たんぽぽの

外を歩くだけで、些細な幸せにあたってしまう。日頃から不快な物事にさらされてしまうので、どうしても癒やしや楽しいこと、そして、幸せを欲している。幸せや心地の良いことは、たくさんの種類がある。そして、大なり小なり変化もあるだろう。
満員電車は不快であるが、まばらに座席の空いている電車であれば、ある程度、癒やしがあったりする。生まれたばかりのような赤子、大人しく座っている。そして、じっくりと、目を合わせてくる。可愛らしい。原初の眼差し。意図もなければ、悪意もない。経験のないものに対して、情報を集めようとしっかりとした目線で眺めてくる赤子の目線は、とても心地よい。
ただ、その眼差しで、私の内なる気持ちを見透かされていないだろうか。心に直接、臓器に直接触れてくるようなこの無垢な瞳は、大人であったとしても、飲み込まれてしまうかもしれない。
赤子だけではない。原初に近い瞳としては、犬や猫もあるだろう。猫は警戒心が強く感じられるが、犬の関心が強い表情や瞳は、こちらから行動をさせようとしているような、そんな雰囲気を感じる。赤子同様、悪意はないものの、飲み込むような瞳だ。
私が生活していて、癒やしを感じるのは、このような原初のものごとだ。原初であることがおそらく、生物的にも必要なものではないのだろうか。人工物から得られる恩恵は、やはり限界があったり、依存度が高くなる。有機的で、自然に近いっものというのが、日常的に必要な癒やしや幸せなのではないだろうか。
道端の舗装を押しのけて、力強く咲く、一輪の花のように。

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