鳥生真夏

何度か文章を書いていて思ったのは、誰かのためではなく、自分のために書こうと思ったことで…

鳥生真夏

何度か文章を書いていて思ったのは、誰かのためではなく、自分のために書こうと思ったことです。良し悪しは私が決めて書きますが、それを読んで共感してくれる人がいると、それはそれで嬉しいです。いわゆる日記みたいな感覚だと思います。

マガジン

  • 明日は自分を見るかもしれない

最近の記事

あなたと、あなと

気づいたらなくなっていることはこれまでも多くあった。恋仲や大親友、人だけでなく物も同様だ。 その時は常に穴が空いている感覚に陥る。虚無感というのが正しいかもしれない。このような気持ちを毎回感じないようにするためにはどうしたらいいのか。 いくつかの記事を眺めてみると、期待しないことというのが多く描かれていた。 いつからだろうか、サンタさんを信じなくなったのは。金銭的に豊かというわけではないが、誕生日やクリスマスには、1万円には届かないくらいのプレゼントを貰えてたと思う。幼少期の

    • 思いの節

      楽しい会話をしてないければ、死んだも同然。口から産まれたのではないかと感じるほど、おしゃべりな友人がいる。彼は面白かどうかというよりかは、非常に頭の回転速度が早いと言える。 どの点で早いのかというと、会話中の一つずつのワードから関連しているいくつかの無関係な事象を思いつき、会話の中に織り交ぜてくれる。それが、単純な会話ではなく、より深みとコクを生むような会話になるため、興味深いという意味で彼との対話は楽しいのだ。 つい先日、居酒屋にて、その彼と話をした。 最近どうよ、残業が多

      • 脳が腐ってる

        たまの日曜日、家族で出かける。ちょっとした商業施設で簡単に済まされるのが日常。小学生に上がってから、3年が経過したが、いつも通りではあるものの、学友の中ででは、私だけ携帯電話を買い与えてもらっていない。家庭の方針なので、仕方ないが、ほとんどの学友が持っている中、やはり孤立してしまっているように感じる。 両親は私のことを幼い子供だと考えているようで、買い与えられるのは、幼児が用いるような知育玩具だ。それをずっと持たされて、何が楽しいか。 商業施設を一巡したところで、帰路につくが

        • たんぽぽの

          外を歩くだけで、些細な幸せにあたってしまう。日頃から不快な物事にさらされてしまうので、どうしても癒やしや楽しいこと、そして、幸せを欲している。幸せや心地の良いことは、たくさんの種類がある。そして、大なり小なり変化もあるだろう。 満員電車は不快であるが、まばらに座席の空いている電車であれば、ある程度、癒やしがあったりする。生まれたばかりのような赤子、大人しく座っている。そして、じっくりと、目を合わせてくる。可愛らしい。原初の眼差し。意図もなければ、悪意もない。経験のないものに対

        あなたと、あなと

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        • 明日は自分を見るかもしれない
          4本

        記事

          仕事の前の日に

          すっと目が覚める。朝日をまぶたの向こうに感じながら、少しだけ湿度のベタつく朝。いつもとは異なり、不快感や寝不足を感じない朝。 仕事や学校のない朝は早く起きてしまう。早く置きたいわけではない。休みの日くらい長い時間寝かせてくれてもいいと思うが、精神的な圧力を感じないからか、休みの日は目覚めが自然に早くなる。 休みの日に溜め込んだ負債を緩やかに消化していくところから朝が始まる。けれど、平日は食べない朝食も口にしたい。休みの日くらい、朝はゆっくり起きて、コーンフレークなど、簡素だが

          仕事の前の日に

          低反発メンタル

          人の心は実体を伴わないと言われているが、実は、段円形の低反発な器官であることがわかっている。それを指で押し込むと、凹んだり、穴が空くことになる。ただ、長時間かけて、この凹みが平面に戻ったり、穴がゆっくりと閉じられていく。色は人によって変わるが基本的には、乳白色をしており、年齢とともにこれが灰色になっていく。これの含む水分量についても同様に加齢とともに脱水し水を含みにくくなるため、年齢を重ねると戻りにくく割れやすいということになる。 つらい思いをすることや他人に裏切られること、

          低反発メンタル

          弄ぶイルドキ

          冷や汗がにじみ出る。 人が汗を流すとき、体温調整における発汗が多いだろう。そして、一番多くの人が実感したことのある汗かもしれない。額や背中など、するりと、伝う汗を感じることも少なくない。大量の汗と少量の汗、人それぞれだが、汗に関しては、まだ他にも違いがあるだろう。 仕事の最中、焦りを感じることがある。このとき、じわっと手のひらや額に汗が滲む。暑い日差しの下の汗ほどではないが、実感するほどの汗を感じ取ることがある。このとき、焦りに反して、仕事がうまく行けば、御の字ではあるが

          弄ぶイルドキ

          ゼロサムライフ

          この世界では、幸せの総量が決まっている。幸せだけではない。反する不幸においても同様に総量が決まっている。 今の世界では、人々は非常に多く溢れかえっている。この現状をどう考えるか。総量が決まっているといっても、それが実数として常に固定の総量かといわれるとそういうわけでもない。 幸せなどの総量は、それぞれの生き物に対して、実際の量が定まっており、それぞれの生き物の増減についても、総量が変動している。だた、残念なことに、この幸不幸の総量は、それぞれの個に充てがわれているわけではない

