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(26)Chapter 5ーーchinko to america by mano

 長い夏休みが終わりに近づき、オレは大学に戻った。
 もうエリンのことは忘れよう。日本にいる間、自分にそう言い聞かせてきたが、その試みはずっと失敗していた。この流れを断ち切らなくてはならない。新学期(秋学期)を目前に控え、オレは心を入れ替えようと必死だった。
 8月末からはジュニア(3年生)に進級し、専攻する政治学の科目履修がスタートする。いつまでも傷心を抱えているわけにはいかなかった。
 
 秋学期に向けて、オレは「アメリカ国防政策」「中国政治」「アフリカ政治」「比較政治学」という4つのクラスに登録した。どれも手を抜けるような科目ではなく、大きなプレッシャーを感じている。こうなったら、何が何でも心を落ち着かせ、真面目に勉強するしかない。
 新しい学期が始まる直前、オレはジェイとカシムとアパートをシェアするのを止め、すぐ近くのアパートで1人暮らしをすると決める。何も彼らとケンカ別れしたわけでない。3人で一緒にいると夜中まで話し込んでしまったりするため、なかなか勉強に集中できないからだった。環境を変える必要性を感じたオレは、ジェイとカシムとの共同生活に終止符を打った。

ラテンのパーティー

 授業についていくために勉強に身を入れる一方で、その反動からか、週末になるとそれまで以上に〝バカ騒ぎ〟をするようになる。
 ジュニアになってからオレがハマっていったのが、コロンビア人を中心とするラテンアメリカ出身の留学生たちが集まるパーティーだった。
 アーカンソー州立大学(ASU)には、ラテンアメリカからやって来た学生がたくさんいる。付属の英語学校に通う学生もいれば、オレのような学部生も多い。
 彼らの特徴を挙げると、すぐに2つが思い浮かぶ。1つはとにかく朗らかなところ。そしてもう1つは、フレンドリーなことだった。しかも、親日的な人たちばかりなので、「日本から来た」と言うと、すぐに受け入れてくれるのもありがたかった。

 彼らが開くパーティーでは、一晩中、踊って踊って踊りまくらなくてはならない。しかもロックのような単純な8ビートの音楽ではなく、サルサやメレンゲなどの複雑なラテン音楽のリズムに合わせて、男女がペアになって踊る。
 正直なところ、最初のころはまったく足が動かず、ちっとも踊れずに悔しい思いをするばかりだった。ただし、パーティー全体のノリがいいのと、ラテンアメリカ出身の留学生たちが美人ぞろいなのが気に入って、懲りずに何度も足を運んでいた。

「マノ」というオレの名前も彼らと仲良くなるのに一役買った。マノはスペイン語で「手」という意味で、普段の会話でもよく使われる。そのせいか、彼らは面白がって「マーノ、マーノ」とよく声を掛けてくれる。
 
 ラテンのパーティーの主役は、何といってもコロンビア人たちだ。彼らはとにかく底抜けに明るい。さらに素晴らしいのが女の子たちだった。
 旅行好きなら「中南米の3C」というフレーズを一度は耳にしたことがあると思う。これは美人の産地を意味する言葉で、コスタリカ(Costa Rica)、チリ(Chile)、そしてコロンビア(Colombia)の頭文字を取ったものだ。
 ヨーロッパ系移民、または彼らとインディヘナ(先住民)との混血が多いためか、白人のような学生もいれば、肌の色が日本人と変わらない学生、浅黒い学生など、同じ国の人なのに、多彩な特徴を持つ人たちがいる。そして美人の割合がとにかく高い。
 パーティーに行って黙ってビールを飲んでいると、「マーノ、踊らないの?」と必ず誰かが声を掛けてくれるのも嬉しい。
「オレ、サルサとかメレンゲの踊り方知らないんだよ……」
 こう告白すると、「心配しないで、教えてあげるから」という答えがいつも返ってくる。そうなれば、やはり踊らずにはいられない。しかも、体を密着させて相手の腰に手を回したり、手を握り合いながら踊らなくてはならないので、肉感的な刺激がかなり強かった。

 そんなノリが大好きで、しばらく通っているうちに、オレも少しはサルサとメレンゲの複雑なリズムに合わせて踊れるようになっていく。自分なりに上達しているのがわかってくると、それがまた興味を増長させる。気が付くとオレは、コロンビア人たちが開くパーティーの虜になっていた。

コロンビアからやって来たダニエラ

 秋学期が始まって3週間が経ったころ、ラテンのパーティーにいつものように出掛けると、コロンビア人とはまったく異なる雰囲気の大人びた女性を見かけた。それがダニエラだった。 
 彼女の姿を見た瞬間から、オレはダニエラから目が離せなくなる。
 とはいえ、すぐに声を掛けられるほどオレは器用な男ではない。その晩は、気が付かれないように彼女のきれいな横顔を見ているだけで終わりだった。

