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一生ボロアパートでよかった①

 私が幼稚園の年長になった頃、両親は家を買いました。新築の白い家です。今思えば大して広くもない、よくある40坪程度の分譲住宅の一つでした。しかし、当時の私にはお城のように広く感じられて、まるで自分がお姫様にでもなったかのような気分でした。太陽の光を浴びると白色の壁面がより輝いて見え、新しく美しい家は、幼い私に自信を与えてくれました。まさか、あの白い綺麗な家がゴミ屋敷になるなんて、誰も思わなかったと思います。

 家を建てる前はボロアパートに住んでいました。母は働いていませんでしたから、父の稼ぎで生活していたのだと思います。お金に困っている様子はありませんでした。
 当時の父は毎日きちんと仕事に行って、帰ってきたらお酒を楽しく飲んでいました。休日はよく山や川に車で連れていってくれて、家族サービスもしてくれていました。私や母に怒鳴る事もなく、温和な性格でした。お酒を飲むと陽気になっておしゃべりになるので、面倒に感じる事はありましたが、この頃の父は"良い父親"でした。まさか、父がアルコール依存症になるなんて、誰も思わなかったと思います。

 私は幼い頃からお母さんっ子で、いつも母の後ろをついて歩いてました。祖父母にウチに泊まりにくるかと強引に誘われた時、母がいないなら嫌だと言って大泣きした記憶があります。母のことが大好きで、母の匂いを嗅いでいると安心して眠れました。「お母さん美人だね」と褒められることも多くて、私にとって"自慢の母親"でした。まさか、母が家のお金を全部持って蒸発するなんて、誰も思わなかったと思います。

 兄弟はいませんでした。兄弟がいなくて寂しいだろうと、両親は新築の家に引っ越してまもなく、犬を買ってくれました。ハナと名付けました。白いフワフワの毛をしたマルチーズでした。いつも一緒に遊んでいたので、幼少期の記憶の中には必ずハナがいます。ハナは私が小学4年生の春に、突然いなくなりました。母が「ハナはもういないから」とだけ言ったのは覚えています。その頃からでしょうか、白い家が散らかるようになったのは。

 父は昔気質な人だったので、家事は女がするものという考えが根深く、普段掃除をすることはありませんでした。母も綺麗好きというわけではありませんでしたが、新居に引っ越してからはそれなりに綺麗だったように思います。掃除機をかけている母の記憶もありますし、私も休みの日に床掃除や玄関掃除を手伝っていました。年末だけは父も含めて家族みんなで大掃除して、清々しい気持ちで新年を迎えていました。ハナは室内で飼っていましたから、よく白いフワフワの毛が床に落ちていて、私がコロコロで毛をとって掃除をしていました。白い綺麗な家は、ハナと共にあったと言っても過言ではありません。ハナの白い毛が落ちていた時の方が綺麗でしたから。

 ハナがいなくなる少し前から、両親が喧嘩しているのをよく見かけました。喧嘩と言っても口喧嘩です。しかし、子供にとって親の口喧嘩ほど騒音に感じるものはありません。ハナがキャンキャン吠えても、隣の家のお兄さんが夜にギターを弾いても、バイクが爆音で道路を駆けても、子供の心には騒音一つも新しい世界を形作る材料となります。多くの場合は聴き苦しいという不快感よりも、新鮮味をもって新しい発見と興味をもたらすものです。しかし罵り合う両親の声は、子供の私をたちまちドラム缶の中に押し込めて、外からガンガンドンドンと殴り付けた挙句、冷や水を注いだかのような悪寒を感じさせました。この悪寒の事を孤独感と名付けられるようになったのは中学生になってからです。当時の私は孤独感も理解できないまま、あの騒音がする間、ただ身体を小さくして、耳と目を覆い、時が過ぎるのを待つしかありませんでした。

つづく

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