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一生ボロアパートでよかった⑭

あらすじ
自慢だった新築の白い家が、ゴミ屋敷に変貌していく。父はアル中になり、母は蒸発し、私は孤独になった。
ーーー1人の女性が過去を振り返っていく。

 両親の部屋を荒らしたその後、結局私が危惧していたような両親からの反撃はありませんでした。てっきり立て籠もった部屋の扉を無理矢理こじ開けられたり、怒鳴って殴って叱られたりするものだと思っていたのですが、肩透かしでした。

 今思えば、私は両親に叱って欲しかったのかもしれません。「そんな事をするのは間違っている」と、親らしく怒って欲しかったのかもしれません。両親には、我が子の過ちを悪役になってでも正そうとする"良き両親"でいて欲しかったのかもしれません。そうやって私は、両親の愛情を確かめたかったのかもしれません。
 反抗期の私は、そういう屈折した愛情の確かめ方しか出来なかったのです。

 母はあれから、自分のこと以外の事を何もしなくなりました。かろうじて週に2回してくれていた洗濯もしなくなったし、お米を炊いておいてくれる事もなくなりました。金曜日に食料をまとめて買ってくる事もなくなったし、もちろん私と会話をする事もありませんでした。でも、それ以外は普通でした。いつもの時間に仕事に行って、夜遅く帰ってくる。そしてたまに派手な服を着てどこかへ出かける。私と対峙することなく、ただ母は自分の生活をこなしていました。

 父も怒りませんでした。数日後にキッチンで食料を物色していた時に、仕事から帰ってきた父に遭遇しました。父は私を見るなり、怒るどころかへらっと笑って「あんまりイタズラするなよ」と言ってきたのでした。へらっと笑うのは昔から同じなのに、その顔は疲れ切って覇気がなく、茶色い顔でした。ほうれい線のシワも以前より深くなっていたし、チラッと見ても痩せたように思いました。「お父さんって、こんな感じだったっけ?」という違和感を持ちました。

 でもその時も大して気にはしませんでした。私は立て篭もりの時に持ち込んだ食パンを食べ尽くしていたので、食料がないことに困っていたのです。私にとって、そちらの方が優先順位の高い解決しなければならない問題でした。食料をどうにか確保しなければ。その思いがすぐに頭を占めて、父に対する違和感は頭の隅に追いやられました。

 私は父の言葉を無視して「お腹すいた」と一方的に自分の主張をしました。「なんだ、お母さんお米炊いてないのか」と父が聞いてきました。私は同意の気持ちを込めて押し黙りました。どこまでも尊大な態度を崩しませんでした。でも父には言葉にせずとも私の思いが伝わったようで、わずかな間を空けて「そうか、お米炊いてやろうか、お前お茶漬け好きだもんな」と言いました。

 この「お前お茶漬け好きだもんな」のフレーズを聞いた瞬間、私の孤独感は突如として増幅し、あっけなくパチンと破裂しました。

 私は別に好きで毎日お茶漬けを食べていたわけではありませんでした。私は不機嫌を露わにして「別に、好きじゃないけど」と絞り出すように言いました。

「いつも食べるものがないから、仕方なく食べてんの!」

 私は語気を強め、怒りを込めました。"キレる"みたいな怒り方を人にしたのは、これが人生で初めてだった気がします。最後の「食べてんの!」は慣れない怒り方をしたせいで、涙声になっていました。自分の事を誰にも何もわかってもらえていない事が、悔しかったせいでもあります。

 父は目を少し見開きつつ、狼狽えたように私にかける言葉を探していました。「えっあっそうだったのか、いや、そっか、いつも文句も言わずに食べてたから」と言い、少しの間沈黙しました。酔っていない時の父は、相変わらず穏やかな性格でした。私がキレてもキレ返さずに、動揺しながら私の言葉を咀嚼しているようでした。

「じゃあ、なんか用意しようか、なんか食べたいのあるか」父は私のご機嫌を伺うように、困った顔をしながら聞いてきました。

 「菓子パン食べたい」

 私は口早に答えました。菓子パンなんて、しばらく食べていませんでした。母が金曜日に買い物してくる時にたまに買ってきてくれていましたが、それももう長いことありませんでした。私は、揚げて砂糖がまぶしてあるあんぱんが大好きでした。もっちりおいしいあんぱん。包装にそんな言葉が赤字で書かれていました。どこの製菓メーカーかは覚えていませんでしたが、私は無性にアレが食べたくなりました。しかし、父にその詳細を伝える事は困難でした。反抗期の羞恥心が邪魔をして、もっちりおいしいあんぱん、と口に出す事は出来なかったのです。ぶっきらぼうに「あんぱん、砂糖ついてるやつ」と一言添えるのが精一杯でした。

 「そうか」と合点がいったような顔をして、父は最寄りのコンビニへと出かけていきました。父が帰ってきた時、既に18時半を過ぎていましたから、外はもう暗くなっていました。私は留守番をして、あんぱんを待ちました。

 期待の末に帰ってきたのは、あんぱんではありませんでした。

 砂糖がまぶしてある、ツイストドーナツ。父が「あんぱんなかったから、これ買ってきたぞ」とニコニコしながら渡してきました。自分が飲むお酒とおつまみもしっかり買ってきていました。「最近はこれ(焼酎)じゃないと酔えないんだよなぁ」とぼやいていました。

 リビングで適当にテレビを見ながらあんぱんの帰りを待っていた私は、真顔でツイストドーナツを受け取りました。私はあんぱんでなかった事が気に入らず、その場で乱暴に袋を開けて、リビングの床に砂糖をボロボロと落としながらツイストドーナツを食べ始めました。本当は父に怒って怒鳴ってしてやりたかったのですが、さっきキレた時に涙声になってしまったので、次また大声を出したら泣いてしまうかもしれないと思い、キレる事ができませんでした。

 私が砂糖をボロボロと床に落としながらツイストドーナツを食べる姿を見て、父はなぜか微笑んでいました。
「なんだ、うまいか。お前、菓子パン好きだったんだなぁ」と言って、満足そうにしていました。


 私はツイストドーナツを食べながら、わかっていたのに中に餡が入っていないのを目の当たりにして、肩透かしだなと思いました。


つづく

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