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一生ボロアパートでよかった⑩

あらすじ
自慢だった新築の白い家が、ゴミ屋敷に変貌していく。父はアル中になり、母は蒸発し、私は孤独になった。
ーーー1人の女性が過去を振り返っていく。

 中2の学年末テストが始まる前に、私は不登校になりました。またテストで低い点数を取って自尊心が傷つけられると思うと、耐えられなかったのです。
 さらに言えば、クラスメイトの輪に入れないのも辛かったし、キラキラした学生生活をしている他の子達が妬ましかったし、テスト範囲のノートはどこかに消えたまま出てこなくなったし、なんかもう、全部が嫌になりました。
 それに、家の玄関前の廊下に並んでいたゴミたちが、ついに廊下を塞ぐようになりました。そのゴミたちが「行かなくていいよ」とでも言うように、学校に行こうとする私を堰き止めるようになりました。だから私は、学校に"行けなく"なりました。

 私が中学生になっても、相変わらず父は毎日お酒を飲んで酔っ払っていました。母も相変わらず、朝から晩までいなくて、たまに派手な格好をして出掛けていました。白い家の外壁は、真っ白からオフホワイトくらいに色褪せて、薄らとひび割れのような線が入っていました。庭では、雑草たちが力強く天に向かって成長し、幼い頃よく遊んでいた一輪車とスクーターは、雨風に曝され錆びだらけになって蜘蛛の巣が張っていました。家の中ではゴミが蓄積し、一部に至っては、いつかの理科の授業で見学しに行った、山の断崖の地層を想起させる様相でした。

 私が不登校になった初日、両親は私が学校を休んだ事に気付きませんでした。それもそのはずです。登校時も帰宅時も、家の鍵を開け閉めしていたのは私でしたから。2人は私が登校する前に家を出て、私が帰宅した後に帰ってくるので、私が学校に行ったかどうかなんて、わかるはずがないのです。

 でも、無断で欠席してしまったので、先生が父に電話をしたようでした。昼過ぎに父が帰宅しました。私は制服を着たまま、いつも父が座るダイニングテーブルの席に突っ伏して、うたた寝をしていました。玄関の扉が勢いよく開く音がして、立て続けにゴミ袋がガサガサと騒がしく鳴ったので、私は目を覚ましました。

 リビングにもだいぶゴミ袋が溜まっていました。袋に入っていない包装容器なんかもずいぶんありました。父が食べて洗わずに置いたままにしているカップラーメンから、異臭がしていました。僅かにゴミとゴミの間に見える床の上を歩くと、ビンや缶が足に当たって痛い時がありました。
 そんなゴミの谷の間から、茶色い肌の父が現れたので、デカいゴキブリみたいだな、と思いました。

 急いで帰ってきたらしい父は、灰色の作業着を着て、その上から黄色の蛍光ベストを羽織っていました。家を出た時の服装と違いました。土埃の匂いがしました。茶色い顔に、灰色の土が付いていました。父はサラリーマンをしていたはずなのに、なぜか工事現場のオジサンのような風貌をして、汗をかきながら、私の前に立っていました。

「おまえ、びっくりしたぞ。体調悪いのか?」
 黄色の蛍光ベストを無駄にピカピカと光らせながら、父が私に問いました。寝起きの私の目には、そのピカピカが眩しくて、煩わしく感じました。
「先生から電話きて、お前が学校に来てないって言うから、事故にでもあったんじゃないかと思って心配したんだぞ」
 語気は強いけど、怒ってはいないようでした。父はこの頃、たまに怒鳴るようなキレ方をするようになっていたので、私は少しビクリとしました。

 先生はなんで母に電話しなかったのかな、と一瞬思いましたが、考えてはいけないような気がして、すぐにその思考を消しました。
「今日は体調悪いから行かなかっただけ」
ぶっきらぼうに言いました。それ以上話したくありませんでした。答えただけマシでした。

 中2になって、孤独を強く感じるようになってから、私は八つ当たりをするように、父や母を無視するようになりました。私の不幸の元凶である両親を、憎らしく思うようになったからです。父は懲りずに酔っ払いながら話しかけてくる事がありましたが、母はもうすっかり私の相手をしなくなっていました。