          ゼロサムライフ

          再配置軒

          人類は、その成長が行き詰まりつつある昨今。世界全域での人口減少が明確にあらわれてきた。人口が過疎状態になる地域においては、多様の人同士の接触雨が減少してしまうため、一層の人口減少に拍車をかけてしまう。 各国は、共同でこの状況を打開するための研究機関を設立した。研究機関においては、人口減少に歯止めをかける方法を模索する機関であると同時に各国での方策の実行権限を有していた。つまり、国際機関における実働部隊ということになる。 ここで起案され、実現した方法で、世界的に大きな成果を残し

          原初が人の癒やしとなる考え

          これまで核家族は、幾度と変化してきた。本来、人間は、集団によるコミュニティを形成していた。現代に至るまで、関連した変化しないものとしては、血縁関係があるだろう。苗字という概念に囚われ、一族という形式的な集団で我々は生活している。もとは数十の個体が群をなしていたが、それが次第に三世代またがるような構成へと変化してきた。古き良き核家族と呼ばれるのは、三世代がひとつ屋根の下に暮らす形式だと思う。戦後からはこの形式が薄れ、二世代程度まで縮小した。そして、現代に至っては、単身の世帯も存

          原初が人の癒やしとなる考え

          行動の喪失と明日

          皆辛いが同じではない。 人は主観でしか考えることが出来ない。客観視しようという人もいるが、そういう人に限って、客観的に自身を見つめることが出来ない。というより、人は、そもそも客観視できるように出来ていない。 私は、幼少期からずっと不思議だった。この見えてる目線。皆もおそらく同じ様に見えているだろう。だが、他人と同じ目線と同じ目線を見ることが出来ない。人は、入れ替わることが出来ないからだ。客観視出来ないことを証明する明確なものとして、自身の身体がある。自らの身体を隅々と肉眼で見

          行動の喪失と明日

          箱に残された

          人間の原動力となる能力は、期待することだろう。希望を持つこと、願うこと、言い方は様々だろうが、それらがすべて共通の意味を持つとは思っていない。自分自身に対してや、他人に対して、はたまた、想像し得ないことに対してなど、対象となるものやそれに対する志向性も異なる。 ただ我々は、希望を持つことや期待することがあるからこそ、進化し、変化を受け入れてきた。例えば、逆境の場合は、後世を残す必要があり、娘を生む。これは、後世に希望を託し、現代では、ひどい状態でも後世では、より優れた環境を作

          箱に残された

          翻す口の

          そう、ひらりと。 仕事を始める前からわかってはいた。人はそれぞれ、強度の違いはあれど二面性を持っている。周囲の話す言葉を鵜呑みにすることで、自らドツボにはまってしまい、それを話した当人はケロッとしている。非常に不快極まりない。そういう自身も二面性を強く持っているかもしれない。偶に周りから言われる事がある。前に話していたよね、と。内容も様々だが、全く持って平常時の自分であれば、言うことはないだろう単語を並べる。それを私が言ったと。相手がなにか勘違いしているか、または、私自身が強

          近く遠い喪失感の

          人の気持の制御ほど難しいものは他にない。ヒトというのは、様々な種類の生き物の結果、今のあり方が成り立っている。その過程には様々な経験の積み重ねがあったと思いを馳せるときりがなく、そしてわくわくする。 ただ、現在の人間としては、大自然で必要だった能力などが重荷になりつつあると考えている。 嫉妬なんてものは、コミュニティの中で闘争心を燃やす都合の良い原動力だ。現代ではSNSや情報の広がり方の影響において、いわゆるストーカーのようなものが生まれてしまい、本来備わっている人間の機能が

          近く遠い喪失感の

          完璧で不快さのない組織などは

          社会構造は、古き良き多くの方々によって、構築・検証・実施が行われてきた。4月も始まり5月が始まろうとしているこの頃に、やはり増加するのは、五月病なるものだろう。こういう私もすでに五月病を発症しており、働く意欲なんてものはない。 五月病を強く感じているのは、新入社員や新入生といったところか。社会人を数年間積み重ねていけば、この当時ほどの影響は受けないだろう。 新たな環境に胸を高鳴らせながら、加わったのはいいものの以前に持っていた印象と大きく異なり、絶望した人も少なくないだろう。

          完璧で不快さのない組織などは

          道行く人のすれ違うことが

          まさかと思った。 いつもどおりの仕事の帰路で電車に乗り込んだ。電車の扉が開くと、もちろん電車から降りる人もいる。降車する人を横目に乗り込もうとすると、まだ降りていない女性がいた。何やら揉めているのかとよく見ると、他の男性客の鞄に自身の鞄が引っかかり、離れない状態となっていた。なんとか、解きほぐし、女性は降車できたが、一歩間違えば、奇跡の恋愛劇が始まるところだと、そう革新した。 春という季節は、出会いも分かれも、様々な起点となる事が多い。特に面白いと感じることとして、4月前後は

          道行く人のすれ違うことが