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第4話 ブリットポップが壊した文化の分断

Today's Pick
Portishead 'Dummy'

第1話 (みんなの文藝春秋でも取り上げていただきました)

 ポーティスヘッドの衝撃的なデビュー作は広島の片田舎にいた私にもばこーんと一撃を与えた。1994年、十八の歳、当時の私は通学中にも家でも大音量でヘビーリスニングしていた。とにかく暗いし、ビートもかっこいい。シンプルなアレンジとベス・ギボンズのか細い幽霊みたいな声も魅力的だった。「ダミー」はギター音楽を中心に聴いていた当時の私の耳にすこぶる新鮮だった。いや、新鮮なだけではなく、稀に出会う傑作だったからジャンルを超えて魅了された。魅了されたのは私だけではなかった。当時世界中がこのニューカマーに熱狂、興奮していた。

 94年という年は世界の音楽シーンにとってどえらい年だった。ベックのメローゴールド、ブラーのパークライフ、オアシスのデフィニトリー・メイビー、ジェフ・バックリーのグレース、グリーンデーに、マニックス、スウェードに、プロディジー、パルプに、ペイブメント、ウィーザー、ホール、ビースティーボーイズ、REM, マッシブアタック、ストーン・ローゼズ、プライマル・スクリーム、ライドなどなどアホみたいに化けもんバンドが次々と名作を残した年だ。今ふり返っても鳥肌がたつ!私は当時のMTVに噛り付いてワクワクしながら毎日PVを見ていたのだ。当時ニルヴァーナのMTVアンプラグド・イン・ニューヨークもヘビロテだった。その時のカート・コベインの病んだ顔が忘れられない。カートが死んだのも94年。ちょうど私が渡英する1年前の4月だった。

95年3月、出席日数足りてなかったような気もするけど、熱血担任の計らいか、大人の事情か、まるで性に合わなかったカトリック女子高校を無事卒業。4月の出発まで集中的にバイトしてラストスパート、初の単身ロンドン生活に備えた若き日の私。20万くらいは貯めたと思うけど、(今考えると少なすぎて笑っちゃう)そんなのはあっという間に消えちゃった!子供ながらに20万は大金だったから、あまりにあっさりなくなったものでどこかに落としてきたと信じていた。ほんと、子供だったなぁ。

 広島では春の陽気。シャツ一枚で気持ちよかった。その感覚のまま軽装で渡ってしまったものだから、イギリスの4月の雨の冷たさと、都会のぶっきらぼうな接客とすっかり心も体も凍りつきました。本当に寒かった!それでもダブルデッカーから見えるヨーロッパの建築物には圧倒されたし、クラスメートにはヨーロッパや南米からの留学生も沢山いて、毎日が刺激的だった。クラブにもよく遊びに行ったし、そこでMTVのプロデューサーと知り合ってMTVの公告(番組の合間によくあるやつ)にも出演したりして、面白かったなぁ。日本の雑誌のストリートファッション的なのとかもカムデンあたりをうろうろしてたら撮られたりしたこともあったなぁ。
 もちろんライブもよく見に行った。特に500から3000キャパの中級サイズのライブハウスに、故郷からのバンドの先輩とよく行った。彼は私より一年先、華の94年に渡英していたから、案内役には持って来いだった。一年間書簡で情報をやりとりしてロンドン情報をたくさん教えてもらってもいた。
 その頃よく行った箱、アストリアはもうなくなちゃった。そこではブラー、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン、スーパーグラスなど人気ギターバンドとモッシュした思い出の場所。インディークラブイベントもあったし、そういえばアストリア2とかって小さめの箱でも演奏したっけ。

 何と言っても95年のハイライトはグラストンベリーではなかろうか。当時は壁を超えてフェスに潜り込む輩が普通にいて、今ほど規模もモンスター級ではなかった。チケットにフォトIDなんてなかったし、価格だって今と比べて四分の一くらいで安かった。私が最初で最後(お客さんとして)グラストへ行った95年は珍しく雨が降らない年だった。泥の水たまりにダイブする、はっちゃけた兄ちゃんの映像はイギリス夏の風物詩くらいの勢いだ。ラインナップはお化けバンドのOASISオエイシス(イギリスではこうゆう発音)がピラミッドステージのとりで、ジェフ・バックリー、ブラック・クロウズ、PJハーヴィー、ザ・キュア、シンプル・マインド、プロディジーなど時のバンドが名を連ねた。
 初グラストの金曜の夜、熱気ムンムンの中オエイシスが登場。マンチェスター出身の労働階級を代弁する輩はキャッチーなメロディーと歪むギターでたくさんの若者の心を掴んだ。リアムの天性のパンクヴォイスで煽るステージも良いのだ。気がついたらまきちゃんと私はでっかい男子に囲まれていた。ずんずん押されてステージ前まで来てる。それでも熱狂した彼らはモッシュしまくって、小さなマドモアゼル・ジャポネーゼには気がつかない。死ぬね、これ、死んじゃう!「アイム・ゴナ・リブ・フォーエヴァー」(永遠に生きるんだ)ってリアムまじか、速攻まきちゃんと手を握りあって、ステージに背を向けて安全地帯まで逃れたのでした。

