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私の不登校体験③

地獄の2年が終わり、私は3年生になりました
新学期になり、数ヶ月ぶりの登校
私の状況を知ってる生徒と、同じクラスになれて
ほっとしました

ですが、ほっとしたのも束の間
勉強が、全く分かりません
自分だけが取り残されたように感じがして
すごくつらかったです
勉強が分からないから、教科書を見る気力も湧かない
少しずつ、学校を休みがちになっていきました

当時の学校内に
学習支援員や、学習ボランティアなどはありません
担任や友達に、勉強を教えてほしいとは言えません
理由は
『勉強のどこが分からないかが
自分でも分からないから』

自力でやろうと教科書を見ても
何がなんだか分からない
当時使っていた進研ゼミを見ながら
自分が分かる範囲で勉強していました
勉強が分からない自分が情けなく
恥ずかしかったです

✽  ✽  ✽


そして、中学3年は、高校受験の学年です
2年の時の出席日数、内申点の関係上
当時の担任からは
『公立高校への進学は難しい』と告げられた
当時の担任は、中学3年の担任や
進路指導を何回も務めた、ベテラン教員でした
一生懸命、私と関わろうとする担任に
何故か、申し訳ない気持ちを持っていた

✽  ✽  ✽


3年になっても、心療内科への通院は継続しました
当時は、医師の診察と
臨床心理士のカウンセリングを受けていました
医師と心理士は、いつも私の味方でいてくれました
私が、家庭で落ち着いて生活できるよう
力を尽くしてくれました
ですが、中学卒業間近に、医師と心理士が
病院を退職することを知りました
何も考えられなくなり、気づいたら
自室で自傷行為(リストカット)をしていました

母に、リストカットが知られた時
『お母さんと一緒に死のう』と言われたことを
今でも覚えています


読んでいただき、ありがとうございます🙇








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