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(34)chapter 6 ーーchinko to america by mano

 オレはダニエラの前から消えた。だが、ダニエラはオレの前から消えなかった。なぜなら、キャンパスやその周辺に、ダニエラとの思い出がたくさん詰まっていたからだ。
 彼女がまだここにいたころ、オレたちは早めの夕食をカフェテリアで食べて、人気のない集会場の近くの細い道をよく散歩した。そして今、カフェテリアでの食事を済ませたオレは、気が付くとダニエラの面影を追い求めて集会場の周囲を当てもなく歩いている。ふと立ち止まり、後ろを振り向くと、はにかむような笑顔のダニエラがそこに立っているような気がした。しかし、そんなことが起こり得るわけはなかった。
 
 事あるごとにオレはダニエラを思い出し、そのたびに切ない思いに駆られ、身をすくめてしまうほど打ちひしがれた。あの夜、ダニエラに「リカルドと会ってほしい」と頼まれたとき、逃げずにダニエラの気持ちに応えていたら、もしかしたらまだ一緒にいられたのかもしれない……。そんな自問を何度も繰り返し、再びダニエラの面影に触れるためにキャンパスを歩き回った。

教授が与えてくれた自信

 不安定な精神状態は、即成績にも響いてくる。ジュニアになって専攻分野のクラスが増えたこともあり、今まで以上に集中して勉強しなくてはならないのに、オレはいつもうわの空だった。そのせいで、小テストや中間テストはひどい結果に終わる。
 
 そんな折、オレは普段から目を掛けてくれているモリス教授に呼び出され、教授の部屋を訪れた。ちょうどこのとき、オレはモリス教授のアメリカ防衛政策のクラスを履修していた。
「マノ、最近、調子はどうだ? 少し成績が落ちているようだけど……」
「気にしていただいて、ありがとうございます。実はこのところ、自信をなくしているというか……。授業の内容も難しくなっていますし……」
 オレは、浮かない顔でそう答える。モリス教授は「自信をなくしている」という言葉に引っ掛かりを感じたらしい。オレを元気づけようとして、次のようなことを言ってくれた。

「マノ、いいかい。アメリカ人ばかりのクラスの中で、たった1人の外国人として疎外感を抱くこともあると思う。言葉だって完璧ではないし、まだまだコミュニケーションを図るのにも苦労しているだろう。だけど、君には覚えておいてほしいことがある。いいかい、君のクラスメートのほとんどが、地元アーカンソー州の小さな町の出身だ。おそらく彼らのほとんどがパスパートさえ持っていないし、外国に行ったこともないだろう。この大学は、そんな環境の中にある」
 モリス教授の言うことは、まったくその通りだった。ここは典型的な田舎の大学であり、日本と中国の区別さえつかない人がたくさんいる。スペイン人のステファンは、同級生に「君の国からアーカンソーまで、車でどのくらいかかるんだい?」と真顔で聞かれたと言って、苦笑していたほどだ。
(モリス教授は、何を伝えようとしているのだろうか……)
 そう考えながら、オレは教授の話に耳を傾ける。

「そうした環境にあるからこそ、私はマノのような留学生にいつも感謝しているんだ。いいかい、この大学の学生たちの多くは、これからも外国に行くことはなく、地元に留まって暮らしていくだろう。そんな彼らが、留学生の君たちと机を並べ、会話を交わし、友だちになる。そうすることで、あたかも外国に学びに行ったような経験ができるんだよ。君たちもここで多くの事柄を学び、アメリカ人の学生たちも君たちから多くのことを学ぶ。こんなに素晴らしい環境はないじゃないか。自信をなくす必要はないよ。マノはここにいるだけで、アメリカ人の学生に大きな影響を与えているんだから。堂々としていればいい。そして、学生生活を十分に楽しみなさい」
 オレはもう、教授の話に釘付けになっている。それまでのオレの心の中には、「留学生としてこの大学に〝厄介〟になって、学ばせてもらっている」という考えが常にあったような気がする。しかし、モリス教授の話は、そんな考え方を全否定するものだ。
これと言って特別な存在ではないオレだが、ここにいるだけで誰かのためになっている……。そう思うだけで、目の前を覆っていた靄が晴れ、一気に視界が開けたような気分になる。
(モリス教授って、すごい人だな)
 以前から、豊富な知識や経験に裏付けられた教え方のうまさや、穏やかで紳士的な態度、その気さくさに魅了されていたが、この日を境にオレはモリス教授を自分の恩師と思い、最大の敬意を払うようになる。
 
 ダニエラとの別れによって自信をなくし、気持ちはいつも沈みがちだった。だが、モリス教授との面談をきっかけにして、オレは徐々に元気を取り戻していく。卒業するまでまだ1年半以上ある。学ぶべきことは多く、同時に楽しい出来事もたくさん待ち受けているはずだ。それらを1つも見逃さず、すべて余すことなく体験したい。
 こんなふうに、次から次へと前向きな考え方が頭に浮かんでくる。どうやらオレは、精神的なスランプからの脱け出せたようだった。