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 イギリスの夏夜は冷えるんです。夏なんです。セータを着込んでも夜はキャンプファイヤーから離れられない。朝は朝で、からっからの脱水状態で目覚めるし。フェスって過酷ですね。サイト内はなんとまあ広大なこと!食事もドーナツとかバーガーとかジャンクフードしかないし。それからトイレは日に日にスラム化していく。なかなか劣悪な環境で、当時若いのにもかかわずへたばっておりました。ステージ間の移動に時間がかかり、なかなか思うようにバンドを見ることができずにいたのですが、土曜のとり、ポーティスヘッドは絶対に外せなかった。プログラムを見ながらアコースティックテントに向かった私たちは小さなテントからどわーっと溢れる群衆を見た。全然近寄れない。前日のオエイシスの恐ろしい体験があるもんだから、群衆をかき分けて行く元気は私たちには残っていなかった!この時のポーティスヘッドのステージは永いグラストの歴史の中でもレジェンド化している。こうゆう時にこそ「アイ・ワズ・ゼア」(私はそこに居た)と自慢するもんだ。

 当時ポーティスヘッドの出現でオエイシスのノエルやレディオヘッドも影響されたと言っている。ポーティスヘッドはそれから大きなムーブメントとなるトリップホップの先駆者となった。人種の垣根が低いイギリスのクリエイティブな若年層は、柔軟にお互いの文化を吸収していく。ダブだってファンクだって、ラップだって、インディーだって、エレクトロだってパンクだって誰のものでもない。良いもんは良い。かっこいいもんはかっこいい。混ぜまくって出来上がったものがトリップホップでポーティスヘッドなんだから。
 黒人か白人か、男か女か、金持ちか貧乏か、日本か韓国か。線を引いてカテゴライズした瞬間から差別や分断が始まると思う。大切なことはカテゴリーに注目するんじゃなくって、その中身をしっかり見て知ることだと思うけど!
 好きな事に無我夢中になれるクリエーターやアーティストにはカテゴリーの壁があまり見えてないのだろうと思う。余計なものが見えていないから本当に大事なものが見えてくる。そうゆう人が増えると世界は割と平和で楽しい場所になるんじゃないかと思う。


アルバムについて
Portishead 'Dummy'
ポーティスヘッドはイギリスブリストル出身のボーカルのベス・ギボンズと作曲担当のジェフ・バーロウ、ギターのエイドリアン・アトリーのトリオ。名前はブリストルの街の名前が由来。デビュー作ダミーは350万枚を売り上げ大ヒットとなった。バンドはトリップホップの代名詞とされるが、ジェフはそれを嫌っていたらしい。それは便乗型で売り出されるバックボーンのない音楽に対しての嫌悪からくる。ベスはプロモーションやインタビューで精神のバランスを崩したと言われている。キャピタリズムが制作意欲を壊した良い例だ。ジェフはその後めちゃくちゃかっこいいBEAKというプロジェクトを立ち上げ、Portisheadの功績に胡坐をかく事はない。全ての本当のアーティストがそうであるように、地位名声に惑わされる事なく、今もなお作品を作り続けている。

第2話 第3話 

作者について
土居まりん a.k.a Mariko Doi
広島出身、ロンドン在住。ロンドン拠点のバンド、Yuckのベーシスト。ヤックでは3枚のスタジオアルバムとEP、自身のプロジェクト、パラキートでは2枚のスタジオアルバムとEPをリリースした。
ピクシーズ、ティーンエイジ・ファンクラブ、テーム・インパラ、アンノウン・モータル・オーケストラ、ザ・ホラーズ、ウェーブス、オールウェーズ、ダイブ、ビッグ・シーフなどと共演しロンドンを拠点に国際的にライブ活動を展開している。
2019年初のソロアルバム「ももはじめてわらう」を全セルフプロデュースでDisk Unionからリリース。モダンアートとのコラボ楽曲など活動の幅を広げている。

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Mariko Doi
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