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【海外旅行】オーロラは夕焼けのようだった

変異株の恐れもありつつ、アメリカ国内では旅行の予約が爆発的に戻ってきているとニュースで聞きました。長かったぁ〜旅行に行ける日も遠からず来そうですね。

カリフォルニアに住んでいた頃小学生だった子どもたちが一番印象に残っているというアラスカ旅行のことを今日は書いてみようと思います。

オーロラを見たいとアラスカに行くのを企画したのはごきげんパパ♡でした。8歳と5歳の娘を連れてシアトル、アンカレッジと乗り継いでフェアバンクスという空港まで飛ぶのは実はなかなか遠い道のりでした。

世界地図で見ると成田からアンカレッジは遠いですが地球儀だとあら不思議、意外とカリフォルニアからとそんなに変わりません。アンカレッジに到着してみると日本からオーロラを見に来ていると思しき人で空港は賑やか。あれ?アメリカに住んでるから今しか来れないと思って頑張ってきたのにおかしいな。そしてアメリカ人観光客は少ない!アメリカ人がアラスカに来るのは夏のデナリ国立公園を楽しむのが主流でわざわざ寒いときに北の果てまで来るのはオーロラ目当ての日本人ばかり(2001年当時)

フェアバンクスに着いたらありがちなことでしょうけど荷物が出てきませんでした。一番大事な防寒着一式が入っているスーツケースが迷子になってしまいました。少し前に関西国際空港で開港以来21年1件も紛失がなかったことがニュースになっていましたが、アメリカではそうはいきません。まあ翌日無事出てきたから大事には至りませんでしたが。

空港でレンタカーを借りて温泉に向かいました。チェナ温泉というのが有名で水着で浸かる温泉ですから日本の温泉ほど情緒はありません。それでも物珍しく雪景色がきれいで在米中温泉に飢えていたので大変嬉しかったことを思い出します。

アラスカの人たちはとてもおおらかで優しくて、ごきげんパパ♡のやんちゃな運転で溝に車のタイヤをはめたのを6人ほどの通りがかりの人たちが一緒に引き上げてくれました。辺り一面の雪で道と溝の境が分かりにくかったのでした。このようなアクシデントが温かい思い出になるのが旅の醍醐味というのは虫が良すぎるのでしょうか。

そのあと、日本の旅行社のオプショナルツアーに申し込んで先住民のお家で夕ご飯を頂くという体験をしました。かつてエスキモーと言われていた人たちがお昼に湖で釣ってきたお魚で料理をしてくれたりイグルーと言われる住まいを案内してくれます。食後に柑橘類を出してくれて、テーブルでくるくると軽く押してから剝くのが実家にいたころにやっていた習慣と同じで驚きました。お顔立ちも日本人と似ていると思えば同じモンゴロイド族!北海道からシベリア、アラスカ辺りが地続きだったころの名残でしょう。神秘的ですらありました。

さてさて神秘的と言えばオーロラです。無事防寒着を受け取り夜の山にマイクロバスで向かいます。その小さな丘のようなところに展望台があり、オーロラが出るまで中で待機します。ココアとコーヒーを足して割った甘ーいカフェモカの存在を生まれて初めて知り、そのおいしさがアラスカ旅行の鮮烈な記憶になったと言っても過言ではありません。とにかく寒いときのココアは最高です。

真夜中すぎでしたか、皆がざわざわ騒ぎ始めたと思ったら夜空にオーロラが出始めました。みるみる一面に広がっていったと思います。オーロラは続けて何日も観られることもあれば1週間滞在して1日も観られないこともあるそうなので私たちは幸運でした。


大勢の日本人が三脚を立てて立派なカメラを構えます。それはそれは歓喜。私はその様子を見ているほうが面白くてオーロラそのものは夕焼けのような気象現象に過ぎないような、夕焼けの色違いような冷静な思いで眺めていました。

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幼児をなだめすかして飛行機に乗せて、高い国内線の乗り継ぎ航空券を4人分買ってここまで来たんだな、という気持ちが頭をよぎったことを今でも忘れられずにいます。ですから帰国後子どもたちが2泊3日のアラスカを一番思い出に残る旅行先に挙げたのが不思議でもあり行ってよかったと思ったのでした。

個人的にはアラスカに行くなら大自然を楽しめる夏!と思っています。長くなりましたが旅行先の検討材料の一つになればと書き残しました。自由に旅できる日が近いことを願っています。

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