に努めなさい、というスタンスです。 とかく苦しみの中では誰かにすがりたい気持ちになるし、そのための宗教として発展したきたところが、他の宗教では強いと思いますが、仏教は他とは明確に一線を画していますね。 厳しい言葉ではありますが

          自分の救済者は自分自身 一日一南無 Vol.7

          四諦八正道 Vol.6 一日一南無 

          4つの聖なる真理が「四諦」になります。 四諦は「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」を指し、「苦諦」はこの世に生を受けたら苦しみの連続であるという、「一切皆苦」のこと。「集諦」はその苦しみは人間の煩悩であることを知るということ。「滅諦」はその煩悩を打ち消すことで苦が消えるということ。「道諦」は煩悩を打ち消すための具体的な八つの道」=「八正道」を意味します。 四諦が苦しみのメカニズムから解放される道筋までを示してくれているわけですね。 さらにこの八正道の中身は、、、 ①正見(正しい

          四諦八正道 Vol.6 一日一南無 

          一切皆苦 〜すべてのことは苦である〜

          今日もお釈迦様の言葉をまとめた、仏教最古とされる経典、「ダンマパダ」から。 一切皆苦は仏教の基本的な考え方で、四法印のひとつである。 すべてのものは「諸行無常」であり、生まれたときに壊れる宿命を持っている。パートナー、友人、家族、楽しいことや嬉しいこともいつかは無に帰り、無に帰ると必ず苦しさが訪れるなので、すべては苦しい、ということだ。 この苦しみを消すには、「智慧で見る」=自分の心の在り方、ものの見方を変えることしかないというのが、お釈迦様の教えであります。 具体的に

          一切皆苦 〜すべてのことは苦である〜