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悲しみの思い出を抱いて僕らは生きていく

私が会社を休職した話をすると、ある人は「まあ、長い人生だし、そういう経験もいいかもね」と言い、会社の愚痴をこぼすと、ある人は「短い人生嫌なことしている時間はもったいないから、早く逃げた方がいい」と言う。


果たして人生は長いのか短いのか。


どうやら、話しているその時の雰囲気で人生の長さは変わるみたいだ。

よくわからないけど、どちらにしても私を励まして頂いていることに代わりはなくて。


私は4、50代の方に縁があり、仲良くなったり、お話することが多い。

会話の中で人生の先輩のありがたいお言葉を聞くことが多々ある。


私が休職してしまう決定打だった課長とのお話で、一番印象に残った言葉があった。




嫌な記憶は忘れるように、出来ているんだよ。そうしないと辛くて生きてるのが嫌になっちゃうからね


私はこの言葉を聞いた時、課長の価値観は好きだな、と思った。今は残念な関係になっちゃったけど。


私たちはいいことも嫌なことも日々たくさん溢れている。

今回の件にしかり、私も33年以上生きてきて、嫌な思いもいっぱいしたし、辛かったこともたくさんあった。でももともと忘れっぽいこともあり、断片的には思い出すけど、しっかりとクリアに思い出すことは出来ない。それだから救われていることもあった。


人間忘れるように出来ているのは生きていくためなんだと思う。

記憶は完全に消し去ることは出来ない。なんであんなことをしてしまったんだろうという反省も。あの時こうしてればよかったという後悔も。

きっと私は何度過去をやり直しても同じ決断をすることしかできないだろう。だから過去を後悔することは意味がなかった。悩みに悩んで出した答えたちは間違ってるときもあるし、正解な時もある。でもその時その時は確かに考え抜いて出した結論で、自分は目の前の事実に真剣だった。


消えない過去も、苦しみも、全部消すことは出来ないなら、

せめて記憶を薄くして、全部自分の血肉となって抱えて生きていこう。

いいことも悪いとこも含めて私だから。

そしてその痛みを感じた経験があるからこそ誰かにそっと寄り添えたらいい。


今回の休職の経験も正直会社の同僚の方々や上司からの評価の点で見るとあかんと思うし、11年会社の中でゆるキャラとしてやってきた自分には痛い経験だ。

以前私は、知っている方が病休に入ったと聞くと「あの方が病休?!」とびっくりしたし、もしかしたら私の噂も他の人が聞いて今頃聞いてびっくりしているかもしない。ネガティブに考えると引いている人や、見方が変わってしまった人だっているかもしれない。


前の私だとそんな私の部分見せたくなかったし、誰にも知られたくなかった。でも今はいいや、って思える。どうしてかな。病休という経験が私の価値観を変えたみたい。だって弱い部分も私だから

今度もし復帰するとしたら(復帰しないかもしれないけど)誰かが病休になったと聞いても驚かないと思う。心が疲れたから休んだまでの話。大したことではない。

人はなにごともその立場に自分が立ってみないとわからないよね。


前よりも優しくなれる経験だった、と未来の私が笑っていたいと今は思える。

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