見出し画像

『心を込めて』

バソコンの横には、今日中に仕上げなければならない書類が山積みになっている。
何でも、役所の認可が必要な新しい事業で、突然提出を指示されたらしい。
女子社員で分担しようかとも思ったが、内容を見ると、1人で片付けた方が良さそうだった。
左側の山は既に計算や記入の終わった書類。
右側の山が、まだこれから片付けなければならない書類だ。
ちょうど半分を終えたあたりか。
時計を見るとまもなく正午。
まあまあ予定通りと言えば、予定通りだ。
窓際の上司と目が合うと、申し訳なさそうに頭を下げる。
そんなつもりで見たわけではないのだけれども。

いつの頃からか、わたしには文字を書いた人の気持ちがわかるようになった。
その文字に込めたその人のその時の気持ちだ。
直接自分の気持ちを書いていなくても、時候の挨拶や名前の文字などで、時にはたったひと文字でも、そこからその人のその時の気持ちを読み取ることができる。
恐らく、読み書きを覚えてすぐの頃からだったのだろう。
最初は、その文字から感じているものが何なのかが、自分でもわからなかった。
ただ、気分がよくなったり、苦しかったりした。
成長するとともに、それは、その文字を書く人が、その文字にこめた気持ち、あるいはその時に考えていたことだとわかってきた。

だから、手紙を見るのが怖かった。
授業中に女子だけに回ってくる小さな手紙。
あれですら、その文字に込められた気持ちを読み取ることができた。
放課後にどこかの店に集合と書かれていても、わたしは仕方なく誘われているだけで、本当は歓迎されていない時もあった。
でも、こちらから言い出すわけにはいかない。
わたしが手紙を書いた人の気持ちを知っているなどとは誰も気づいてはいない。
書いた本人だって、懸命にその気持ちを押し隠そうとしてくれている。
そんな居心地の悪い集まりを何度も経験した。

いい時も、もちろんあった。
男子が何かを企画する時に、そのメモから、これをきっかけにわたしと親しくしたい、彼のそんな気持ちが読み取れたこともある。
だからと言って、こちらからありがとうと話しかけることはしなかったけれども。
ラブレターをもらっても、その人の気持ちの軽重がすぐにわかってしまう。
どれだけその人の気持ちが込められているかが。
中には、これが駄目なら、次はあの子になどと考えながら書かれているものもあった。
中には、大切な人などと書きながら、夕食のことを考えている手紙もあった。

このことを誰かに話したことはないが、多分、こんなことができるのは自分だけなんだろう。
同じような人に出会ったこともない、おそらく。
好きな人にわたす何でもないメモに、例えば日付けなどに気持ちを込めてはみるが、それを読み取ってもらえたことはない。

昼休みから戻ると、また書類に取り掛かり、何とか定時までに終わらせることができた。
書類の束を揃えて、もう一度、見直しをする。
誤字脱字はないか。
数字の間違いはないか。
最後に書類を項目ごとに、ステーブラーで止める。
いちばん下には、添付の資料類を揃えて挟み込む。
上司は席を外していた。
上司のデスクに書類の束を置くと、いちばん上にメモを載せた。
「確認をお願いします」
その最後の文字「す」に少しだけ心を込めてみた。
もちろん、その気持ちを上司が読み取れるわけではないのだけれども。
窓の外では、まもなく日が暮れようとしていた。

翌日、上司は昨日のお礼とともに、新しい書類を持ってきた。
これも急ぎで頼むと言う、その顔がほんのり赤らんでいる。
何となくぎこちない。
どうしたのだろう。
書類と一緒に渡された、細かく注意事項の書かれたメモ。
最初の文字に心がこもっていた。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?