 私が返事をしなくなって気に入らなかったのか、母が「あんたの顔は父親似だね」と言い捨てた事がありました。その時の母の侮蔑の表情を、今でもよく覚えています。セリフだけ聞けば大して傷つくようなものではありませんが、母の冷たい態度と物言いは、思春期の繊細なルッキズムを傷つけるのに十分な威力がありました。確かに、母のような美人な顔つきに成長していないとは自覚していましたが、それでも自分なりに見た目には気を使っていたのです。私だって、母のような二重の目になりたかったし、シャープな輪郭にも憧れていました。でも、そうならなかったのは私のせいではありませんでした。

 そして、沸々と怒りが湧きました。私は別に、好きで"私"になったんじゃない、と思いました。だって、中学2年生の"私"を形作るまでに、いったいどれだけ"私の意思"を反映する事ができたというのでしょうか。
 私が関与しないところで、両親が勝手に結婚して、勝手に私をつくって、勝手に産んで。その私を勝手に"幸せの象徴"として祭り上げて腐るほど写真を撮っていたくせに、今度は勝手に喧嘩して、勝手に貧乏になって、勝手に家をゴミだらけにして。そして勝手に私を不幸に巻き込んだんじゃないですか。それでも、私はこんな家庭環境に我慢しながら必死に生きいるっていうのに、さらに遺伝子の組み合わせにまでケチをつけてくるなんて。自分勝手にも程があると思いました。結局子供って、親にとって"都合のいい時にだけ存在するもの"なんだと思いました。

 私は母と会話する気を一層なくしました。母も、返事をしなくなった私の相手はもうしませんでした。母はいつも毎週金曜日だけは、スーパーでお惣菜を買ってきてくれていたのですが、それもなくなりました。私はひたすらお茶漬けを流し込むだけになりました。

 しかしその反面、父はキレさえしなければ"良い父親"のままでした。こうして、私が勝手に学校を休めば、駆けつけてくれるのですから。ぶつくさ文句を言いつつも「体調が悪いなら早く言わないと、わからないだろ?」と心配しているようでした。

 それにしても、その時の父の様子は、普通ではありませんでした。今思えば、ですけど。
 息を切らしながら、額にじっとりと汗をかいていて、加齢臭なのかよくわからない、何か特有のツンとする臭いを感じました。思春期の女の子が父親を毛嫌いするための臭いとは違う、また別の不快さを伴う臭いでした。
 父は「早く仕事に戻らないと」と焦っていました。その場ですぐに学校に電話をかけ、私の無事を報告していました。携帯の電話番号を打つ父の人差し指が震えていたので、キョドってるみたいでなんかダサいな、と思いました。

 不登校初日、体調が悪かった事に嘘はありません。本当です。身体のどこが、と聞かれると答えられませんけど。それでも直前まで学校に行こうと思っていました。こんな家にいるより、学校の方がまだマシだと思っていたからです。でも、玄関前のゴミたちが「行かなくていいよ」と私を堰き止めてから、どっと気分が悪くなり、学校に行く気を失いました。私は玄関から引き返して、ダイニングテーブルのいつも父が座る席に、ヘタリと座り込みました。リビングの中で、ここだけはゴミがはけていたからです。それから久しぶりにテレビをつけて、ぼーっとニュースを見て、世の中の限りなくどうでもいい喧騒に疲れて、いつの間にか寝てしまいました。

 父が学校に電話をかけているのを横目に見て、私は自分の部屋に戻りました。
 唯一この家ではゴミがない、閑散としている私の部屋に、1匹のゴキブリがいました。部屋の扉を開けて、すぐ目の前の隅をカサカサと這っていました。潰す勇気も、追いかける元気もなかったので、放っておきました。
 私は敷きっぱなしの布団に潜り込みました。制服のままでしたが、シワになることなんて気にしませんでした。シワだらけになればいい、とも思っていたかもしれません。
 私は布団にくるまりながら、ゴキブリがカサカサと這う様子をしばらく眺めていました。そしてその日、父のことを、デカいゴキブリみたいだな、と思ったのを思い出しました。母曰く私はあの父の顔に似ているらしい、と思うと残念というか、虚しいような、救われない気持ちになりました。
 カバンからガサガサと鏡を取り出して、自分の顔を確認しました。やっぱり母似というより、断然父似だなと思いました。なるほど、こんなゴミだらけの家に住んでいるんだから、私もゴキブリみたいなものか、と妙に納得しました。

 ゴキブリは1匹いれば100匹いるって言うし、この家はゴキブリだらけだなって思いました。

つづく

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