翻す口の

そう、ひらりと。
仕事を始める前からわかってはいた。人はそれぞれ、強度の違いはあれど二面性を持っている。周囲の話す言葉を鵜呑みにすることで、自らドツボにはまってしまい、それを話した当人はケロッとしている。非常に不快極まりない。そういう自身も二面性を強く持っているかもしれない。偶に周りから言われる事がある。前に話していたよね、と。内容も様々だが、全く持って平常時の自分であれば、言うことはないだろう単語を並べる。それを私が言ったと。相手がなにか勘違いしているか、または、私自身が強い二面性で、話したことを記憶していないかのどちらかだ。自分自身については、ここまでにして、次は周りの人間だ。
友人だけでなく、家族など、身近な人間から遠い人間まで、それぞれ二面性を抱えている。人によっては、学生時代にそれを強く感じたのかもしれない。楽しく話していたつもりだったが、その相手は、別の場所では、私自身への強くヘイトをばらまく。所謂ネガティブキャンペーンとも言えるだろう。日頃から私に対して、対峙するような状況であれば、気になることはない。だが、先程まで私と楽しく話していたではないかと、思うときもある。これは、私が鈍感である可能性も否定できない。相手が苦しんでいるにも関わらず、それに気づかず、一方的に楽しい感情を押し付けていた、そうとも考えられる。他人の一挙手一投足のすべてをしっかりと眼に焼き付け、不快に思っているのか、そうではないのか、考えながら話さねばならないのか。それは、本当の友人関係だろうか。
ただ、社会人になって気づいた。人前では楽しく、他の場所では消極的に攻撃してくる人間は、相手が誰であれ、あまり変わらないということだ。仮に私の眼の前で楽しくしており、私のいないところで、私への攻撃を行うような人間は、私でなくても、特定の一人に対して、同じことを繰り返す。二面性どころか、常に攻撃する対象を維持し続けたいという感じだろうか。
そのような対象に対して、こちらが図れることは、距離を置くことだろうが、仕事上そういかない場合もある。そういうときはいっそのこと気づかないふりでもいいかもしれない。
非常に難しいのは、このような二面性をもつ人間は、多かれ少なかれ、管理職の立場になっていることが多い。上司には好かれるのだ。特に仕事が出来ずとも、上司の前では、楽しく、部下の前では、上司の否定を、これを繰り返すことで、実は昇進できているのだ。驚くべき社会の構造だ。真面目で、頭の良い人間は常に、労働力として使役される。そのため、このような二面性の相手を社会人となり、遭遇した場合は、地道に仲間を増やし、その人間の異常さを緩やかに知らしめたり、その会社を去ることだ。いずれにしても、そう簡単なものではない。
私は、この二面性に苦しめられ、一時色も細くなったが、距離を置くことで、ある程度の回復が出来た。自らにとって、重しになる人間を相手にし続けることは難しい。この難しさをどのように変えていくのか、相手の二面性に気づけた君の解決方法がどのようなものか、今一度考え直し、行動できれば、快適な日常を取り戻せるかもしれない。

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