箱に残された

人間の原動力となる能力は、期待することだろう。希望を持つこと、願うこと、言い方は様々だろうが、それらがすべて共通の意味を持つとは思っていない。自分自身に対してや、他人に対して、はたまた、想像し得ないことに対してなど、対象となるものやそれに対する志向性も異なる。
ただ我々は、希望を持つことや期待することがあるからこそ、進化し、変化を受け入れてきた。例えば、逆境の場合は、後世を残す必要があり、娘を生む。これは、後世に希望を託し、現代では、ひどい状態でも後世では、より優れた環境を作ってもらうため、後世を残す。他には、後世を残すことで、人手も増え、考える人間も増やせる。特に現代においては、発展途上国では、その人口が上昇しているが、先進国では、どこも少子化が課題となっている。これは、人間以前に生物として、安定であり、積極的に変化させるべきものもなく、娯楽に満ちているため、後世を残す必要がないのだ。生命そのものが、この世界に生き残るために、変化を受け入れ、進化しつつ後世を残してきた。先進国の多くでは、その世代の気持ちが満たされ、逆境というものからも程遠く、後世に託すものがなく、後世を残すことはない。例えば、定期的な出兵や戦争、飢餓などが起きれば、この限りではないだろう。人間に対しての定期的な逆境が個体数の安定化に繋がるかもしれない。
ただ、この希望を持ったり、期待することについては、ときに心を苦しくしてしまう。人間出会っる限り、この機構が常に付いて回る。人が想像したものは、必ず実現すると言われているが、それは、そもそも人間の想像しうる範囲というのには、決まった範囲があるということだ。そのため、その範囲での発想力は、想像するものにも直結する。法律や倫理観がより縮小すると、人間はより向上した存在になるかもしれないが、理性などが、この期待や希望を抑圧する。
この希望や期待は、生存にも直結する。森の中で、もしかしたら野生動物に襲われるかもしれない、他の人間から刺されるかもしれないなど、想像できる様々な範囲によって、人間は苦難を乗り越えたり、事前に察知することもできている。このようなことを消極的な期待としよう。消極的な期待は、危険なことに対してだけではないかもしれないが、周囲の状況に対して、思い描くことが多いだろう。
友人とやり取りを重ねている時、途中で相手からの返信が滞ることがあるだろう。この時、状況によっては、相手が死んだか、何かに巻き込まれたか、はたまた、急に私のことを嫌いになったのか。色々なことが頭の中を駆け巡る。これが消極的な期待だろう。相手が恋人や大切な人であれば、より様々な情景を思い浮かべたり、不快になる発送も十分に起きるだろう。これは非常に純粋で、人間らしく、原始の感情だろう。何事についても、特に、自らが大切に思うものであれば、強く考える、消極的な期待。
人のいう、希望や期待というのは、元来人間が生存し続けるために必要であり、原始的な能力だと私は考える。この能力は、良いことばかりではなく、時には、不快になることや悪い状況に対しても豊かな発想力を発揮する。これは生存するために必然的に発揮するものであり、生存するために、止めることは出来ない。もし、消極的な期待をなにかに抱いてしまった時、そのすべての可能性を考慮して、その場から逃げ出したり、新たな新天地を目指すことも必要だろう。相手が人間であれば、距離をおいたり、新たな交友関係を作ることも大切かもしれない。
希望や期待は必ずしもいいことばかりではない。人の想像するすべてが、現実となる可能性はある。良いことも悪いことも。悪いことに関する想像が強く、心折れそうなときは、まずはそれらを手放し、それらに関する消極的な期待を行わない場所に身を置くようにするべきだろう。それが、この世界で生存し続けた人間の持つ能力を発揮した結果だろうから。

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