脳が腐ってる

たまの日曜日、家族で出かける。ちょっとした商業施設で簡単に済まされるのが日常。小学生に上がってから、3年が経過したが、いつも通りではあるものの、学友の中ででは、私だけ携帯電話を買い与えてもらっていない。家庭の方針なので、仕方ないが、ほとんどの学友が持っている中、やはり孤立してしまっているように感じる。
両親は私のことを幼い子供だと考えているようで、買い与えられるのは、幼児が用いるような知育玩具だ。それをずっと持たされて、何が楽しいか。
商業施設を一巡したところで、帰路につくが毎回の定番として、喫茶店での時間を過ごす。先に述べた通り、私の手元には小さなポシェットと知育玩具がある。矩形のつながったブロックを捻じ曲げ、異なる形状のオブジェを作る事ができる。
喫茶店での注文後、両親の間に渡しを挟み横並びに座る。注文した商品が届くまでのこの時間、私の手元は、話すことのできない無機物のみが見えるだけだ。両親というと、互いに会話もなく、私に語りかけたり、私がちょっかいを出しても応じることはなく、手のひらを揺らがせ、相手をしてくれない。
彼らの集中する目線の先には、携帯電話がある。文章を入力しているわけではないようなので、おそらく、友人や知人の変化を眺めていたり、様々な、どうでもいい、民度の低い情報を眺めているのだろう。私と話をするよりかも、そちらのほうが重要なのかと考えると、心の底から虚しさがこみ上げる。家族で出かけるということは、何なのか。私に関心もなく、両親同士でも会話がないのであれば、結婚をするべきではないし、私を生んでほしくもなかった。
というような、風景に出会ったとき、もちろん本人の気持ちはわからないが、子への育みや番での対話がまったくなく、常に関心が携帯電話なのであれば、育児の権限はなく、家庭を築く知性もない。携帯電話が問題ではなく、状況に応じて、適切な対話などを行うべきにも関わらず、それらができない人間はその本質として、腐っているだけなのだ。

もし、面白いと感じたらサポートいただけると大変うれしいです!糧になります。