まる
適応障害と診断されて休職中に自分と向き合う文章です。
適応障害/HSP/メンタル系についての記事です
スキをたくさん頂いた記事です。
詩とかポエムのような記事です。
私の家族についての記事です。
寂しがりやのひとり好き 大学生の時に流行っていたmixiというSNSに「寂しがりやのひとり好き」っていうコミュ二ティーがあった。 まさにその言葉がしっくりくるのが、18歳のころの私ではなく、歳を重ねた今の私だ。 現在休職中の私は社会とのつながりが途絶え、圧倒的に人と話す機会が減った。そもそも少なかった友達とのつながりもコロナ過によってさらに拍車をかけて薄まった。 今私の親友は先週買ったこのピンクのsurfaceのパソコンちゃんだ。 持ち歩けるように、旦那が「これで肩
「かわいく花が咲いてるね」 ジムに行く途中、どなたかのお家に咲く梅の花を指さして旦那が言った。春が来たようだ。今日はとても暖かかった。 気温が上がってくると心と身体の調子がいい。昨日、ジムに2コマ行って痛んだ身体に鞭打って午前中からまたもう一コマ旦那とジムに行った。最近は毎日のようにジム通いの日々だ。今月は利用回数15回を達成した。すべては薬の副作用で太ってしまったので、復職までに痩せたいの一心。休職して5キロほど太ってしまった。よく調べるとエビリファイは副作用で太るとの
今日はジムのレッスンを2コマ出た後に、焼肉に行ってきました。とっても幸せです。 やっぱり心の一番の治療は運動と美味しいごはんだなぁって改めて思います🌸
ずっと強くなりたいと思ってた。何にも動じない強い心が欲しいと思っていた。でもふと、違うな、と思った。身に着けたいのはしなやかな心だ。 カチカチの心は何かにぶち当たってしまうと壊れてしまうかもしれないし、時に誰かの前に立ちはだかる壁になってしまうかもしれない。私がなりたいのはそれじゃない。もっと柔軟で柔らかい思考。優しい気持ち。 ネガティブの渦に入りそうな時も、渦をひらりとかわせるような身軽さ。理不尽な攻撃を真正面から受けないスキル。傷ついた人にそっと寄り添える器。それが強
自己受容と承認欲求誰でもある。大事な感情。承認欲求。私はきっと人一倍強い気がする。そして、大人になってからは、一番の自分の課題は自分で自分を認めてあげることだ。 病院のカウンセラーさんに言われた言葉で今でも心に残っている。 「まるさんは自己受容出来るようになるのを目指しましょう」 自己受容・・・ありのままの自分を受け入れること。 ありのままの自分をどこか受け入れられないから、人に対して演じて対応して、勝手に疲れての繰り返し。それは相手が悪いわけじゃない。全部自分が相手
久しぶりに欲が出てきました。物欲。これは最近なんの欲もなく、ただただ無で過ごしていた私にとって不思議でわくわくする感覚です。 携帯を見てたら、かわいくて試着したいと思う服が目に飛び込んできました。その気持ちが嬉しくなって、にやにやしながらスクリーンショット。 唯一なんでも話せる友達に「この服可愛くない?」とラインすると、友達は「かわいいね」と返してくれたあと、 「服が欲しいと思うことは良い事。気持ちが上向きになってるということ」 とメッセージをくれました。ありがたや。
「今日遊戯王友達と通話でやっていい~?」 最近毎日のように、夜旦那からお伺いがくる。 旦那は今遊戯王のゲームにハマっていて四六時中モニターの前にいる。PS4でも、タブレットでもスマートフォンでもどの端末でもゲームが出来るんだ、とどや顔で言っていた旦那は様々な機器を駆使して、ゲームにはりついている。そして友達もゲームをしているので、通信対戦したり、ライン通話で盛り上がりながらゲームにいそしんでいる。なにが言いたいのかというと、寂しいのである。隣の部屋にいるとにぎやかな声が聞
「まるさん、次回から診断名を適応障害からうつ病に変更してもいいですか?」 いやです・・・と喉まででかかった。けど、「わかりました」と素直にイエスと答える。私の中で適応障害とうつ病は似てるけど、全然違うものだ。私は二種類の薬を処方されている。年末年始にかけて、調子がよかったのと、復帰までに薬をやめたい一心があって12月ごろに薬を一種類減らしてもらった。調子にのっていたのだ。 薬を減らしてしばらくたったあと、完全に薬の効果が切れたのか、次第に調子が悪くなり、なにもないのに電車
