見出し画像

Q&A:10年間の歩み

こんにちは。私は摂食障害はじめ、精神疾患経験者で経験談から考え方、メンタリティーについて X @mgmgpai で質問やお悩みを頂いて Ameba blog @konpaichan でお答えさせて頂いています。

今回は頂いた質問に答えるnoteです。考え方の選択肢の一つとして参考に読んで下さればと思います。

頂いた質問です、ありがとうございます。


心の苦しみ

心の苦しみが体型に反映されているのだと思います。10年という長い時間で向き合っていたのは「痩せたい自分」なのか?それとも痩せていたい気持ちの奥にある「生き辛さ」なのか。

今日までの時間が「何の為だったのか?」は、これから分かると思うんです。

これまでは、置いておいて「今」にフォーカスしましょう。今は繰り返したくない強い意志を持って、また回復期を迎えました。まず、この「もう一度」の一歩を踏み出せた気持ちに誇りを持って下さい。

今日までの時間で、もうこの生活に踏ん切りを付けたいと思えたのなら無駄じゃないですよね。私はそう思います。

きっと10年間分の苦しみが教えてくれる事って、これからの回復期や人生にあると思います。それを見つけていきませんか?


時間を巻き戻して「摂食障害を発症した時の自分」は何に悩み、苦しんでいましたか?

10年間は「痩せと隣り合わせにいる自分」を見て感じてきたから本音を汲み取れる余裕もなかったのかもしれません。

今、本音を見出そうとして思い浮かべる自分像って「10年前の苦しい自分の姿」ではありませんか?

でも、違う。回復して、存在する自分の姿は過去とは重ならないんです。だって、10年間の時間が質問者様にとっての「学び・気付き」に必ずなっているから。

自分がそう思えなくても、今「また進んでみよう」と思ったのはこれまでの時間のおかげですよね。もう繰り返したくないと思ったのも、今日までの時間から得た学びなのでは?と私は受け取ります。


では、ここから何が大事なのか?と考えると10年前の自分の心のあった苦しみを探してみる事です。

ここまで執着させる程、何が苦しかったのか?痩せに盲目になっている時は苦しみの問題に深く考えられない気がするんです。

今だから考えられる事だと思うので、そういう時間を作ってみる・意識してみるのも回復期の選択肢の一つかなと思います。


自己否定の心

繰り返しになりますが「摂食障害になった後の自分の心」と長く過ごした時間で「自分の本音」が区別できなかったり、摂食障害になった自分に対する後悔や自己否定が「本当の自分」にまで、怒りなのか悲しみなのか向けてしまっていませんか?

またどうせ、とか。限界を決めてしまっている(これまでの回復期の繰り返し)から今回も無理だとか。

毎回、違うんだって思ってあげて欲しいです。その時々の自分に嘘はないはずで、時々に成長してきたはずです。

自覚って、難しいんですよね。私も自分を未熟だなって感じますが、ある時から比べると「凄い成長している」って思うんです。

何度もトライしてきた分、学んだ事があって。それを活かす時がやってきたんだと思うんです。

学んだ事って、すぐに使えるわけじゃないんですよね。掛け算とか割り算も小学生では「何これ?必要?」って感じるけど、大人になって便利な事ってありますよね。

全然話の重みは違いますが、似たような事で学んだことがすぐに活かされる訳でもないのでこれからが10年間の模索の理由になってくれるはずだと私は思います。

なので、否定する意味も理由も今はないと思うんです。今はただ、繰り返したくない本音に耳を傾けて、できる事を積み重ねていく時間にしませんか?


最後に

「こんな私」じゃなく「こんなに頑張ってきた私」だから「必ず治る」ってお伝えしたいし、思って欲しいです。

沢山食べて「どうしよう、怖い」って思う度にダメだって責めるんじゃなくてこれからの為にできる事だと思って、乗り越えてみる考えに方向性を持っていってあげたり。瞬間、瞬間の意識で気が遠くなるかもしれませんが積み重ねで絶対に変わります。

また何か不安や質問があれば、気軽に相談して下さい。応援しています。





この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?