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輪廻 一日一南無 16日目

輪廻や輪廻転生という世界観は程度の差こそあれ、古今東西大昔から言われているものです。
お釈迦様もダンマパダでこのように述べています。

悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。

善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。かれは、自分の行為が淨らかなのを見て、喜び、楽しむ。

悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦悩のところ(=地獄など)におもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む。

善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、幸あるところ(=天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。

ダンマパダ 15〜18

もっとも、現代では科学的に輪廻や生まれ変わりという概念は証明されておらず、現代の人たちで生まれ変わりを本気で信じる人は少ないでしょう。

一方で江戸時代の臨済宗の東嶺和尚は「1日の中でも輪廻をしている」とおっしゃっていたそうです。
当然その時に科学的に輪廻はありえないということを考えていたわけではないと思いますが、言われてみるとたしかにというか、そのような考え方は健全であるなと思った次第です。

お釈迦様や仏教も相当に合理的な考え方をされていると思うので、お釈迦様も物理的に生まれ変わるということよりも、実態の無い「自分」というものが移ろいゆくなかでも、善き行いを続けることが重要だ。ということを説きたくて、冒頭の引用のようなお話をされているのではないかと思いました。


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