休職中ほとんどカフェに住んでると言っても過言ではない、くらいカフェに通っている。カフェとはいってもドトール、タリーズ、コメダ珈琲店、といった身近なチェーン店をぐるぐると。ここはこないだ行ったから、今日はこっちにいこう、とこだわりなく巡回している。カフェは落ち着くし、さみしくない。 休職中、一人が好きだと思っていた私は生粋の寂しがりだということに気づいた。煩わしかったり、気を使って傷つく人間関係だったら不要だけど、やっぱり1日のうちに人が近くにいてほしい人間なんだなぁと。カフ
noteと久しぶりに向き合っている。 真っ白なページに自由にお書きください、が懐かしい。 以前は毎日noteを書くのが日課で、文章を書きながら頭の中を整理してデトックスして心を落ち着かせていたのに。 一番最後に書いた記事が12月。ずいぶん経った。YouTubeの動画作成も1月くらいから止まっている。文章を書いたり、動画を作ったり、アウトプットすることがピタッとできなくなってしまった。なんだか、そーゆー時ってありますよね。 ずっと休職していて、今も休職中で、病院行って薬
noteを書こうとする。でも、Twitterに少し文章を吐き出すと、それで満足する自分がいる。note、Twitter、YouTube、、、snsだけでもこうなのに、現実世界では選択肢が多すぎて、迷いすぎてしまう。 会社に復帰する、転職する、正社員はあきらめて、パートする、専業主婦、、いろんな道がありすぎる。 でも、どの選択をしても自分がとった選択は全部正解なんじゃないかな、と思う。 だって自分が決めたことだから。 ♢♢♢ 気づくと、もう12月だ。1年が終わってしま
最近は本格的に適応障害が小さくなっているまるです。 5月に休職して、約6か月ちょっと。一番は時間が体調の調子を良くしてくれていると思います。あと薬。 そもそも、休職初期ってどんなだったけーとぼんやりと思い出しましたが、今の自分の状態と全然違っていたなぁ、としみじみ。 振り返ってみます。 ♢♢♢ 人が怖い。とにかく人が怖い。目を合わせられない。 目を合わせられず、下を見る日々でした。店員さんでも怖かった。 ずっと寝ている。 薬の症状で眠気が止まらなかったのと、起
今日、本当は休職して初の会社に行く日だった。なにやら色々と説明があるらしかった。でも当日に近づくにつれ、不安と恐怖で、頭がぐるぐるし、結局上司にお断りの電話をした。 会社には行けない。 断りの電話をしながら、ふがいない自分に涙がでた。普通の社会人や大人ってやつが出来ないことがみじめでむなしかった。 ~~~~ ぼーっと横断歩道の信号待ちをしている時に、ああ、この車の中に飛び込んだら楽になるのかな、なんて物騒なことを考えてしまう時がある。でもしない。きっと痛いのも嫌だし、
そう考えると適応障害に感謝かもしれません。 毎日ぼーっとただ漫然と働いていた私に突如襲ってきた精神疾患の期間。社会との断絶。たくさんの一人の時間。 いやというほど、自分のこと、働くことを考えて、考えて考えました。 人との関わり方、自分のいいとこ悪いとこ、好きなこと、嫌いなとこ。 就職活動以上に自分に向き合うことが出来ました。 人生って意味のないことは起こらないっていうし、乗り越えられないことは起こらないっていうから。きっと、今回のことは自分に対してなにか大きなメッセ
昨日は休職に入って初めて部長と面談・・・のはずだった。予想通り、部長から予定変更のラインが来て、金曜日になった。果たして金曜日も面談はあるのかな? なんだか気をはってたのが肩透かしになり、すっかり気が抜けてしまった。でも私はこれくらいでいいのかもしれない。気づくと肩がぱんぱんになりやすく、肩や背中がはってしまうのだ。 緊張。 人といたり、一人で考えすぎると身体がガッチガチになる癖は昔から変わらなかかった。すぐにネガティブな思考になったり、不安になったり。まったく、私って
お久しぶりのnoteです。 最近は鬱症状がほぼない日が続いています。治ったのかな? 先生に薬をやめてもいいか、聞いてみたいと思います。 明日はいよいよ休職ぶりに部長に会う日です。病院の先生に相談したら、 「どうしても心配なら、以前処方した頓服を飲んでからいくといいですよ。それでちゃんと会えたら、自信にもなりますしね。」 と提案されました。 ジャンキーのそれです。 あんまり薬に頼るのはよくないかな、とも思うのですが、当日どうしても辛かったら飲んでから行こうと思いま