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父親の手を握った日


大人になって初めて父親の手を握った。
私からではなく父から、握ってくれた。
優しいとは思わなかった。暖かいかはわからなかった。なんか恥ずかしくて、涙が止まらなくて、父親のせいで泣いてるなんて思われたくなくて、私は涙を手術への恐怖のせいにした。

「何も考えなくていいから」

そう言って父は笑う。



これが本当の笑顔なのか悲しい笑顔なのか、それを判断するほど私は父のことを知らない。

「この先何があっても、俺がどうにかする。だから何も考えず行ってこい」

私は腰の骨を折ったため手術をした。
骨が折れて神経にささりそうになっているので、固定するためにボルトをいれるのだ。
神経に刺さってしまったら半身不随や足に麻痺が残って歩けなくなる可能性がある。それを聞いて私は初めてとんでもない所が折れたのだと自覚した。

骨折も初めてで、全身麻酔も初めてて、そもそも手術という名のものが初めてだった。

普段なら付き添いで手術前まで家族が面会できるのだがコロナの関係で面会がNGになっていた。ただ何故か特例で5分程、1人だけならという条件で面会の時間をとってもらえた。
私は兄か叔母が来ると思っていた。2人が心配して言ってくれたのかな、と。父はまず病院にすら来ないだろうって思っていた。
でも違った。面会ですよ、と看護師さんが連れてきてくれたのは父だった。

正直気まずかった。
話すことなんて、話せることなんて、まして弱音なんて、言えないと思ったから。

「来てくれてありがとう」

父は小さい子供にいい聞かせるように「泣かなくていいんだよ」と言う。

「ごめんなさい」

涙が本当に止まらなかったんだ。
涙が止まらなくて、これがどんな意味の涙なのかもわからなかったんだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい。こんな事をしてごめんなさい」

父親は何も言わなかった。けれど握った手は決して離さなかった。

「……頑張れ」

不器用な人なんだ。ほんとうに。

「がんばれ。パパは今日ずっと終わるまで待ってるから。」

そういえば昔はパパなんて呼んでいたっけ。
懐かしい。懐かしいんだ。大人になってから父を呼ぶことなんてほとんどなくなっていた。

おそるおそる父の手を握り返した。

「手術怖い。怖いよ」

生まれて初めてだと思う。
父に弱音を吐いたのは。
父に甘えるように自分の気持ちを言うのは。

私は泣いた。泣いて、泣いて、もう手術を言い訳に出来なかった。小さい頃からきっとこんな風に出来たのなら、もっと幸せな関係があったのだろうか。
きっとずっと、私、ずっと前から、こうしてみたかったんだとおもう。
親を拒否するのではなく、ほんとうはずっと甘えてみたかったの。

「がんばれっ」

父が私を見る。ゆっくりと笑う。
眩しそうに目じりに皺が寄る。
もう分かるよ。大丈夫。
これはきっと本当の笑顔なんだよね。

「行ってくる」

今まで色んな人に父と顔が似てると言われてきた。
だから今同じような涙の笑顔がふたつ。
ここに居るはずだ。

5分が過ぎた。迎えに来た看護師さんが私たちを見て「会えてよかったね」と言ってくれた。私は迷いなく頷いた。

父の手は恥ずかしそうに離れていった。
でも大丈夫。
もうきっと多分、いつだって握れるから。

手術室までの移動中看護師さんが嬉しそうに「お父さん、心配なんだね。優しいね」と言った。
「普段はあんまり仲良くないんですけどね」と苦笑いする私にネタばらしするようにクスッと笑う。

「実はねお父さん、電話してきたんですよ。今日行ったら会えますか?って。コロナの説明したんだけど、どうしても顔が見たいんだって」

知らなかった。

「今回は事情もあるし、許可が出たの」

そんなの、全然知らなかったんだ。

「心配じゃないわけないよ。大切な娘だもの。手術、頑張ろうね」

そこで私の涙腺が崩壊してしまった。唸るように「ありがとうございます」と伝えると看護師さんが困ったように笑いながら涙をタオルで拭いてくれた。
それでも次から次へと溢れ出てきてしまう。

涙を塞ぐように目を閉じる。
父の「がんばれっ」の声が聞こえる。
飛び降りた時は目を閉じても誰の声も顔も出てこなかったのに。

嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて、やっぱりどうしても泣けてきて。

こんなにも泣いた日は産まれた日以来かもしれない、なんて。





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photo by ryutaro

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