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『秋桜』# シロクマ文芸部

「秋桜」と書かれた小さな札が立っていた。
まるで位牌のようだと思った。
コスモスと書かずに、漢字で書いたのには、もしかするとそのような思いもあったのかもしれない。
もしそうなら、そこに書くべき名前を書けなくしたのは私たちなのだ。 
それにしても、しばらく見ない間に増えたものだ。
私は風に揺れているコスモスを一本一本丁寧に抜いていった。
後でまた植えられるように。

父が亡くなった。
葬儀の段取りで、私と姉は久しぶりに顔を合わせた。
別に仲が悪いわけではない。
お互いに家庭を持ち、暮らす土地も離れていただけのこと。
姉は、葬儀屋の手配から、その後の段取り、会葬者への連絡などをてきぱきとこなしていた。
時々姉は下から見上げるように私を睨む。
手伝いなさいよということだ。
そして、私が頷くと、姉の目も少し微笑む。
まるだ、2人は共犯者よと言うように。
実際そうなのだが。

父は病院で息を引き取り、そのまま葬儀ホールに運ばれた。
だから、四十九日の後で訪れるまで、私は実家を見ていなかった。
高校を卒業した後に、姉と同じように家を出たので、もう50年も帰っていなかったことになる。
数年前に、一度だけ父から帰って来てもいいぞと手紙が届いた。
しかし、無視するような形で、帰りはしなかった。
恐らく姉も帰っていないはずだ。
今回も誘ってはみたが、姉は首を横にふった。
姉は夫だけを連れて来ていた。
姉の子供たちは、結局一度も祖父の顔を見ることはなかったはずだ。
私の子供たちも同じだ。
姉はどうしたのか聞いていないが、私の夫も、父には一度も会っていない。
もちろん、父も、自分の孫を一度も抱かずじまいだった。
父は、結局、この家を守るために、私と姉を守るためだけに、生きて、この家に住み続けたのだ。
それでも、私は後悔をしたことはない。
父と私たちを裏切っていた母に、あの日、まだ中学生だった姉と私がしたことを。

コスモスを抜き終わると、スコップを手にした。
あの時、穴を掘ったのは姉だった。
私も手伝いたかったけれども、スコップはひとつしかなかった。
このスコップが、あの時と同じものかどうかはわからない。
庭の隅の倉庫にあったものだ。
父は子供ふたりが走り回れるようにと、庭の広いこの家を買ったという。
恐らく、その時思い描いていた景色には、私たちを追いかける父と、その隣には母がいたのだろう。
1時間ほども経っただろうか。
結構深い穴になった。
ない。
姉はあの時どれくらい掘ったのかなどと考えるまでもない。
ここまで深くはなかったはずだ。
しかし、そこには、あの時、姉とふたりで埋めたものがなかった。
もちろん、もう何十年も前のことだ。
しかし、人間の体の全てが溶けて無くなるはずがない。
私は父の帰って来てもいいぞと言う手紙を思い出していた。
そこには、正確には「帰って来ても大丈夫だ」と書かれていたのだった。
そして、この家は父が亡くなった後は、「いつ処分してくれてもいい」と続けられていた。
そう言うことかと思った。
父が同じようにここを掘り返して、また、コスモスを植え戻している姿を思った。
そう言うことだったのだ。
そのままにして帰ろうとした時に、あの「位牌」が転がっているのに気がついた。
穴を掘るときに、一緒に掘り返してしまったのだろう。
「秋桜」と書かれた札の裏を見た。
そこには、もう忘れかけていた母の名前があった。
私は思いなおして、穴を埋めた。
そして、コスモスを一本一本もとに戻していった。
その根に土をかけながら、私は自分のした事を、初めて後悔していた。

※下の作品の続編のような位置付けです。


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