果たして本当に私は一人が好きなのか問題
寂しがりやのひとり好き
大学生の時に流行っていたmixiというSNSに「寂しがりやのひとり好き」っていうコミュ二ティーがあった。
まさにその言葉がしっくりくるのが、18歳のころの私ではなく、歳を重ねた今の私だ。
現在休職中の私は社会とのつながりが途絶え、圧倒的に人と話す機会が減った。そもそも少なかった友達とのつながりもコロナ過によってさらに拍車をかけて薄まった。
今私の親友は先週買ったこのピンクのsurfaceのパソコンちゃんだ。
持ち歩けるように、旦那が「これで肩楽になるよ」と大きなリュックも買ってくれた。どこでもいっしょである。
朝起きたらまずパソコンを開く。
基本的にテレビの音が苦手なので、旦那がいなくてごはんを食べてるときもパソコンを開きながらご飯を食べた。
時は遡る。
大学1年、上京してきて、友達がうまくできなかった私は常にパソコンを開いてごはんを食べる生活をしていた。
そのころはmixiで地元の友達の日記を読んだり、当時流行っていた涼宮ハルヒの憂鬱を垂れ流してみて過ごした。
でも、そんな生活に嫌気がさし、アルバイトを探し始めた。
そのアルバイトは最高の環境で、尊敬する店長、趣味が合う仲間、彼氏と出会うこととなる。
接客を評価して頂き、承認欲求が最強に満たされた。
そのアルバイト先は就職するまで続けた。
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昨日いつものようにネットサーフィンしていたけど、急に孤独が押し寄せてきて、泣いた。
嗚咽だった。
寂しかった。パソコンじゃ癒せないなにかがあった。
寂しすぎて起きてるのが辛くなり、お酒を飲んで寝た。
強がって病院で薬をもらわなかったけど、次はもらおうかな、と思う。
私は人と関わりたかった。
でもあの職場に戻るのは今は無理だった。
人が嫌いだけど、どうしようもなく人が好きな自分に気づいた。
その日の夜上司から長文の愚痴のラインがきた。少し嫌な気分になったけど、寄り添って親身に返したラインを送る自分は好きだった。
私は人と関わるのが疲れるし、一人になりたくなる。
でも寂しがりやだ。それを認めることにする。
働くことは演じること
会社を休職するまでは、毎日たくさんの同僚や上司に囲まれ、いい人を演じていた。常に笑顔でよく「癒されるね」「いつも元気でいいなぁ」と言われていた。
もちろんその自分も私の中の自分であり、全てが偽りだったわけではない。
でもやっぱり基本は本音を出さない、余計なことを言わないに徹していた私は70パーセントくらいは自分じゃなかった気がする。
とある先輩が【働いてることは演じること】だと言っていた。
確かに私は毎日女優だった。毎日毎日朝早く起きて化粧をしっかりして、髪を巻く。感じのいい社員に徹していた。
主演女優賞がほしいよ。だって今考えると毎日全力で演じてたもん。
日本アカデミー賞に呼ばれてレッドカーぺット歩きたい。気分は長澤まさみちゃん。
どのサラリーマンも演じることで会社が回っているといっても過言ではない気がする。中に演じることが下手な方がいることで社内の人間関係がおかしくなって、崩れるんだろうね。
給料をもらう中に、円滑な人間関係を築くこと、は、最低条件だと考えていた私は、感情を出したり、言いたいことを言いすぎる人をどこか見下していたのかもしれない。
でも今思えば、役者だって休憩時間はあるし、アドリブを言うときもある。私生活がハチャメチャだったり、時には週刊誌に撮られたり。
マネキンじゃなくて、生身の人間だから、どこかで吐き出さないと我慢し続けたら壊れちゃうよ。
吐き出しすぎもどうかとは思うけど、適度に吐き出せばよかったよ。
なにごとも適度だね。
でもそれが難しいのだけれども。
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