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物語のようなもの

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短いお話を思いついた時に書いています。確実に3分以内で読めます。カップ麺のできあがりを待ちながら。
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2023年10月の記事一覧

『心を込めて』

『心を込めて』

バソコンの横には、今日中に仕上げなければならない書類が山積みになっている。
何でも、役所の認可が必要な新しい事業で、突然提出を指示されたらしい。
女子社員で分担しようかとも思ったが、内容を見ると、1人で片付けた方が良さそうだった。
左側の山は既に計算や記入の終わった書類。
右側の山が、まだこれから片付けなければならない書類だ。
ちょうど半分を終えたあたりか。
時計を見るとまもなく正午。
まあまあ予

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『珈琲とか?』 # シロクマ文芸部

『珈琲とか?』 # シロクマ文芸部

珈琲とかはお好きですかって?
今、そう言いましたよね、珈琲とかって。
どうなんですか。
言ったか、言わないのか。
そうですよね。
言いましたよね。
だって、そう聞こえましたもん。
それって、自分で何を言ってるかわかっていますか。
珈琲はお好きですか、それならわかります。
こちらも、返事はYESかNOですよ。
それで、YESなら、例えば、いつもはホットですかアイスですか、好きな銘柄は何ですか、こんな

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『忍者ラブレター』 # 毎週ショートショートnote

『忍者ラブレター』 # 毎週ショートショートnote

いわゆる置き手紙とでも言うのだろうか。
このところ残業続きで疲れ切っている。
もう化粧も落とさずに、何もかも放り出して眠りたい。
そう思って開けた1人暮らしのアパートのドア。
その足元にこの手紙は、置かれていた。

明らかにラブレターだ。
差出人はわからないが、私はその人の人生で一番大切な存在らしい。
待て待て。
宛先はどこにもない。
私の名前どころか、固有名詞など一切書かれていない。
そもそもど

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『自分が増える』

『自分が増える』

昼休み、社食で日替わり定食を食べていた時に肩を叩かれた。
その日のメニューは、日替わり定食の中でも一番お気に入りのアジフライ定食だった。
普通は知っている顔を見つけて、同じテーブルに座るのだが、このメニューの時だけは違う。
角の日当たりが悪く特に人気のないテーブルについて、1人でゆっくりとアジフライを味わうのだ。
そのアジフライに辛子をぬり、醤油をさっとかけて、箸で掴み上げた時だった。
ちなみに私

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『胃のなかの眼』

『胃のなかの眼』

どうも腹の調子が良くない。
毎日、下痢を繰り返している。
食事を消化の良いものに変えてみる。
おかゆや雑炊。
あるいは、うどんをよく煮込んでみたり。
それでも、変わらない。
整腸薬を近くの薬局で買ってきた。
一週間服用してみたが、効果はない。
同僚からは、
「最近、少し痩せましたか」
などと言われる。
確かに、鏡を見ると、心なしか頬がこけているようにも見える。
ズボンのベルトの穴も、ふたつほどキツ

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『りんご箱』 # シロクマ文芸部

『りんご箱』 # シロクマ文芸部

りんご箱、ええ、私はりんご箱でした。
と言っても、若いあなたはご存知ないでしょうか。
私みたいな板切れを打ちつけた箱に、りんごを入れていたなんて。
そうですか、最近はインテリアとして売られているのですか。
それは、それは、よかったです。
そうなんですよ、昔は本当に私の中にりんごが入れられていたのですよ。
りんごとりんごの間には、おがくずを詰め込んだりして。

でも、私の役目はそれだけではなかったの

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『数学ダージリン』 # 毎週ショートショートnote

『数学ダージリン』 # 毎週ショートショートnote

ダージリンが好きだって言ったことがあったかなあ。
あったかもしれない。
設定の際の、数ある質問事項の中に、
「紅茶では何が好きですか」
そんな項目があったような気もする。
多分、他の種類を知らないので、適当にダージリンと答えたのだ。
もちろん、大好きと喜ぶほどではないが、嫌いではない。
だから、ダージリンが出てくるのは別に構わないのだけれど。