予期せぬ誘い

 生活のリズムを取り戻すと、再び、女のことが気になりだした。まったくもって節操がないが、オレはまだ20代前半の青年であり、こればっかりは仕方がない。キャンパスを歩けば、スタイル抜群の超美人の姿があちこちで見られる。健全な精神を持つ若い男であれば、無反応ではいられない環境だ。 
アメリカはマジで素晴らしい——。そう思わずにはいられない。
 
 それにしても……と思う。ここに来たばかりのころのオレには、過去に日本で短期間だけ付き合った女性との経験しかなく、まさに童貞のような青臭い男に過ぎなかった。しかし今は、あのころとは明らかに違っている。エリンやダニエラとの関係を経て、女性に対して素直に向き合えるようになっていた。たかだか2年弱の期間で、人はここまで変われるものなのか。我がことながら驚くしかない。そして、オレの願望は2年前も今も少しも変わっていない。
「彼女が欲しい」
 この一点に尽きた。せっかくアメリカに来たというのに、オレはまだアメリカ人女性と付き合ったことがなかった。
(秀典やシンジのように、アメリカ人の彼女が欲しい)
 目指すべきところは、それしかない。そんな思いを新たにたぎらせていた。
 だが、オレはステファンのようなモテキャラではない。思いのままに彼女を作れるはずはなく、かつてのように不毛な日々を過ごすしかなかった。
 とはいえ、時折、ちょっとした冒険的な出来事が起きたりもした。
 例えば、こんな出来事があった。ある週末、いつものようにオレはコロンビア人たちのパーティーに出掛け、顔見知りの女の子たちと踊りに夢中になっていた。すると、パオラとサンドラが何かを企んでいるような表情をしながら近づいてきて、有無を言わせずオレをアパートの外に連れ出した。
(一体、何だろう……)
 ラテンの女たちは、その肉感的な体つきから始まって、しぐさや話し方、考え方などすべて魅惑的で、オレのような男はいつも心を揺さぶられてばかりだ。
 アパートの建物の前の芝生のところまでくると、パオラが少し不機嫌そうになって話し出す。
「マノ、あんたね、ダニエラとダメになってからどうなのよ? ホント、マノって、無茶するわよね。人妻とかじゃなくて、ちゃんとした彼女、作ったほうがいいんじゃないの」
 パオラはいつも、オレにおせっかいを焼きたがる。カリフォルニア州出身のボーイフレンドがいる彼女は幸せオーラをあたりに振りまきながら、人の世話を焼くのが好きだ。
(何だよ、今夜はお説教かよ)

 可愛らしいパオラの顔を眺めながら、「それも悪くないか」と思う。
脇でオレとパオラの会話を聞いていたサンドラも口を開く。
「マノ、あなた、ラテンの女性に興味はないの? まさかアメリカの白人の女だけを恋愛対象にしているわけじゃないでしょうね?」
「そんなわけないだろう。ラティーナだって、アメリカ人だって、日本人だって、魅力的な女性にはいつも惹かれるよ」 
 
 ほろ酔い気分の中、南米美女たちに囲まれて問い詰められるのは悪くなかった。それにしても、これからどういう展開になっていくのだろう。先ほどから漂う妖しげな雰囲気がオレの心をざわつかせ、どうにも落ち着かない。
「わかったわ。じゃあ、いいこと教えてあげる。私たちの友だちであなたを気に入っている子がいるのよ。2人だけで話をしたいって。それで今、私たちのアパートで彼女が1人であなたのことを待っている。だから、行ってあげなさい」
 何だよ、いきなり。まるで夢のような話じゃないか。
「ちょっと待って。そんなことってある? ちょっと信じられないよ。ニヤけながらアパートに行ったら、男たちが出てきて、『マノ、だまされた!』とかいうオチになるんじゃないの? その女の子って、オレの知っている人?」
 オレにはあまりにも不釣り合いな話なので、すぐには受け入れられない。
「私たちがマノをだますわけないでしょう。うーん、そうね、知っていると言えば、知っているかな?」
「えー、誰? 教えてよ」
「ダメ。ここで教えたら、面白くないでしょ」
 パオラもサンドラもこのシチュエーションを楽しんでいる。
「じゃあ、ヒントをくれよ。その女の子はスペイン語を話す人、それともポルトガル語を話す人?」
 オレたちのグループには、スペイン語圏の南米人のほかに、ポルトガル語を母国語とするブラジル人の女の子もいた。だからオレは試しに聞いてみた。
「それを教えたら、答えを教えているようなもんでしょ。答えられません。もう、何をビビってんのよ。細かいことはどうでもいいから、早く行ってきなさいよ」
 
 パオラとサンドラに尻を叩かれる勢いで、オレは彼女たちがシェアしているアパートに歩いていった。そこはオレがダニエラと初めて会話を交わしたところでもある。
 彼女たちのアパートは、今夜のパーティーが行われている場所からすぐ近くにあり、徒歩で2、3分しかかからない。歩きながらオレは、数人の女の子の顔を思い浮かべていた。いたずらの可能性もゼロではないが、自分を気に入っているという女の子に対面しに行くというシチュエーションはとてつもなく胸躍るものだった。

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