「昨日のパーティーに来ていたあのきれいな女性、結婚しているみたいだよ」
 土曜日の昼にカフェテリアで食事をしていると、モロッコとスペインのハーフのアディルがやって来て、特ダネを明かすかのように話し始める。
「ブルガリア人なんだけど、コロンビア人と結婚していて、今はコロンビアに住んでいるんだってさ。英語を学びたくて、2カ月の予定で語学留学しているみたい」
 アディルの話を聞きながら、ダニエラとは違う人だと思うようにしている自分がいた。
「アディル、昨日のきれいな女性って言っても、たくさんいただろ? その人、名前は何ていうの?」
「確か、ダニエラだったと思う」
 あーあ、アディルの話なんて聞くんじゃなかった。

 この日、オレはコロンビア人のパオラのアパートで開かれる夕食会に招待されていた。パオラはコロンビアの第3の都市カリの出身で、大学では社会学を専攻している。ソフモアのときに友だちになってから、ずっと友だち付き合いを続けていた。彼女はオレのサルサの〝先生〟でもある。
「マノ、ちょっと早めにアパートに来て、料理手伝ってくれない?」
 パオラに頼まれたオレは、夕方6時過ぎに24本入りのビールのケースを抱えてパオラのアパートに向かった。彼女によると、オレのほかにも5、6人がやって来るようだ。
 
 皆が来るまで、ビールを飲みながらパオラの手伝いをする。約2カ月に一度のペースでオレはパオラの手料理をごちそうになっていた。
 最初に現れたのは、ペルー人のホルヘとアメリカ人のジョンだった。その次に、コロンビア人のモニカがやって来る。そして最後の訪問客が、コロンビア人のリリアナとダニエラだった。
 オレはもう、予期せぬ展開にただただ驚き、サラダ用のトマトを切る作業を完全に中断し、ダニエラに釘付けになってしまう。

「Mano has a crush on her, Mano has a crush on her!(マノは彼女が好きなんだ!)」
 ダニエラに見とれるオレに気が付いたパオラが、陽気な節回しでからかいだした。
「パオラ、やめろって。違うよ。昨日の夜も偶然会ったから、ちょっと驚いただけだよ」
「ヒュー、ヒュー!」
 パオラの悪ふざけが止まらない。いつものことだから放っておいた。

(ダニエラはやっぱりきれいだな)
 この場に一緒にいられるのが嬉しくてたまらい。
 ダニエラは、ジーンズを履き、薄紫の半袖のシャツを着ていた。シャツの裾をジーンズの中に入れているせいで、形のいいヒップとすらりとした長い脚が一目でわかる。それを見て、一瞬、エリンの裸が思い出されたが、いけない想像だと自分を諫め、サラダ作りに戻っていく。

 食事の準備が整うと、ダイニングテーブルに全員が集まり、席に着いた。ダニエラはオレから一番離れたところに座る。それを知って、オレはひどくがっかりした。
 
 食事中、皆の関心は新入りのダニエラに集中した。
「ダニエラの旦那さんは、コロンビア人なんでしょ? どうやって彼と知り合ったの?」
 オレも知りたかったことをパオラが代わりに聞いてくれる。
「大学時代に知り合ったんだ。私はウクライナのキエフ大学に留学してたの。そこに彼も留学していて、付き合い始めたのね。でも、卒業してからはずっと遠距離恋愛。『コロンビアに遊びにおいで』って言われて訪ねたときに、彼からプロポーズされて……。いつかは結婚するだろうなと思っていたから、すぐにオーケーしたの」
 世界中で色々な国に留学する若者たちがいて、そこで国籍の異なる者同士が知り合い、恋に落ちる。ダニエラの話を聞きながら、アメリカに留学している間にそんな恋愛をしてみたいとつくづく思った。
 
 彼女には5歳になる男の子もいるらしい。夫はエンジニアとして働き、ダニエラは幼稚園児に英語を教えているという。
 彼女はキャリアアップを真剣に考えていて、英語をもっと上達させ、ゆくゆくは大学で教えたいという夢を持っていた。ブルガリア語、ロシア語、ウクライナ語、スペイン語に加え、さらに英語も話すダニエラは、英語を習得するだけでも悪戦苦闘しているオレにとって、雲の上の存在のようだ。
 
 食事を済ませると、すでに9時を回っていた。オレたち留学生にとって、週末の夜はまだ始まったばかりだ。このあとは、コロンビア人留学生たちの住む家に行き、深夜まで踊り続けるつもりだ。
「ダニエラも来るよね?」
 最初のうちは、「私はちょっと遠慮しようかな」と言っていたのだが、皆で何度も「行こうよ!」と誘った結果、オレたちと一緒にパーティーに行くと決めてくれた。
 いくら望んだところで、ダニエラとオレの間には何も起きない……。このときは、頑なにそう思っていた。

 その晩のダニエラは、コロンビア人の男性たちに次から次へと声を掛けられ、サルサやメレンゲを楽しそうに踊っていた。ブルガリア人の彼女は、ラテンのダンスがさほど得意ではないようだ。ステップを間違えたり、うまくターンができなかったりすると、恥ずかしそうに笑い、相手に謝るようなしぐさをする。その様子がとても可愛らしくて、気が付けばオレは、ダニエラの姿に夢中になっていた。
 
 もしも今夜、彼女と目が合ったら、絶対に視線をそらさずに見つめ返そう。
 エリンとの関係を経験してからというもの、異性に対してオレは少し大胆になっている。だが、そんな気持ちは空振りするばかりで、その晩、ダニエラと目が合うことは一度もなかった。

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