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「みんな」という言葉の危険性

私は会話の中での「みんな」という言葉に疑問を抱いています。

「みんな」って何?

使い道によってはみんなというものはとても使いやすいもので素晴らしいと思います。
しかし、普段の生活の会話のなかで「みんな」という言葉が出てくると、最近かなり、もやもやします。

●多数に呼びかける時の「みんな」

私は、大多数に呼びかける時の「みんな」はとても使い勝手の良いものだと思います。
何かのイベントの時に、「皆さん静かにしてください」や「皆さん、お越しいただきありがとうございます」など。
他は、学校や団体などでも「みんな・皆さん〜してください」などはとてもいいと考えます。
みんなということは自分ごとに捉えられるので、いい場面も多くありそうです。

●個人間で話す時の「みんな」

私は、話の中で出てくるときの「みんな」について、危険性があると考え、私はこの時の「みんな」という言葉を好みません。

私は小さい時から
「みんなが〜してるからやりなさい」
「みんな〜だよ」

という親からのしつけを受けてきました。
大学になるまでこのしつけの悪さに気づきませんでした。

そして、親以外でも、みんなという言葉を使う人は多くいる気がします。

友達の中でも
「みんな〜だから私も〜しなきゃ」「みんな〜だけどどうなの?」
「みんなすごい!」「みんな〜してるみたいだよ!」
という子がいる気がします。

私は今まで、この「みんな〜」という決まり文句を聞いて焦りを感じたりしていました。
「みんなと同じことしなきゃ」という無意識の縛りです

しかし、本当にそんなことはありますか?

確かに、小さい組織の中の「みんな」には当てはまるものがあります
しかし、みんなが本当にみんななのか。
私は違うと思います。
みんなというのはすべての人のことで1人違う人がいたらみんなではありません。
この世の中にみんなと表せる場合はどれくらいあるのでしょうか。
同じ人間は1人もいないのに。

この、みんなという言葉の危険性に気付かない人、そしてこの言葉をよく会話の中で使う人は、他の人に合わせて生きていくことになると思います

この言葉は多くの人の良さを潰してしまっているのではないかと思います
私たちは一人一人違う個人で、自分の人生は一度きりしかありません。

他の人にあわせる人生は楽しいですか?

みんな同じなどといったことはこの世の中存在しないことを多くの人に再度気づいて欲しいです。他の人に合わせて生きるのが楽というのなら、それはそれで一つの考え方です。

しかし、他人を気にして、他人と比較しながら生きる人生は、心苦しいという人も多くいると思います。私もその1人でした。

再度、書いておきますね。

『みんな同じなどといったことはこの世の中存在しない』

ということを。

少なくとも「私は」会話の中でみんなという言葉を使うことを避けます。

ではでは。




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