完璧で不快さのない組織などは

社会構造は、古き良き多くの方々によって、構築・検証・実施が行われてきた。4月も始まり5月が始まろうとしているこの頃に、やはり増加するのは、五月病なるものだろう。こういう私もすでに五月病を発症しており、働く意欲なんてものはない。
五月病を強く感じているのは、新入社員や新入生といったところか。社会人を数年間積み重ねていけば、この当時ほどの影響は受けないだろう。
新たな環境に胸を高鳴らせながら、加わったのはいいものの以前に持っていた印象と大きく異なり、絶望した人も少なくないだろう。加わった組織が、もとより不誠実な組織であった時、それに対する逃げ道をとっさに思いつくことが出来ず、土壺に嵌り、身動きが取れず、社会を恨み、世界を妬み、自死を選択するということが、この五月病の怖いところだ。例えば、一例として、社宅が新居だと思いきや、倒壊寸前の古民家であり、そこで初めてあった同機とシェアハウスしなければならず、終いには事前に通告のあった給与より減額されていたときだろうか。昨今はインターネットが発達し誰しも発信し目にすることが出来、さらに人間特有の同調という機能がいい味を出している。このご時世、なにかおかしいと思えば、世間を味方につけることができるということだ。
では、なぜこのような常軌を逸する組織が爆誕してしまったのか。それは、我々が資本主義という仕組みに頼っているからだろう。この仕組みは、一度成功してしまえば、資金力は日に日に増していき、その血族は、異常な者がいない限り永続的に人生を謳歌できる。ただし、法律の変化や戦争など、様々な要因によって左右されるため、必ずとは言えないものの昨今の裕福な層は、戦前と戦後を中心に成功を収め、脈々と続いている血筋が多いだろう。更に、戦後では、情報通信技術の発達によって、一代で巨万の富を手に入れた。
このように血族や富を築いたものは、必然的に事業を広げたり、多角化していく。故に従業員が必要であり、そこで働かなければならない従業員が必要となってくる。そして、この様の中はよく出来ている。労働力には、決まった賃金しか支払われない。もちろん賞与など様々な仕組みが存在するが、その企業が大きな利益を得ることができれば、その利益は、企業の代表、いわゆる社長に還元されるのだ。普通に生きて、普通に働いても、一代で築いた者や血筋の者には、そうやすやす勝つことなんて許されないのだ。
金の配分は、組織に大きな影響をも与える。その企業の代表を務める人間には、大きな責任が伴い、従業員への命令一つで企業が転覆する可能性だってある。一国の元首と同じだ。末端で仕事をする従業員と同じ給料だというのは、おかしな話だ。それが我慢ならないのであれば、自ら起業し、自ら事業を成功させるしかない。
企業が利益として得た金は、資本主義に則って、配分が行われる。ただ、いまここで伝えたいのは、金の動きではない。この資本主義の影響下で発生してしまう、不快な組織なるものについてだ。
新入社員の多くは、新たな労働環境でひと月過ごし、人によっては、様々な気持ちになっているだろう。方や楽しく、方や不快で。楽しい企業であれば、良かった。更に給料も見合ったものであれば、大満足だろう。大きな問題になるのは、不快な組織だ。おそらく、共産主義になった場合、自信の選んだ仕事で一生を終えるということは難しいだろうが、すべてが定められ、確実な恩恵として享受できるだろう。ただし、趣味や娯楽も制限される可能性ももちろんある。自由度の低さというのは、共産主義では問題になりがちだったりもする。しかし、我々は、資本主義で生きており、更に、資本主義で作られた企業で働いている。この中で特に不快になるのは、人間関係だろうか。おそらく共産主義か資本主義であるかは、さほど大きな問題ではないかもしれないが、必ずしもどのような環境にも不快な人間というのがいる。一番の問題は、その不快な人間に役割を与えられてしまった場合だ。海外では、Brilliant Jerkという言葉がある。所謂、嫌な奴、というものだ。共産主義の場合、社会全体の歯車を噛み合わせるため、無能な人間を歯車の一部に組み込むことはない。必ずいい人間というわけではないだろうが、一定の役割に見合った人間が選ばられるだろう。また、その人間が無能だと判断出来た場合は、即座に降格されることも考えられる。
しかし、共産主義の中にある企業組織はどうだろうか。優秀な代表者でなければ、優れた人材を集めることは出来ず、中途半端な人間が管理職や役員などの重要な立場になってしまうこともあるだろう。私の周辺もそうだ。管理職の人間に話をするとしよう。結論を求められるため、結論を話すが、過程がわからないと一蹴する。こいつは、考える力を有していないのか、と私の頭をこの言葉がよぎるのだ。結論を先に聞きたいというのはもちろん分かる。そのため、概要と重点、そして結論を用意している上、そもそもどのような話であるかの本題は、通達積みでもある。一番問題になる管理職というのは、相手の話を聞かず、結論のみを聞きたがり、そしてその内容に対して、提案や意見ではなく、批判のみで終わる人間だろう。共産主義の過激派であれば、おそらく死罪になるかもしれない。もし私が共産主義で立国した場合、このような人間で、相手に迷惑をかけるのであれば、死罪に処すると思うからだ。
ただ、どのような性格であれ、このような人間が管理職になることが大問題であり、話も進まず、決定も成さず、部下に責任転嫁もしてしまう。一つだけ、上手い事がある。それは、上司への取り入ることだ。やはり非常に不快なのだが、所謂、嫌な奴は大体、更に上の上司に好かれるものだ。これも根本を辿れば、代表の能力不足もあり得ると感じている。代表の下にいる役員の人選も最適ではないため、さらにその下にいる管理職も無能となるという話だ。ドミノ倒しのような話で面白い。
そのため、これから五月病になるであろう、新入社員に伝えたい。それは、配属あれた部署やその上司が明らかに自身と合わず、論点がずれたり、話を親身に聞く振りをしつつもその回答は常に責任転嫁や曖昧さの強い結果だった時、その会社をすぐに辞めて、転職するのだ。一生抜け出せない最悪な悪循環の一部となってしまう可能性もある。資本主義のこの仕組みは、相手の立場より偉くならなければ、何も変えることが出来ないかもしれない。そのため、改善を求めず、新たな環境に移るべきだ。人類はそうやって、新天地を求めて生きてきた。

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