ただ、どうしてこれが数学と結びついたのかだ。
何かが

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『秋桜』# シロクマ文芸部

『秋桜』# シロクマ文芸部

「秋桜」と書かれた小さな札が立っていた。
まるで位牌のようだと思った。
コスモスと書かずに、漢字で書いたのには、もしかするとそのような思いもあったのかもしれない。
もしそうなら、そこに書くべき名前を書けなくしたのは私たちなのだ。 
それにしても、しばらく見ない間に増えたものだ。
私は風に揺れているコスモスを一本一本丁寧に抜いていった。
後でまた植えられるように。

父が亡くなった。
葬儀の段取りで

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『スべり高等学校』# 毎週ショートショート

『スべり高等学校』# 毎週ショートショート

「いよいよだな」
タカシが屋上から下を見下ろした。
「あっという間だったけどな」
僕は逆に崖を見上げた。
天気のいい昼休みには、屋上のベンチでみんな勉強している。
年号や英単語を覚えるには打ってつけの時間だ。

来週から推薦入試が始まる。
できれば、春まで待たずに進路を決めたい。
思いはみんな同じだ。
僕もなんとか3校に推薦してもらえることになった。
タカシとはひとつも重なっていない。

崖の上で

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『新しいこと』

『新しいこと』

「新しいことを言おうとしたって、そりゃ、あなた、無駄ですよ」

僕はかなり酔っていた。
10月の連休も終わってまもない頃。
夜が気持ちのいい季節だった。
小さな賞を獲った小説が、ネットで評判になり、2作目、3作目と書き続けた。
しかし、もともとそんなに深い思想や哲学を持っているわけではない。
書きたいことが山ほどあるわけでもない。
世の中に恨みつらみもない。
たちまち、アイデアは枯渇した。
毎日、

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『テロリストの孫』

『テロリストの孫』

祖母がテロリストだったと聞いたのは、わたしが幼い頃だ。
わたしがものごころついた頃に、聞かされた。
特にある日ある時にわたしに向かって話されたのではない。
それは食事の後や、テレビを見ている時に、世間話のようにして語られた。
それを生まれた時から聞いているうちに、わたしにものごころがついて理解できるようになったということだ。
だから、わたしが生まれる前にも、わが家ではそのような会話が日常のものとし

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『最後の良心』 # シロクマ文芸部

『最後の良心』 # シロクマ文芸部

「走らないでください」
男は黄色い拡声器を手に叫んでいた。
スーツには皺がより、ところどころシミもできている。
ネクタイは緩んで、それは伊達に緩めたと言うよりも、もう役割は終えたとすべてを諦めたかのようだった。
その前を、人々は駆け抜けて行く。
我先にと、前の人の腕を引っ張り、転んだ人を踏みつけながら。
悲鳴と怒鳴り声と、夥しい数の足音。
その向かう先には、大きな船。
世界最大と呼ばれる豪華客船よ

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『秋の空時計』 # 毎週ショートショートnote

『秋の空時計』 # 毎週ショートショートnote

ようするに、あれか、娘ごころと秋の空ってやつか。
違うってのか。
そんなこたあ、言わせねえよ。
なんだ、差別だと。
娘ってのがいけねえってのか。
笑わせんじゃねえ。
てめえみてえなババアを娘って言ってやってんだ。
ありがたく思えってんだ。
だいたい、今何時だと思ってんだ。
約束は何時だよ。
この雨ん中をよ、どんだけ待たせやがんだ。
まったく、てめえの心みたいに冷てえぜ。
いや、てめえの心にくらべり

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『ずれた世界』

『ずれた世界』

皆さんは、毎日会っている家族や友人に違和感を覚えたことはないでしょうか。
あるいは、日常そのものに、何か昨日までと違う、そんなことを感じたことは。
彼の場合もそうだったらしいのです。
人と話していてもどこかがおかしい。
別に話が通じないわけではない。
ちゃんと通じている。
会話も成立している。
相手も自分も、お互いに笑顔で返すべきところは笑顔で、思案顔をするべきところは思案顔で、会話を運んでいる。

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